第44話 信頼

 


 小鳥達が自由に空を飛び回る光景を頬杖をついて見上げ、ゆっくりゆっくりと流れる雲も一緒に見守るラフレーズはクイーンの言った6日が今日と知り、来るかも分からないヒンメルを待った。6日前、必ずヒンメルが婚約継続の意思を伝えにベリーシュ伯爵邸に来る、待っていてくれとクイーンに言われた。遠い甥の最後の悪足掻きをクイーンは見守る側に立った。2人が険悪な関係になれと望んではいないラフレーズはそれ以上は言わなかった。父は暫く休んでほしいらしく、理由はどうであれ騎士団長としての仕事の傍ら時折ラフレーズがきちんと休んでいるかを見に来る。自由に買い物をしていいとも、何なら商人を屋敷に招いてもいいとも言われてはいるがそんな気にはならない。

 部屋の床でゴロゴロして体を擦り付けるメリーくんに近寄り体を撫でた。彼のもこもこ毛は何度触っても飽きない。暫くはメリーくんのもこもこを堪能した。



「メエ」

「え」



 不意にメリーくんが放った言葉に驚くと部屋の扉が来訪者を報せた。声を掛けると侍女のルーシーが「お嬢様、王太子殿下がお見えです」と伝えた。今日は約束の6日。メリーくんがヒンメルが来ていると言ったのは間違いじゃない。彼が来ると待っていたから、着ているドレスも王太子を迎えるに失礼ではない物にした。

 不仲を知っているルーシーが心配の面持ちをする。待っていたのは自分自身の意思で決めた。なら、会うと決めたのも自分自身。



「メエ!」



 背中を押してくれたメリーくんに応えるようにラフレーズは「今行くわ」と玄関ホールへ赴いた。

 あまり久しぶりでもないが大きな扉付近で向かい合うヒンメルの印象が変わっていた。少々窶れた頬や砂埃がついた髪、外套も所々焦げて穴が開いていた。予想外な姿に目を剥くが何より視線を引くのはヒンメルが腕に抱く白い塊。普通より2倍は大きい猫は耳の先と尻尾の先に白い炎を灯していた。ヒンメルの腕に抱かれて安心しているのかぐっすりと眠っている。つい猫に視線が釘付けになってしまい固まった。不思議な猫の正体が何かと思考の海に落ちていくラフレーズを引き止めたのは静かなヒンメルの声。弾かれたかのように顔を上げた。



「すまない……本当は身形を整えてから来るべきだった。でも、どうしても1番にラフレーズに渡したかったんだ」

「この猫は……」

「クルルの湖に棲む聖獣だ」

「聖獣?」



 限られた人間にしか見えない精霊と違い、姿が見えてもほぼ人の前に現れないのが聖獣。神聖で清廉な場所にしか生息せず、個体によって持つ能力が違うと伝えられている。本でしか見た事がなく、長生きなクイーンですら片手で数える程度しか出会っていないと昔語られた。但し精霊とは意思疎通が可能なようで付いて来ていたメリーくんが顔を近付けると眠っていた聖獣が目を覚まし、眠そうにしながらもメリーくんの鼻に自分の鼻を押し付けた。

 メリーくんが見えないヒンメルには聖獣が寝惚けている姿にしか映っていない。聖獣を見下ろす面には疲労が滲んでいた。



「ラフレーズともう1度婚約をする為にはこの聖獣が必要だったんだ」

「何故……」

「クルルの湖に棲む聖獣は、信頼を司る」



 契約を交わすと聖獣は契約者の心を把握する。次に契約者へ向けられる個人の心を把握する。共にいれば対象者の心が契約者にとって悪な場合は白い炎を黒に変え、逆に善な場合は白い炎のまま燃え続ける。嘗て騎士が君主に絶対の忠誠を捧げる時、信頼の聖獣も捧げたとされる。己の忠誠を信じてもらう為に。クルルの湖に棲む聖獣の話は代々騎士団長を務めるベリーシュ家に生まれたラフレーズも知っている。子供の絵本のように沢山聞かされてきた。兄メルローも例外じゃない。

 今はラフレーズにもヒンメルにも見えるが契約を交わすと契約者にしか姿が見えなくなる。

 眠そうな聖獣を差し出され、戸惑いながらも受け取った。腕に乗った重みと温もり。大きな猫の姿をした聖獣は眠そうな金色の目でラフレーズを見上げていた。澄んだ真ん丸な金色の瞳にほんの少し笑って見せ、前に立つヒンメルへ向いた。



「殿下は私に聖獣と契約を交わさせて何をしたいのですか」

「今までの行いが消えるとは思っていない。水に流してほしいとも言わない。ただ、これからの私を見て判断してほしい。聖獣を探したのは私の気持ちが偽りじゃないとラフレーズに知ってもらいたかったんだ」



 今更なのはラフレーズだけじゃない、本人が痛感している。冷たい仕打ちは決して忘れない。メーラと揃って見せ付けた仲睦まじい光景は忘れられない。腕に抱く聖獣はとても愛らしいが身に秘める力は想像を絶する。



「殿下1人で見つけたのですか?」

「ああ。おじ上にはクルルの湖へ連れて行ってもらっただけだ。聖獣探しは一切おじ上の力は借りていない」

「見つからない時はどうしていたのですか」

「その時は、ラフレーズとの婚約を破棄していた……。5日経っても見つからなくて焦ってはいた。聖獣を見つけたのは今朝なんだ」



 寝る間も惜しんで探し続けた結果が身を結んだと安堵するヒンメルの言葉は嘘じゃない。証拠に普段身形に気を遣う今の彼はボロボロに等しい。睡眠時間も勿体ないとクイーンに無理を言って魔術で寝ないようにしてもらったとか。王太子として厳しい教育に耐えてきたといえど、人間自分が思う程頑丈じゃない。倒れたらどうするのかと問い詰めたくなった。実際表情には出てしまった。罰が悪そうにしながらもヒンメルは「必要だったんだ。私にはあまりに時間がなかったから」と言い切った。



「……他のご令嬢では駄目だったのですか。クイーン様に恋人になってほしいと頼んだ私より、もっと他に殿下をお慕いする方はいらっしゃいますよ」

「だとしても、私はラフレーズを選ぶ。自分勝手なのは百も承知だ。ラフレーズに信頼してもらえるなら、何だってする覚悟だ」



 ふるふると首を振った。



「次期国王である王太子殿下がそんな風に仰ってはいけません。聖獣を渡されたからと言って殿下、私は殿下を信じられる日が来るとは思えません」

「すぐに信頼されるとは思っていない。聖獣を渡したのは私が本気だと知ってほしかっただけなんだ。この件に限らず、聖獣がいればラフレーズにとっても有益になる筈だ」



 婚約破棄をしたら父や兄の補佐をしたいとぼんやりと考えていた。他者の心を把握し、契約者に伝える聖獣の存在は外交や社交だけじゃない、時に戦闘面でも役に立つ。身内から裏切者が出て九死に一生を得る時だってある。そんな時、聖獣がいれば相手の裏切りを伝え起きるであろう被害を最小限に抑えられる。

 ラフレーズよりも国王となるヒンメルにこそ必要な存在ではないのか。ラフレーズが返そうとしてもヒンメルに止められた。



「言ったろう。私が本気だとラフレーズに知ってもらう為に聖獣を見つけたと。契約をしたくないなら、それでもいい。ただ、ラフレーズに預かってほしいんだ」



 生き物の世話の経験はない。精霊達は己で生活をしている。ヒンメルに託されたのは普通じゃない生き物。何を食べるか、どの様に育てるか不明な点が多い。確か契約をしたら契約者の魔力を与えるだけで良いと昔読んだ本に書かれていた。朧げな記憶を引き出している最中、眠そうな顔が本格的に寝入ってしまった聖獣を見てしまい考えが霧散した。気の抜けた顔は固くなってばかりのラフレーズを柔らかくする。抱いたままお腹を撫でてみると抱き心地通りのもふもふだった。


 寝る間も惜しんで見つかる可能性が絶望的に低い聖獣を探し、見つけ出して身形を整えずすぐにベリーシュ伯爵邸に飛んできたヒンメルの覚悟は分かった。分かったからと言えど、簡単に許す気もない。ヒンメル自身も許されるとは思っていない。何度も口にしているのだから。



「メーラ様とされていたことを私ともするという事ですよ? メーラ様の時のような同じ事を殿下は私に出来るのですか?」

「……」



 急に黙ってしまったヒンメルを見て落胆する自分がいて吃驚した。疲れ果て、気持ちは尽きたのだと思っていたのに。刷り込みと言われようが幼い頃からの恋心は簡単には消せない。下から視線を感じた。聖獣がじっとラフレーズを見ていた。澄んだ金色の瞳に見つめられると何もかもを見透かされた気分になってしまう。苦く笑うと「ラフレーズ」とヒンメルが呼ぶ。

 切なそうに、苦し気に歪んだ面持ちがそこにあった。



「……もう……何をしても、駄目……なのか?」

「殿下……」

「ラフレーズをメーラの代わりになんて絶対にしない、聖獣の信頼を以てしても信頼できないのなら魔術を使ったっていい。

 お願いだラフレーズ、気が済むなら呪いだって何だって掛けたっていい、私に最後の機会をくれ……」



 プライドの高いヒンメルが必死になって必要としてくれる。湧き上がる気持ちは嬉しさと同時に今までの仕打ちで涙を流した怒りが溢れ出た。全てが今更なのにヒンメルが自分を必要と言う言葉を信じたい自分とどうせ時が経てば彼は元に戻ると信じない自分がいて。

 言葉を発しようと口を開き掛けては閉じるを繰り返した。上手い言葉が見つからず黙ったままでいると段々とヒンメルの顔色が悪くなっていく。

 無理なのか……微かに聞こえた。ヒンメルから発せられたか細い声に驚くも、まだ言葉が見つからなくて黙ったままとなる。すると腕に抱く聖獣が可愛い見た目に反して野太い鳴き声を聞かせた。意外な鳴き声は2人の間にある緊張感を取り除いた。呆けて聖獣を見ていると再度同じ声で鳴かれた。側に来ていたメリーくんが聖獣の言葉を通訳した。曰く、今ヒンメルがラフレーズに言っている言葉に嘘は1つもないと。

 聖獣は欠伸をして眠った。メリーくんが鼻を聖獣の背中に擦り、ラフレーズの隣に座った。


 ラフレーズの好きなようにしたらいい。


 メリーくんは悩み迷うラフレーズの背を押す。


 聖獣とメリーくんを交互に見やった後、気持ちを改めヒンメルへと顔を上げた。



「そこまで仰るのなら殿下、貴方を信じさせてください」

「ラフレーズ……」

「最初に言った通り、私は殿下を信用する日が来るとは思えません。……ですから、私が殿下を信用出来る日を殿下自身が作ってください」

「……ああ、勿論だ」



 青く染まっていた相貌が微かに元の色を取り戻しつつあった。聖獣の重みが耐えきれなくなり、眠る聖獣を見守っているルーシーにそっと渡し、再度ヒンメルへ向き直った。



「期限は1年です。1年過ぎても私が殿下を信用出来ないと言ったら、その時は婚約を破棄します」

「分かった。それでいい」



 1年の期限はメーラとヒンメルの恋人の期間でもある。1年が経たない内にメーラはファーヴァティ公爵家を父共々追い出され南国のハーレム王に嫁いで行った。ヒンメルに事実を言うのは酷だろうが何れは知る。この件については国王から話がいく。

「あ!」焦った声を出しヒンメルに駆け寄った。体から力が抜けていくように膝から崩れたヒンメルの側へ行き、疲労が濃く刻まれた顔に苦笑を向けられた。



「す、すまない。安心したら体から力が抜けてしまって」

「本日のところはお城にお戻りください。殿下の体調が良くなったら必ず登城しますから」

「な、なら、その時は! その、……この間間に合わなかったお茶会をさせてもらえないだろうか」



 毎月ある婚約者としてのお茶会に初めて間に合わなかった時からヒンメルはずっと気にしていた。罰が悪そうにお願いされればラフレーズも断れない。了承の旨を伝えるとまだ続きがあった。



「そこで……今のラフレーズが好きなスイーツを教えてくれないか? ラフレーズの好きなスイーツを私も好きになりたい」



 今までのヒンメルなら出なかったであろう言葉に目を見開くもラフレーズは微かに笑んで「分かりました、殿下」と受け入れた。



「殿下の好きなスイーツも教えてください。殿下が何を好きか、私も知りたいです」



 甘い物は苦手でも食べられない程じゃなく、ヒンメルが好きな物なら食べられる。ホッとした息を吐き、安堵の情を見せたヒンメルはラフレーズの手を借りて立ち上がった。



「体力が回復したらすぐに招待状を送る。私とラフレーズの好きなスイーツを用意して……ラフレーズを待っているよ」



 初めて見た優しい微笑を心に刻み「必ず参ります」とラフレーズも微笑みを返した。

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恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ @natsume634

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