MilkyBlueー前編ー

「かんぱーいっ!!」

「お疲れさまでした。」


冷えたビアグラスと華奢なカクテルグラスが控え目に重なった。薄い硝子のふちが震えながら微かに音をたてる。



…そんなわけで…


思いがけず笹木さんと二人で食事へ行くことになり、探し当てたお店はいわゆるカフェバー。一見するとまるで雑貨店のような…可愛らしいミルキィブルーの外壁に白い木製の窓枠。店先には青のストライプルーフに、『Milky Blue』と小さくプリントされている。店内は色硝子で飾られたオレンジ灯が、談笑する人々を柔らかく映し出していた。辺りには小さな観葉植物たちが、賑わうテーブルに彩りを添える。ふと見渡せば、仕事帰りのOLや、友人同士、はたまた職場の仲間を連れ立った人など、若い女性の姿が目立っている。


この状況に丁度よく居合わせた女性の二人連れ。二十代半ばの落ちこぼれ絵描きと重労働から解放された三十路手前の編集者…

これは女子会…?いや、飲み会だろうか…??


「くぅ~っ染みるぅ~」


ビールを既に半分飲み干した笹木さんは、喉の奥から吐き出す様に言う。眼鏡の端を正しながらも、口元は綻んでいた。

『何だかおじさんみたいでちょっと面白い…。』

失礼だとは思いつつも、そんな笹木さんの様子が珍しくてついつい眺めてしまう。怒濤の締め切りを終えたばかりなのか、普段の緊張感はあまりなかった。彼女の纏う雰囲気が緩まったこともあり、心なしか顔つきまで別段違って見える。

『もっと真面目で堅い人かと思ってた…』

予想が外れたついで、気兼ね無しに私も口を開く。


「生ビールも美味しそうですね。いいなぁ…私あんまり強いの飲めなくて…。ジュースみたいなものばっかりなんですよ…。」


何とはなしに、カクテルグラスの縁をなぞりながら、私はぽそりとこぼした。


「えぇっ、可愛いじゃないですか!」


「!?」


突然前のめりに声を張り上げられた反射で、私の背中は軽く跳ねた。

『びっくりしたぁ…。』

彼女らしからぬ応答と態度に戸惑いを隠せない。私の狼狽えに気付く様子もなく楽し気な彼女。好奇を帯びた目を輝かせながら、笹木さんは声高に続ける。


「フルーツカクテルなんて種類も多いし……天音さん似合いますよ…?私なんて、いつも生かハイボールですし…代わり映えしないというか何というか、あははっ…。自分でも分かってるんですけどね、酒に逃げてるの…。」


思わず目を剥いた。尻すぼみに言葉を濁して彼女はグラスに口を移す。なんだか意外な台詞に拍子抜けだった。私は目線をグラスに置いたまま考えを巡らせる。思い付いたままの言葉が口からこぼれた。


「そうですか?私なんて…子供っぽいだけですよ。それに、程々ならお酒で気分転換するのも悪いことじゃないと思います。」


彼女を励ますつもりは全くなかった。ただ、『逃げる』という言葉が私自身に強く引っかかっていた。図星というか…まるで私みたいな弱音を吐く…そんな彼女の姿を受け入れられない自分がいる。心に靄が掛かり始めるのを何とか防ぎたくて、上手くは説明できないけれど自分の気持ちを少しずつ吐き出したい。目線を笹木さんの顔に戻す。伏し目がちにビアグラスを弄び、いつもより表情が少し暗く映る。口下手な自覚はあるが、普段の彼女の姿を探して私は尚も話し続けた。


「お酒もそうですけど…もっと落ち着いた振る舞いができればなぁ…なんていつも考えちゃいますし…笹木さんが羨ましいくらいです。」


自然と語気が強まった。言い終わると、唇の端を噛み締めているのに気付いた。スカートの膝元にしわを寄せ、いつの間にか小さな拳に力が入っていた。

きっと彼女にはわからない。少しでも早く憧れている人に追い付きたい、そんな気持ちなんて…。惨めさと焦燥に刈られている今の自分と、彼の…青葉先生の隣に並んでいる彼女とは一生解り合えないと思っていた。


…五分前までは。


ゴトンッ…

鈍く重たい音がテーブルに響く。笹木さんが左手のビアグラスを力なく置いた。


「羨ましい…?私が、ですか…?」


「ええ…。羨ましいです。」


目を丸くしたまま、彼女は瞬きを繰り返す。唇が薄く開いては何か言いたそうにぱくぱくと動いた。が、言葉は続かなかった。


「今まで仕事の様子しか知らなかったので、それ以上言えませんが…それでも笹木さんは私からすれば充分羨ましいです。立派に働く大人として。」


『青葉先生にも認められていますし…』

とは流石に言い出せなかったが、自分の気持ちに一番近い言葉を伝えられて少し気が晴れた。こんなにはっきり人にものを言えたのは初めてかもしれない…。


「えっあぁ…そっ、そうですか…。何かそこまで誉められるとは…。あっ、ありがとうございます。…ははっ」


かなりぎこちない口調で返答されてしまった。心なしか、ビールを運ぶ手元もおぼつかない。もしかしたら…いや、だいぶ動揺しているらしい。それでも自分なりに納得したのか、笹木さんはまた一口、おもむろにビールを啜る。私も真似るようにカクテルを流し込んだ。

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