第37話 暴露



「ラフレーズ……!」



 続いて入ったクイーンは室内の惨状に目もくれず、頬が腫れ上がり鼻血が止まらない状況下でもヒンメルの治癒を優先するラフレーズに顔を歪めた。



「この、馬鹿っ! すぐにヒンメルから離れて治療を受けろ!」

「今さっき、殿下の指が動いて私の手に触れたんです! 回復の兆しを見せた殿下の手を離す訳にはっ」

「意識が戻り始めているなら、少しの間離したくらいで症状が逆戻りになることはない! 今すぐに手を離してこっちに来て治療を受けろ!」

「は、はい!」

「ラフレーズ嬢、クイーン様の言う通りに! ラフレーズ嬢の分まで私が殿下の治癒を進めておきますので……」



 全身に掛けていた重力を解き、一瞬ヒンメルの手を離すのに躊躇するも、再度クイーンに呼ばれたラフレーズは手を離した。離す間際、強く手を掴まれた気がした。必ず後で治療をしに戻るという意思表示を兼ねて強く魔力を送った。不思議とヒンメルの顔色が穏やかになった気がした。

 室内全体に走る罅は既に止まっており、隙間から漏れていた殺気も静まっている。見るとシトロンの肩にクイーンが手を置いていた。



「お前もそろそろ落ち着け。病人がいる部屋で魔力を解放すんな」

「……申し訳ありません」

「ラフレーズ、こっちだ」



 手招きされて2人の許へ。クイーンの側まで来ると大きな両手が頬にそっと触れた。

 痛々し気に顔を歪め、次に腕を折られ未だ絶叫を上げるトビアスと大袈裟に震えるメーラを一瞥後、治療を始めてくれた。



「頬の骨が折れて、鼻の骨にも罅が入ってんな。唇も切れてる。よくもこれだけの大怪我を負って泣かなかったな」

「殿下の治癒を止めたくてなくて必死で……」



 それと付け加えて抵抗されないのを良い事に理不尽に暴力を奮ってくるファーヴァティ公爵父娘に恐怖を持っていたのも事実。クイーンの魔術を介して流れる魔力の温もりで激痛はあっという間に消え去り、膨れていた頬が元に戻っていく気がした。


 ラフレーズが治療を受けている間、床に蹲り絶叫を上げているトビアスの首根っこを掴み、無理矢理正面へ向かせたシトロン。腰を抜かしたメーラが手を伸ばすも睨むだけで動きは止まった。

 トビアスの髪は乱れ、額には大量の汗、苦痛に歪んだ顔。絶世の美貌と名高い男だが、苦痛に歪む顔も美しい。

 この男の末路は駆け付ける前のメーロが語った通りなら、碌でもないだろうが自分は一切の慈悲は与えない。



「ファーヴァティ公爵。答えていただきましょう」

「な、何を言ってるの、伯爵がお父様の腕を折ったせいで喋れないんじゃないっ」

「では、貴女に聞きましょうファーヴァティ公爵令嬢。人命救助の最中であるラフレーズを殴った理由を。正当な理由があっての行いなのですか?」

「そ……れは……」

「どうしました? 何故口籠るのです? 私達が部屋に近付くと令嬢や公爵の声が届いていましたよ。殿下の恋人である貴女が殿下の側にいるべきだと、殿下の治療をしているラフレーズに退くようにと。

 再度お訊ねします。何故、人命救助の邪魔をしました?」

「あ……あっ……」



 物質に影響を与える魔力と殺気を仕舞っても、感情までは完全に消せていない。声色に乗せられた激しい怒気と他者を圧倒する威圧は、ただの公爵令嬢であるメーラには相当な負担となっており、思考すらまともに機能していない。

 ラフレーズを治療しているクイーンが小言を飛ばそうとするも「閣下、ラフレーズさんの治療に専念してください」と止めたのはメーロ。


 夫と娘を見る蜂蜜色の瞳には何も宿っていない。



「お、俺やメーラが誰だと分かって言ってるのか!!」



 ずっと骨を折られた痛みで苦しむトビアスが娘を守ろうと首根っこを掴まれたまま口を開いた。



「ファーヴァティ公爵家は筆頭公爵家だぞ!!」

「だから何だと言うのです。筆頭公爵家であれば、王国貴族の模範となるべき家。ファーヴァティ公爵家の者なら、正当な理由もなく他者に暴力を奮っていいと?」

「伯爵家風情の娘が俺の娘を馬鹿にしたんだ! 少し魔術が得意なくらいで」

「ほう……? どう馬鹿にしたのか、お教えください」

「い、いいだろう」



 汗を流しながらも得意げな顔でメーラを侮辱した言葉を述べていくトビアスを更に温度が下がった瞳で見るメーロ。温度差の激しい2人を見つつ、ラフレーズは父の出方を気にした。

 トビアスの理由を聞き終えたシトロンは――怒気を強め、首根っこを掴む手に力を入れた。暴れるトビアスに向かって怒号を放った。



「治癒は魔術の中でもトップクラスの難易度を誇る高等技術。魔術の得意ではない者に命を落とす危険がある殿下を治療させようとした? ――愚か者!!」

「ひ、ひ……」

「貴殿は己の見栄の為にメーラ様を王族殺害の犯罪者にしたかったのか!?」

「ち、ちが」

「更には、殿下の救命に当たったラフレーズへの理不尽な暴力行為。聞けば先に手を上げたのはメーラ様とか」



 ぎろりと腰を抜かしたままのメーラへ戦場に立つ騎士さながらの眼光が注がれた。意識を飛ばしそうになるも、不思議と意識は明確に保ったまま。

 メーラに手を出されると思ったトビアスが攻撃を仕掛けて来るも、首根っこを掴んだままトビアスに魔力を流し魔術の使用を妨害した。また、暫く使えないようトビアスの体内の魔力の流れを一時的に停止した。

 詠唱を唱えても魔術が発動しないと焦るトビアスに魔力の流れを一時停止させたと告げると絶世の美貌は面白いくらいに恐怖に呑まれた。



「子が間違った行いをしたなら、それを叱り正すのが親の務めではないのか。ただ可愛がって、肯定して、間違いを正さないのは親の務めではない!」

「お、お前なんかに」

「貴殿も貴殿だ。紳士として無抵抗の女性の顔を殴るなど言語道断、恥を知れ!」

「な、き、貴様黙って聞いておけば、誰に向かって口を……!」


「旦那様」



 正論を説かれても自分は悪くない、悪いのはラフレーズだと認めないトビアスとメーラ。クイーンの治療によって大半の傷が癒えたタイミングで側にいたメーロが声を紡いだ。驚く程冷たく、静かな声色。一瞬、背筋に冷たい雫が落ちて震えた。この場にメーロがいる事に驚愕する2人。だが、トビアスは希望を見出したとばかりに顔を輝かせた。



「め、メーロ! 良かった、お前からも伯爵に言ってやれ!」

「分かりました」



 メーロはシトロンへ向き、深く頭を下げた。

「お、お母様……?」「何をやってる……?」呆然と見上げるメーラとトビアスの存在をまるっと無視したメーロは同じ体勢のまま、謝罪を口にした。2人から非難の声が上がるが、シトロンの睨みですぐに黙った。



「公爵夫人、どうか顔を上げてください」



 シトロンの言う通りに顔を上げたメーロは再度謝罪を口にした。



「ベリーシュ伯爵。夫トビアスと娘メーラの御無礼をお許しください。ラフレーズさんが殴られた分以上にこの2人を殴っていただいて構いません」



 トビアスとメーラから悲鳴が上がる。

 シトロンは「いいえ」と拒否を示した。



「如何なる理由があろうと、無抵抗の人間に暴力は奮いません。私の、騎士としての矜持です」

「伯爵ならそう言うと思いました。ですがファーヴァティ公爵家として、ベリーシュ伯爵家に償いはさせていただきます」



 横から悲鳴と文句を上げ続ける声を強制的に黙らせたメーロは無感情の瞳のまま、床に座ったままの2人に向いた。



「旦那様、かなり前から愛想は尽きていましたが此度の一件で貴方には憎悪しか湧きません。メーラ、貴女もよ。旦那様の甘言にしか耳を傾けず、自分勝手に振る舞う貴女にも愛想が尽き果てました」

「何を言っている! 俺はお前の夫だぞ!」

「お母様酷いわ! わたくしがお母様の妹に似てるからって、それだけでわたくしを嫌っていつもいつもお姉様ばかりを可愛がっていたくせに……!」



 反論を始めた2人に対し、突然メーロは大笑し出した。社交界の貴婦人として名高いファーヴァティ公爵夫人とは思えない姿に室内にいる者はギョッとした。特に、未だ懸命にヒンメルの治療を続ける魔術師は自分は此処に居てもいいのかと場違いな感覚を芽生えさせていた。

 一頻り笑ったメーロは冷たい微笑みでメーラを見下ろした。



「そうね、貴女は私の双子の妹アップルにそっくり。そっくりで当然よ。貴女は旦那様とアップルの不貞の証ですもの」

「…………え…………」



「メーロ!!」と骨折させられた腕の痛みは怒りで何処かへ飛ばしたらしいトビアスが怒鳴るも、飄々と躱したメーロは室内を窺う騎士数人を呼びトビアスと放心状態のメーラを馬車に積むよう指示を飛ばし、再びシトロンへ向いた。



「ここから先は我が家の問題となります。後日、ラフレーズさんとベリーシュ伯爵へお詫びを」

「良かったのですか? アップル様と彼が……」

「良いのですよ。少し前から、お腹を括らねばとは思っていましたから」

「メーロ様……」

「ご心配なく。私は大丈夫です。私の可愛い娘グレイスがいてくれれば十分ですから」




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