#18 最後通牒は突然に

「週刊書春カクシュン」はしばしば、他社が完全にノーマークだったところからスクープを打ち上げるため、「書春カクシュンほう」との呼び名で知られていた。狂喜、詮索、羨望、嫉妬、憤激、絶望、打算、その他諸々の感情や思惑を、袋に詰め放題にして。


 その編集部から、射水いみず音楽事務所に電話が入ったのは、午後遅くだった。

「射水隆二りゅうじが、生前家庭内で暴力をふるっていたというのは事実でしょうか?」

 これを業界の文法を用いて翻訳すると「射水隆二の家庭内暴力疑惑について、記事を出しますよ」という意味になる。


 晴天の霹靂だった。


 スキャンダルとはほぼ無縁だっただけに、とっさの電話応対として適切であったかどうかわからない。ただならぬ様子に、社長の志原しはらが電話を代わり、事実とも虚偽とも言質を与えないよう、駆け引きが始まった。押し問答の末、志原は電話を切り、疲れ果てた表情でその場の全員に説明し、幸樹こうきへ連絡をとることと、その他の対応についての指示を矢継ぎ早に出した。しかし幸樹への連絡はタイミングが悪く、スムーズにいかなかった。


 できれば週刊誌の発売日前に、関係各所へ仁義を切って、対応のために下話をしておきたい……しておかなくてはならない。しかし、そうなると間違いなく「で、その記事は事実なの?」と聞かれるだろう。現在調査中でして、では、結局先方を混乱させるだけだ。認めるのかシラをきるのか。――シラをきるのはリスクが高い。間違いなく嘘をつくことになるからだ、おそらくは。


 しかし――当の虐待被害者とされる幸樹の明言なくして「事実です」と言い切るには、問題はデリケートすぎた。


 現在、射水音楽事務所には7名が所属している。そのうち3名が、射水家の闇を感じ取ってはいた。社長の志原は、射水隆二とは音大の同期で付き合いが古く、仕事でもプライベートでも関わりが多かった。幸樹とも幼少時から、射水の息子であり弟子であるとして、面識があった。しかしそれでも、幸樹も学生だったし、顔を合わせたのは月に3、4回もあれば多い方だった。幸樹がけがをしている姿を見かけたこともたまにあるといっても、さすがに会うたびにけがをしているわけではないし、そもそも会うのがこの頻度では、なんだかおかしいなと首を傾げるのがせいぜいである。しかも幸樹はちゃんと「転んだ」「クラブでけがした」などの鉄壁の言い訳を用意していたのだから。その上射水隆二の身体的暴力は、幸樹が高校生になってしばらくして止んでいる。志原が射水夫人に会う機会はもっと少なかった。おそらく真理子まりこの方でも、けがをしたときには事務所の人間に会うことを避けていたのだろう。志原に追及のきっかけはなかった。

 現在KO-H-KIコウキのサブマネをつとめる神村かみむらは、射水隆二が家族を直接殴らなくなり始めた頃に入社した。一度だけ、幸樹がけがをしているのを見かけたことがある。神村が異様に感じたのは、幸樹のけがそのものではなく、このとき幸樹が父親に向ける微妙な空気だった。しかしその後、幸樹の負傷を目撃することはなくなり、幸樹自身のことも、年齢からくる反抗期なのかもしれないと思うようになっていった。


 まさか射水隆二がそんなことを、と打ち消す気持ちも強かった。


 その後、射水隆二が亡くなり、妻の真理子もいなくなった。かすかに残った疑惑について、確かめた方がいいのかという気持ちよりも、もしたとえそうだとしても射水隆二はもう亡くなった、このまま忘れていった方が幸樹のためなのでは、という思いの方が強く、……つまり、志原も神村も、放置していたのである。


 だが射水幸樹は、その後芸名を変えていわゆる「キャラ変」を起こし、自宅でしばしば暴れているらしい。そして仕事で成果をあげていながら自己評価が低く、謙遜ではなく自身を貶すような発言をたびたびする。むしろ「自分はだめな人間」とでも考えているかのようだ。志原と神村はそれぞれに、なにかひっかかるものを感じていたのが現状だった。そして週刊書春のからの電話で、瞬時にいろいろなものがつながって、自分たちが重大なものを――おそらくわざと――見落としていたことに気づいたのだ。


 永山ながやま香里かおりは、もう2、3歩ばかり、「確信」寄りの位置にいたが、結局どうにもできなかったことは同じだった。


「いっそスポーツ新聞にでもリークします?」

 ひとりが眉をひそめつつ提案した。スクープ対策として、こうした手段が考えられる。週刊書春が発売される前に、別のところにこちらからあえて情報を流し、先んじてスクープにさせてしまうのだ。結局知られてしまうのだが、世間に名高い書春砲をまともに発射されるよりはまだダメージが少なくてすむ、という目算だ。だが志原は首を振った。

「書春を怒らせるぞ、取材に容赦がなくなる」

「……星野ほしの弁護士せんせいから回答がありました。出版差し止めの申し立ては、通らない公算が大きいそうです」

「よりによって書春か、バーター取引もきかないからな、あそこは」


 たとえば、週刊誌を出版している会社が、別にファッション誌や芸能誌なども手掛けている場合には、「おたくの週刊誌でそんな記事を出すなら、そちらの雑誌にうちのタレントは一切出さない」と言ってしまう取引方法がある。そうなると週刊誌もしり込みせざるをえない。だが週刊書春の会社は、そうした取引に使えそうな雑誌は取り扱っていないのだ。


「そもそも、そんな話をどこから掴んだんでしょう?」

 志原は椅子に体を投げ出し、冷めきったコーヒーをあおってから、質問に答えた。

野方のがた圭介けいすけって指揮者がいるだろう。若い頃は射水隆二の弟子で、あの家にもよく出入りしていたそうだ。小学生だった幸樹の様子に、疑問を持っていたんだそうだ。その話を酒の席で、記者にうまいこと引き出されたらしい」

 野方もまた、射水親子と同じ音大の出身だった。時々射水邸のサロンに邪魔したことのある野方は、射水隆二から弟子として、息子の幸樹を紹介されたことがある。小学生か、と思ったが、幸樹の音楽センスと技量には何度も舌を巻かされた。しかし、たまに、その幸樹に不審なけがを見たことがあった。体育でうっかりしたとか言っていたが、うっかりとは思えないけがと不自然なほど凍りついた表情に違和感が残った。だが当時の野方は、あこがれの射水隆二から直接指導してもらえるという歓喜でいっぱいだったし、その後は海外に留学してしまい、射水隆二の家族のことなどすっかり忘れてしまっていた。ところが最近、酔っぱらって射水隆二の話をしていた折にふと思い出し、酔いにまかせて「息子に暴力をふるっていたんじゃないか」というようなことを、雑誌記者にしゃべってしまった――それが発端だったようだと志原は、電話の攻防から得た情報を整理して明かした。


「幸樹! もしもし!」

 すべての仕事を中断して、幸樹に電話をかけていた香里が、突然声を張り上げた。

「やられたわ! 書春砲よ! 次の号に出るのよ! 射水隆二のDV疑惑の記事が!」

 志原は、横合いから香里のスマホを奪い取った。


「幸樹、志原だ。今後に影響するから、はっきり答えてくれ。お父さんに――射水隆二に、虐待を受けていたというのは、本当なのか――?」

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