白い本

源公子

第1話

「もうダメだ。、僕には才能がないんだ」

 公園のベンチで、一人僕は頭を抱えていた。


 僕、こと増井高男は、先月S社のMO小説大賞にトップ入選。

 第二作を早くと、出版社にせかされている。なのに一行も書けないでいた。



「お前、増井高男だろ?」


 突然、知らないホームレスの男が寄ってきてそう言った。


「お前の入選作を読んだ。お前には才能がある、俺も小説家志望だったからわかるんだ。だからこれをくれてやる」


 男はポケットから一冊の何も書かれてない白い本を出した。


「この本を開くと、未来のお前が書いた文章が現れる。

 お前はそれを書き写しさえすれば良い。楽して原稿が書ける。

 ただし、書いてた間の記憶は全て消えてしまう。

 信じられないかも知れんが、俺はこの本を悪魔と取引をして手に入れたのさ」


 悪魔は人間の“苦しみ”が大好きで、食べると美味いんだと男は言う。


「だが俺は書いても書いても、一文にもならなかった。俺には才能がなかったんだ」

 そうしたら悪魔が『他の奴にその本を譲れば許してやる』と言ったそうだ。


「書く苦しみはすべて悪魔が食べてくれて、完成した作品と原稿料はお前のもの。

悪い話じゃないだろ? そして、もう書けなくなったら、次のやつに渡せばいいのさ」 


 悪いどころではない、僕は大喜びで本を受け取った。



 家に帰って本を開くと、文字が浮かび上がっていた。

 確かに僕の文体だ、おまけに面白いじゃないか! 僕は夢中で書き写した。


 しかしその後の進みが遅かった。

 その上何度も書き直す(自分が書いてるんじゃ文句も言えない)

 話自体はすごく面白いから、続きが気になってしょうがない。

 とうとう僕は、ラストが知りたくて、間を飛ばし、最後のページをめくってみた。


 途端に僕は拍手に包まれて、ホテルのホールに立っていた。

 壁の垂れ幕に「増井高男 第〇〇回AG賞受賞記念」と書かれている。

 手にした本の出版発行の日付が、あれから二年も経ったことを教えてくれた。

 僕はあの作品を完成させるのに実に二年もかかったのだ。


 その間のことを僕は何も覚えていない。

 きっと悪魔が美味しく食べてしまったのだろう。

 だけど、それがどうしたって言うんだ? 

 僕は自分に才能があるのを証明したのだ!




 あれから二十年が経った。

 僕はその後も書き続け、賞を取り、通帳に原稿料や印税がどんどん溜まり、長者番付に名前が載るようになった。


 本物の暖炉とプール付きの豪邸に住み、苦しい記憶はすべて悪魔が食べてくれる。


 残っている記憶は楽しいことだけ。申し分のない人生のように思える。 

 だが……僕の心は段々と冷えていった。


 なぜなら、楽しい事はすぐに消える。

 若い頃は、苦しみがないことが幸せなんだと信じていた。

 しかし本当の喜びは苦しみを乗り越えたところにあるのだと、経験を経た今ならわかる。

 僕は小説を書く苦しみを捨てた代わりに、本当の喜びも捨てたのだ。


 僕はスランプになった。

 暖炉の前で椅子に座り、僕はもう半年も文字を書かない、白い本を虚しく見てい

た。


「そろそろ次のやつに本を渡す時が来たようだな」


 いつの間にか僕の側に、あの男が立っていた。

 凄く上等のスーツを着ている。


「久しぶりだね、ずいぶんと景気が良いようだけど」

 僕はそういった。


「まあな、君が頑張って稼いでくれたおかげだよ。何せ君が稼いだ金額の、三倍の額が僕の懐に入るよう、悪魔と契約していたんでね」


「なんだって! だから、あの本を僕に渡したのか」


「当然だろう? 何の得にもならない事するわけないじゃないか。

さて本を返してもらおうか。次のカモを探すんでね」


「そうはさせるか!」

 僕は持っていた本を暖炉に投げ込んだ。


 途端に悪魔の高笑いが響き渡り、床が裂け、男は吸い込まれた。

 裂け目は広がり続け、僕も家ごと飲まれていった。





 気がつくと僕は、あの日の公園のベンチに座っていた。若かったあの日の姿で。


 だが、なぜか苦しみの記憶が頭の中に残っていた。

きっと悪魔が返してくれたんだろう。

 スランプの苦しみ、あの二年をかけたAG賞の書き直しの日々。

 それから、それから……そして僕は自分に才能があるのを証明したんだ!



「早く書きたい」僕は家向かって、走り出す。



             了


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白い本 源公子 @kim-heki13

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