透明より透明な…

長い一日の終わり

何故…よりによってこういう時に…。天音ちゃんっ…!!




「はぁあぁあぁぁぁ……」


とてつもなくデカい溜息を遠慮せずにこれでもかというくらい吐いてやった。吐ききってやった。


「随分と不躾ぶしつけだな…笹木さんも。あのね、折角の愛しの君と二人きりになれるチャンス…棒に振ったばかりの所悪いんだけど…これ仕事だからね。」


青葉先生は説教臭い言い回しで私をたしなめ、ひたすらパソコンを打ち続けている。いつもの無表情が、今日はやたらと憎たらしい。


「何で?何でですかぁあ…!?私何かしましたっ!?仕事だから言いたくないけど、20連勤はいってますよっ!?私の癒しタイムどうしてくれるんですかっ!!お肌がびるぅ、心が枯渇するっ!!あっ…あ天音ぢゃぁん…」


悲愴も悲愴…そう、連続出勤も限界を越え、流石に身体も悲鳴を挙げる寸前。そして何より…何より大切な人との時間。月に2~3回会えればいい方である…。天音さん会いたさに、わざわざ青葉先生にくっついてまで喫茶店『Hatman』に行ってるというのに…。


「仕方ないだろ、会社のパソコンフリーズ状態なんだから。おまけにUSBもバグっちゃってるし。そもそも『ちゃん』…なんて、言う勇気もないでしょ。普段『天音さん』って名前呼ぶのもやっとな癖に…。大体ねぇ、二人っきりでろくに話も出来ないんじゃ会う意味ないでしょって。いい歳こいて相手の顔も見れないなんて…情けないよ?」



先生に皮肉たっぷりにそう言われ、怒りと疲れで頭がこんがらがりそうだ。

『このミルクティー頭!!中学生みたいななりしやがって…覚えてろよっ!!』


はらわたが煮え繰り反って喉元まで出掛かっている暴言を何とか留めた。人の気も知らずにしれっと原稿を打ち続ける姿を見ていると、更に憎たらしさが増していく。私が彼を恨む理由は他にもあるけれど……むしろ「それ」が最もな理由だ。この人は彼女のことをどう思ってるんだろうか?少なくとも…私の様な感情で見てるわけじゃないだろうな…悔しいやら悲しいやらで脳ミソも感情もパンクしそうだ。原稿を終わらせて欲しい一心で彼を急かす。


「まだ終わりませんか?っていうより、パソコンに保存しておいてくれれば助かったんですけどっ!」


ついでに先生の不手際を責めてやった。早いところ済ませて『Hatman』に駆け込みたい。



「そう急かさなくても…インタビュー原稿だからすぐ終わるよ。覚えてるし…あと2行。」


…カタカタカタッ…カタカタカタッ


一瞬硬直してしまった。部屋中にタイプ音だけがやけに響く。



「えっ…嘘っ!?何だぁ…早く行って下さいよぉ…あぁ~焦ったぁ…。」



この世の終わりから楽園へと返り咲いた私は、すっとんきょうな声を挙げソファにしがみつく。あまりの安堵からか、へなへなと腰が砕けた。



カタカタカタッ…カタカタカタッ…タンッ…!

「はい、終了っと。」


青葉先生が最後の1行を打ち終えたらしい。ふっと息を吐いて肩の力を抜く。


「やったぁ~有難う御座いますっ!!」

私は脱力した身体を跳ね起こし、彼のパソコンを覗き込んだ。



「あっ!!保存、忘れないで下さい!」

すかさず指摘した。

先生は保存ボタンをクリックすると同時に口を開く。


「わかってるよ。今度こそ本当に終了……ほら、これ早く持ってって。データ入れといたから。」


目頭を押さえながら、気だるそうに予備のUSBを差し出した。



「ありがとうございます!ほんと助かりましたぁ~。これで帰れるぅ。」


私ははやる気持ちを抑えきれず、小ぶりな白のUSBをそそくさと受け取るや否や鞄のポケットに入れる。チャックも閉めて入念に…。


「僕が用意周到なタイプで良かったね。USBも山程あるし、代えのパソコンなら、タブレットも含めて3~4台は有るから。」


したり顔で嫌味を言う先生も、今となっては正に仏。原稿さえ仕上げてくれれば…もう何も言うことはない。あぁ神様っ…!は、言い過ぎか…。2~3日後にはまた憎まれ口を叩くに違いない。



「お陰様で原稿も無事上がったんで…私はこれでおいとましますっ!お疲れ様でしたあっ!!」


体育会系の学生張りに声を張り上げ、コートをかっさらうと、直ぐさま玄関へ向かおうとした。

と、その瞬間…


「ちょっと待った。一つ忠告しておく。あんまり彼女の前で張り切り過ぎないでね。そそっかしさ全面に出てるから…何かやらかさないように。」



…淡々と注意されてしまった。確かに私は、恋愛に関しては空回ってるけれど…そんな事は承知の上だ。


「わかってますって!折角会いに行けるのに、気分を削がないで下さいよぉ~。」


「怪しいな…それに今日来てるかわからないでしょ…。まぁいいや、頑張ってね。じゃあお疲れさま、天音さんに宜しく。」


「はい。お疲れ様でした~!」


いそいそと靴を履き、ドアを閉めた。エレベーターに乗り込む。


1分1秒が長い…




真っ直ぐ会社に向かって編集部のフロアへ入った。



「編集長っ、青葉先生の原稿上がりました!これで何とかなりそうです。」


息を切らしながら編集長のデスクへ駆け寄る。彼も目を見開いて応え返す。




「はぁ~さっすが、青葉先生!!仕事が早いねぇ……良くやったよ笹木!ああぁ~助かった~これで明日の編集に間に合うな!」


ほっとして気が抜けたのか、編集長も椅子へもたれ掛かった。仰々ぎょうぎょうしかった編集部も原稿のお陰で落ち着き始める。デスクに居た他の面々も安堵の表情だ。



「いや~良かったな~」


「本当に神様仏様、青葉先生様々だな。」



今までの緊張感に加え、疲れと溜息を吐き出す様に皆口々に呟いている。


そう、本当に良かった…これでHatmanのラストオーダーに間に合うっ!!




「あっそうだ、笹木!お前明日休んでいいぞ。」


上着を拾い上げながら編集長が突飛な事を言う。


「うえっ?…はいっ。ってええっ!!なんでっ!いいんですか!?」


咄嗟に変な声と危うい日本語が口を突いた。



「なんでって…お前長勤続いたろ。休める時に休んどけよ、こんな仕事だからな…有り難く頂戴しろ。」


「…っはいっ!ありがとうございます。」



「おう。わかったらとっとと帰れ。ちゃんと寝ろよ。」

「ははっ、編集長に言われたらしょうがないよな。笹木ちゃんお疲れ!」

「ほんとお疲れさま~!」


矢継ぎ早に皆に言われて、戸惑いながらもその気持ちを受け取ることにした。



「あっ、…ありがとうございます。……お疲れさまでした。」


何となく帰ることを急かされた気もするが……久々の休日を獲得できた。編集長と皆の優しさに、嬉しさと長勤の疲れが一気に込み上げて来る。自覚した途端に、足の力がすっと抜け始めた。ふらふらの足取りで社のエレベーターに乗り込んだ。



ふぅ…終わった…



兎に角一息つきたい。

そして…何より


『彼女の顔を見たい。』




人間というのは現金な生き物で……これが、思い出した途端に不思議なほど生き生きとするものらしい。


私は込み上げる嬉しさを抑えきれず、口の端が引き上がるのを何とかこらえていた。まったく…エレベーターの中で三十路近い女が一人にやけ顔をしているとは……我ながら流石に気持ち悪い。いや、気色悪い。


…チンッ…


そうこうしている内に一階へ到着してしまった。思いの外、軽快に足が進む。今の私は、誰が見ても浮き足立っているのが丸分かりだろう。…入り口の警備員が若干顔を歪めている。だが、そんな事は御構い無しだ。


『待っていろHatman。私は必ず天音ちゃんに会うぞ!!』


と、意気込んで会社の外へ出た。





「あれ?笹木さん…ですよね?」


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