第5話 作戦会議

 次の土曜日、私は大和さんの指示通り、白シャツに黒のパンツ、スニーカースタイルで大和さんの喫茶店に朝っぱらから出向いた。本日より本格的にモグリのバイト、スタートです! ええんかいな……。


『いいのではないの? ご飯をご馳走になったので給仕の手伝いをする、ということで』

 まあそう言い換えること、できるか……


「おはようございまーす」

『おはよう』

「おはよう、なっちゃん、碧子様、早いね〜」

「……大和さんが8時に来いって言ったよね……って、あ!」


 カウンターに既に一人、お客様がいた。なんと紺の着流し姿で、濃いべっ甲のメガネを掛け白髪をオールバックにした、ダンディを絵に描いたようなおじさまだ。ヘレンドのグリーンのマグでカフェオレを……飲んでいる。私は反射的に頭を下げた。


「加賀さん、この子うちの新しいバイト、なっちゃん。なっちゃん、こちら加賀さん。常連さんだよ」

『はじめまして、なっちゃん』

「……はじめ……まして」


 身をもって呪いを現在進行形体験している私は、常識の通じないことがあることを知っている。でも碧子様が見えたのはつい最近だし、私は決して霊感が強い訳では無いと思う。

 でも、この加賀さんのただならぬ気配。うちの実家の……父の神事中の社殿の空気とほぼ同じ。


『……ふふ、かしこい子だ。ここでは我はただのコーヒー好きの客。よろしくな』

「あい……」

 今、私の顔、色が残ってるかしら?


 そしてなんとなく感じていた違和感の正体が一つ判明した。加賀さんは、、カフェオレを、握って、飲んでいる! 実体なのだ。


 唖然として、答えの出ない思考を脳内でぐるぐる回していると、大和さんの柔らかな声に遮られた。


「うちにはいろんなお客様が来る。まあ皆さんランチとか繁忙時は外してくれるけどね」

『大和、この店が混み合っているところなぞ、見たことないぞ?』

「うるさいね。それはさておき、なっちゃん、そらっ!」

 黒い物体を投げられた。キャッチして広げると、エプロン。胸当ての場所から縦に金字でデカデカと〈珈琲 卜部〉とプリントしてあった。


「なっちゃんのエプロン、早速ネットで注文しちゃった!」

 大和さんがニコニコと楽しげに笑っている。


「……ダッサ! 何で? 私も大和さんと一緒の腰巻カフェエプロンを思い描いてテンション上げてきたのに!」

「何言ってんの。なっちゃん初心者だからすぐ汚しちゃうだろ? 胸当て付きでいいの。いっそ割烹着にしようかと思ったよ。ほら、付けて……うんかわいい」

「……え〜」

 私が身につけると、大和さんは満足そうに頷いた。このハンサム、ファッションセンスはゼロみたいだ。もったいない。


「さあ、加賀さんの隣に座って。朝の賄いは卵サンドだよ。カップはどれがいい?」

 私の正直なお腹はグーと鳴った。バイトの日は何も食べてこないようにと言われたのだ。甘えていいのかな?


「えっと、じゃあ加賀さんのマネで、私もヘレンドにカフェオレ」

「碧子様は?」

『私もカフェオレで。カップは……一番下の段の……清水? で』


 大和さんはニコニコと厨房に下がり、既に準備をしてくれていたのか、サンドイッチがこんもり盛られたお皿をドンと持ってきた。


「え……これ3食分ですか?」

「は? 朝食分だし? しっかり食べて! その分働いてもらうんだから」

 そういいながらも手は動き、私と碧子様のコーヒーを丁寧に淹れてくれて、小さなミルクパンでゆっくり温めた牛乳と一緒にカップに注いでくれた。


「召し上がれ」

「『いただきまーす』」


 卵サンドはおそらく私が作る時の倍はマヨネーズが入ってて、当然美味しいけれど、カロリーを考えるとゾッとした。


「それでは、食べながら、碧子様成仏対策会議をしようか?」


 あ、今なんだ。私はカフェオレをゴクッと飲んで、パンを胃に押し込んだ。あれ、でも……。

 私の隣で私と同じようにカフェオレを飲んでいる加賀さんをちらりと見る。


「なっちゃん、加賀さんにも聞いてもらった方がいい。加賀さんは俺の何十倍も物知りだからね」

『そりゃそうでしょうよ』

 私のもう片方の隣で、碧子様がボソッと呟いて……、加賀さんは面白そうに笑った。


 加賀さんは私の協力者なのだ! ならば礼を欠いてはいけない。


「加賀さん、高山那智と言います。アドバイスよろしくお願いします」

『随分と素直な子だと思えば……なるほど、高山の子孫なんだね。懐かしい』


 懐かしい……んだって!


「さて、九時の開店まで一時間しかないから食べながらでいいからね。まず、碧子様、貴女が呪いをオーダーした家系はもう潰えた、ということでしたが、名前か何か覚えてますか?」


『……東十条の九鬼』

『また中途半端なとこに頼んだものだ』

 加賀さんが口を挟む。


「中途半端とは?」

 当然なんの予備知識もない私は、わからないことはなんでも聞く。斗真のためだ。


『九鬼は二流だ。一流どころの呪術屋はなんの足も残さんし……まあ返されるようなヘマも起こさん。そっと対象をさも病気のように殺して終わり。九鬼は雑なのだ。手順も術も。だから……』

『仕方ないではないか! 女の身の私の耳に入り、わたりがつく相手など、程度が悪いことなど百も承知。だが、あの時は……』


「加賀さん! ヒートアップさせるような言い方するなよ。なっちゃんも碧子様もぎりぎりなの! で、九鬼が途絶えてるってのはどう?」

『ああ、九鬼は武士の時代になってすぐ消えた。一人も残っていない』

 加賀さんが断言した。加賀さんは碧子様の証言の裏付けのために呼ばれてるのだろうか?


「じゃあ九鬼に術を回収してもらう案は消えた。次、碧子様が呪いたくなるほど愛した旦那様は、高山に術を返させたあと、どうしたのか、教えてください」


『……大和よ、それを聞いて何になる。お前ほどの術者ならば、千年前の埃かぶった話を聞かずとも、那智に降りかかっているものを払えるはずだ』

 碧子様が冷たい眼で大和さんを睨みつけた。


「碧子様に高く評価をしていただけて嬉しいですね。碧子様、何故卜部が当時も今も最強の術者であり続けることができるか、わかりますか?」


 大和さん、サラッと術者って……最強って言った。


「自分の力に奢らず、綿密な調査を行うからですよ」

『………』


「まあ、碧子様がどうしても旦那のことを言いたくないとおっしゃるのなら構いません。今すぐちょっと思いついた術をなっちゃんにかけてみましょう」


 ちょっと、思いついた術?


「もちろん、失敗の可能性が増え、なっちゃんに負担がかかるでしょうが」


 おいーーーーっ! と心の声でツッコミを入れる。

 私の顔面はきっと蒼白だ。


『おい、お前は素人なんだ。高山を本当に解放する気持ちがあるのならさっさとこいつの問いに答えろ! ったく、ババアのくせに、今更恥ずかしがりやがって!』


 加賀さんの容赦ない言葉に、碧子様は唇を噛み締め、俯いた。

『……章嗣あきつぐ様は、あの若い姫と、仲良く過ごしたのではないか? 自分を呪うような妻の元には……二度と顔は出さなかった』


「何故断言できないのです?」

『私はすぐに死んだ。呪いを返されたのよ? 呪い返しをした高山の先祖が自らかぶっただけではない。九鬼にも私にも当然返ってきた。相応の結果として、一年も経たずに死んだわ』


 碧子様も……死んだのだと初めて知った。


 それは呪いなどをかけた自業自得かもしれない。けれど、この令和を生きる私としては、碧子様と婚姻関係にありながら、浮気した夫のことが許せない。碧子様との仲を清算してから若い女のとこ行けよ!


 でも、かの光源氏も葵の上がいながら浮気し放題だったしね……お話とはいえ、そういう時代だったのかもしれない。


 碧子様の話題を変えたくて、口を挟む。


「大和さん、その浮気夫のことを聞いてどうするの?」

「うん、子孫がいるか? 現状を確認したいね。で、もしいたなら、高山にひっついてる呪いを正当な呪い先である彼? に一旦移し、呪いが単純になったところで解呪するのが安全だ」


 そんなこと、できるんだ……。

 でもそれは、理論上であって、

「で、でもさ、大和さん。その子孫……」


 カランカラーン!

 突如、店のドアのベルが鳴った。


「すみませーん。まだ開店時間じゃないと思うんですが、雨が降り出しちゃって……座らせてもらっちゃダメですか?」

 ヘルメット姿でサイクリングの格好をした、若い男性が二人、入ってきた。窓の外を見ると、大粒の雨がバラバラと音を立てて落ちていた。


「え、雨? それは大変だ。どうぞどうぞ」

「い、いらっしゃいませ〜」

 私も反射的にそう言うと、立ち上がって、カウンターを片付けようとした。


 加賀さんも、碧子様も消えていた。



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