第3話『太陽の少女と月の少年(後編)』

「うおー、山みたいなパンケーキ……」

 日が地平線から顔を出す頃。己の寝言で目が覚めたサシャはすぐそばに誰かがいて実家にいるものだと勘違いし、「お母さんごめんあと五分」と言って二度寝をした。

 サシャが再び目を覚ましベッドのふちを見ると、そこには成人女性より頭二つ以上背が高く髪も肌も石のように白く、宝石が散りばめられた繊細なレースのヴェールを被りオーロラのように輝く長いドレスを着ているが座っていた。

 人間ではない。サシャは冷水を浴びたような気持ちになりさっと体を起こした。精霊か女神か、真っ白な女性は長いまつ毛に覆われたまぶたを持ち上げ、水面のようにたゆたう瞳でサシャを見つめた。

「お、おはようございます……」

 白い女性はサシャの両頬に手を伸ばした。彼女は薬指のない四本指を何度も肌の上で往復させる。

(く、くすぐったい……)

 サシャは彼女がしたいようにさせた。精霊か神かわからないが、こう言う相手は機嫌を損ねないのが大事だ。

 女性はサシャを存分に愛でると腰を上げ、少女の額に祝福キスをして輝く砂となって風と共に窓の向こうへ消え去った。

 サシャは石のように冷たい唇で触れられたおでこをさすり、夢だったのではないかと自分の頬をつねった。

「いひゃい……」

幼い頃からフェアリーたちに“神の花嫁”と呼ばれ続けてきたサシャ。しかしまさか女神に口付けをされるとは思っておらず、サシャは呼び名の意味を深く知る必要があるかも、と考えた。




 突然の出来事に驚いたサシャは頭を空っぽにすべくジョギングをすることにした。オレンジ色の赤毛をポニーテールにしてまとめ、ジャージを着た少女はアガサとアリスを起こさないようにこっそり部屋を出た。


 サシャはまだ多くの生徒が眠っている寮の周囲を避け、学園の森と校舎をへだてる馬車道を走る。

「ほっ、ほっ」

 サシャがリズムよく走っていると、後ろから誰かの気配がして少女は振り向く。すると、太陽属性の男士たちも早起きをしてサシャと同じことを考えたのかジャージ姿で追いかけっこをしながら少女に追いついた。

「俺いっちばーん!」

「一番俺だし!?」

 賑やかな男子たちはサシャの背中を遠慮なく叩くと「競争しよう!」とけしかける。

「食堂まで! 最後ビリが一番早い奴にアイスをおごる!」

「いいわねえ!」

サシャも提案に乗って駆け出した。


 結果、サシャは二番目。もつれるように最後に駆け込んだ二人の少年は、一番を取ったオスカー・ベルフェスとサシャへ購買で売っているアイスをおごった。

「んえ!? みんな二年生!?」

「そうだよ」

 なんと彼らは一つ上の学年だった。太陽同士だからと遠慮なく混ざってしまったサシャはまさか先輩だとは思わず驚く。

「サシャ足速いよな。運動部どこだった?」

「今まで運動部入ってないんです」

「おーう敬語になっちまった。いらんって」

「えーでも」

「いいだろ。太陽同士なんてみんな兄弟なんだから。なあ?」

「そうそう」

「ん、じゃあ遠慮なく……」

 サシャは地元で同学年と馴染めなかったことに触れつつ、運動部には所属しなかったと話した。

「あー、気の合う合わないは大きいよな……」

「典型的な田舎の差別だと思ってもらえれば」

「そりゃ入る気しねえな。それならどう? 陸上部こない?」

「えっ?」

「おっと飛行ホウキ部を忘れてもらっちゃ困る」

 それぞれ得意の運動部に所属している二年生たちは自分の部活へサシャを勧誘する。

「水泳部も楽しいぞ。水属性には負けるけど」

「部活かぁ〜、考えたことなかったな……」


 部活動については前向きに考えてみる、とサシャは二年生の太陽たちに礼を言って寮へ戻った。

 すると月属性の寮の前では赤毛の女子生徒とともに清掃員を囲む、見知った太陽女子の後ろ姿がありサシャは柱の影に身を潜めた。

「本来ならわたくしは月の寮にいるはずなんですのよ! こんなの不当ですわ!」

どうやら彼女は寮を火属性にされたことを抗議しているようだが……。

(掃除する人に文句言ったってしょうがないと思うけど……!?)

 少女が清掃員も仕事ができずに迷惑だろうに、と思っていると後ろから声をかける者がいた。

「サシャさん」

 驚いて振り向くとマシューと一緒に綺麗な赤毛と青い瞳の美しい太陽男子がおり、二人はサシャを手招いて女子寮の前から離れた。


「紹介するよ。ティアラ姉妹と同じく親戚で幼馴染のオルソワル・オルフェオ・ベルフェスくん。オルくんはもうサシャさんを知っているよね?」

「ああ。同じ教室だ、よろしく頼むよ」

 赤毛の美麗男子は左胸に手を添えて軽く会釈をした。

「ベルフェス? さっきオスカーに会った!」

「オスカーは叔父おじの息子だ」

「いとこだったの!」

サシャは“マシューとオルフェオは親戚いっぱいいるんだね”とつぶやく。

「オルくんは本家の跡取りだよ」

「え、うわ。跡継ぎとかあるんだ……大変そう……」

「太陽の男児として当然の責務だ」

「太陽男子で真面目なタイプは苦労するぞってうちのお父さん言ってた」

オルフェオはサシャの言葉でふっと笑う。

「よく言われるよ。さっきの女子生徒のことだが、一時間はああしていてね」

「えっ」

 オルフェオとマシューは月寮の前で騒がしい彼女のことを、使い魔を飛ばして先生に言いつけたところだそうだ。

「もうそろそろ帰ってくると思うんだが……」

 言うや否や、サシャたちの頭上に影が落ちる。小さなトカゲのように体を縮めた古竜と、フクロウの羽を持つ白銀の騎士が舞い降り少女は声を上げる。

「わぁ! 竜に精霊の騎士! 初めて見た!」

 古竜はイゥス、フクロウの精霊はジェミニといった。

「お会いできて光栄です、気高く麗しき花嫁。我ら古竜、太陽に連なる者の花嫁」

使い魔たちはよくしつけられているようで、サシャへ向かってうやうやしく頭を下げた。

「どうぞよろしくお願いします」

丁寧な挨拶をされ、サシャもジャージの上着の裾をもって膝折礼カーテシーを返す。

「スカートじゃなくてごめんなさいね」

「いいえ、とんでもございません」

「マシューの使い魔が精霊の騎士ってことは……」

「男だけど、俺も神の花嫁なんだ」

「やっぱり」

 精霊に愛されやすい性質の一つ、神の花嫁。サシャはお隣さんフェアリーに昔からそう呼ばれており疑うべくもなかったが、近所には同じ性質の魔法使いと学生はいなかった。

「じゃあ私も騎士が必要なんだ……」

「サシャさん使い魔はまだ?」

「うん。なんかこの子だーっ! っていう精霊がいなくて……」

「神の花嫁の守り手となると探すのに苦労するよね。俺は父さんの使い魔だったジェミニが来てくれたんだ」

 魔法使いと使い魔の契約は一生もの。契約を行えば精霊の魂は定命である魔法使いに引きずられる。精霊が死んでも魔法使いが死ぬことはないが、魂が欠けるとされる。片方だけがいない。それは契約の終わり。マシューの父が亡くなったことを示していた。

「ん、そっか……」

 ジェミニは悲しそうなサシャの表情を見ると自ら発言をする。

「エドメ様も私も、マシュー坊っちゃまを残して往くにはあまりに心残りだったものですから。合意の上です」

「偉いわ、ジェミニ。つらかったでしょうに」

サシャにねぎらわれジェミニは微笑みを返した。

「いいえ、坊っちゃまのおそばにいられることが何よりの幸せです」


 サシャがそう言えば先生は? と質問をしようと思ったところで使い魔経由のを受けた教師たちが月寮にたどり着いた。

「ああ、ようやく来たみたい」

「話が聞こえないところまで行こうか。聞いても気持ちのいいものではない」

「あー、まあ、そうだね……」




 マシューやオルフェオと他愛のない話をし、騒ぎが落ち着いたころ部屋へ着替えに戻ったサシャは、眠そうな目をした双子がパジャマのままソファに腰掛けているのを見てあわれに思った。

(あれだけうるさかったら起きちゃうよ)

「二人とも、おはよう」

「あらサシャ。先に起きていたのね」

「ジョギングに行ったの」

「そう。ならよかった」

 双子はサシャとあの女子が鉢合わせていないことを感じて胸を撫で下ろした。

「正直、彼女が月の寮じゃなくて安心した」

「そうねぇ……」

「先生方がそうする理由はあるはずだものね」

太陽属性の魔法使いはあっけらかんとした性格も多いが、頭に血が上りやすい短気さも特徴の一つだ。あの女子の場合短気の部分が苛烈かれつで、教師たちはそれが大人しい月の子にはよくない影響を及ぼすと思ったのだろう。

「短気は損気なのにね」

「そうね」

 サシャは双子に体がよく温まるジンジャーティーを淹れてあげて、それから朝食へと向かった。




 入学式を終えた生徒たちは二日目から早速、己の属性を鍛える基礎授業に加えて興味のある選択授業を取る。

 オスカーたち二年生から部活を勧められたサシャは、興味ついでに運動系の授業を多く取った。もともと体を動かすことが好きだし自分向きだと考えた結果だ。


 サシャは太陽の名家であるベルフェス家の跡継ぎオルフェオ、月の名家であるティアラ家のアガサとアリス、そして同じく月の名家レイン家の跡継ぎマシューと共に太陽と月の合同授業へ向かった。そこにはもちろん、あの問題の太陽女子も加わる。

 問題児の名はナルシス・モンテ。サシャと同じく火属性の一般市民からぽろっと生まれた太陽属性。しかし昨日からの言動で彼女を危険とみなした月の姫たちは、サシャを守るように囲んで決してナルシスに近寄らないよう努めた。ナルシスは何よサシャばっかり、とふてくされ二の腕を組んだ。

 ちょっとした騒ぎを経て始まった初授業。広いダンスホールにて。オレンジゴールドのライオンのようなヒゲと髪を持つ太陽専任のアルリーゴ・デルカと、プラチナブロンドの満月を下ろしたような月専任のオーレリア・ミューアは太陽と月の子どもたちを見渡して満足そうに頷いた。

「うむ! 今年も新入生を担当できて嬉しく思う!」

「月の方、太陽の方。ご機嫌麗しゅう。この授業はマナーレッスンも兼ねておりますので、皆々様はおさらいのつもりで行ってください」

 二人一組になれと言われ、サシャとマシューはお互いを見つめた。

「サシャさんよかったら」

「月の殿方!!」

 ナルシスがマシューへ声をかけてしまい、サシャはあちゃあと肩を落とした。

(仕方ない、喧嘩したくないし譲るか……)

「マシューあの」

「ごめんね、今朝一番に私から彼女へ申し込んでしまったんだ」

 マシューを見上げたサシャはその表情に驚く。笑顔ではあるものの温度はなく、鉄壁の守りを固める城のようにどんと構えた表情と態度。マシューの貴族らしい一面にサシャは困惑と胸の高鳴りを覚えた。

「あなたとは別の機会に」

「あ、あら。そうでしたの。ほほほ、仕方ありませんわね……」

 ナルシスはキッとサシャをにらみつけてから立ち去った。

「マシュー」

 月の少年は人差し指を唇の前で立てた。

「俺でなければ他の男子が君と組むことになるでしょう? それは嫌だから」

月って結構くんだよ、とマシューは付け足した。

「俺と踊ってください」

 美しい男子に手を差し出され、サシャはどう答えるのが正解だったのかわからず、真っ赤になりながら手を重ねた。




 サシャはマシューとのダンスですっかり夢見心地になってしまい、気付いたら夜だった、という感じだった。

「サシャったら、そんなに良かったの?」

「可愛いこと。夜空を見上げるのもいいけれど体を冷やさないようにね」

「うん、おやすみ……」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

サシャは長い長いため息をついた。

「男にも美人っているんだなぁ……」

 ふと我に返ったサシャは別の意味で溜め息をつく。

「精霊の騎士かぁ……どうやって探せばいいんだろう……」

使い魔との訓練は基礎授業に含まれている。まだ使い魔がいない生徒には先生たちが協力してくれるはずだが、サシャは神の花嫁。精霊との相性はフィーリングが基本で、決まった指標があるものではない。果たして一生のうちに見つかるのかどうか、といったところだ。

「いるのかなぁ、私の騎士」

サシャは月と星を見上げ、自分の騎士が星みたいに輝いていればいいのにと思った。

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