第33話 精霊も戦う①

 


 抗えない術に洗脳された愛する人からの冷遇に耐え、正気に戻った後も愛し続けたのは長く築き上げてきた信頼があったからこそ。当時のファーヴァティ公爵令嬢が国王に直談判をしてまで王太子の毒杯を止めたのは、信頼と愛が尽きることなく有り続けた為。

 もしも、と思う。

 ヒンメルが『魔女の支配』によって洗脳され、その後正気に戻ったとして、自分は公爵令嬢のように待っていられるだろうか、愛せるだろうか、と。

 今のラフレーズには答えられない。すぐに出せるのは無理という2文字のみ。深く考えないとならない。


 信頼関係があった2人だからやり直せた最後。ファーヴァティ家最果ての領地で2人は生涯を終えた。子供は作らず、領地の発展に力を入れ、亡くなる時も1日違いだったと聞かされたラフレーズは心底羨ましくなった。


 涙が出そうになる目に力を入れ、思考を切り替えるべく話題を変えた。



「『魔女の支配』が関与しているとして、マリン嬢が高位の令嬢達にも使用しているのは何故なのですか? そもそも『魔女の支配』は想い人がいる異性にしか通用しないと教わりました」

「それについては私達にも分からないんだ。ただ、彼女が『魔女の支配』を使っているのは確かなんだが」



 明確な証拠がないのだ。『魔女の支配』を使っているという、確固たる証拠が。



「マリン=コールドの目的については不可解な点が多すぎる。最たるはヒンメルとメーラ=ファーヴァティを結ばせて何がしたいのかだ」



 ヒンメルとラフレーズの関係が拗れば拗れる程、マリンはほくそ笑み満足気な相貌を浮かべると話すとシトロンやメーロも不可解だと顔を歪めた。

「公爵夫人」とクイーンが呼んだ。



「コールド男爵家とファーヴァティ公爵家が縁を持って得はするか?」

「いいえ。コールド男爵家と繋がっても我が家に大した利益は生まれません」

「なら、お前のところの駄目男と男爵個人は?」

「ないですわ。旦那様、自分の顔が良いのが自慢でしょう? 太った中年男性の男爵と交流を持つとは思えません。付き合う相手の容姿に拘りを持つので」

「そうか」



 メーロが言うなら、個人的関係は否定された。

 益々マリンの目的が分からなくなった。メーラが王太子妃になるとマリンにとって有益になるのでは? とメーロが疑問に出すも、クイーンとラフレーズの考えが出ると額に手を当てた。



「クイーン様とラフレーズさんの言う通りさっぱりね……。コールド男爵令嬢にとってのメリットが何か探る必要もありますわね」

「権力や地位が目当てとも思えません。もっと、別の、誰も考えつかない狙いがあるような……」

「ラフレーズさんには心当たりが?」

「全くありません。ただ、これだけ考えて何も出ないのなら、そんな理由しかないのかなと」



 シトロンやメーロを交えてもマリンの目的については完全なるお手上げである。


 父やヒンメルの極秘調査が『魔女の支配』と知った今、ラフレーズの胸中は複雑だった。目的の為に近付いたメーラに心奪われたヒンメルへの片思いはもう止めたい。止めよう。

 次に顔を合わせる時はすぐにやって来るだろう。その時、今朝の非礼を詫び、改めて婚約解消を願い出る。


 気持ちを落ち着かせたくて温くなった紅茶を飲み干した。



「紅茶のお代わりを頼もうか、ラフィ」

「あ、お願いします」



 空になったティーカップを見兼ねたシトロンが呼び鈴を鳴らした直後、乱暴に扉が開かれた。鋭い叱責を飛ばしたシトロンに怯えつつも、部屋に入った騎士は「団長! 緊急の連絡を!」と跪いた。只ならない気配を感じ取ったシトロンは報告を求めた。

 騎士から上がった言葉は全員に衝撃を与えた。


 すぐにサロンを出て王太子の部屋へ目指した。

 室内に足を踏み入れ、寝室へ飛び込んだ先に広がる光景に目を疑った。


 ベッドに寝かされているヒンメルの顔色は青白く、王国に仕える優秀な魔術師が集まって快復魔術を施していた。ベッドの側にはリチャードが立っており、覗く横顔は非常に険しかった。

 空色の瞳がラフレーズ達に向けられた。



「陛下、これは」

「シトロン、おじ上やラフレーズも。ファーヴァティ夫人まで。……少し前に連絡が入った。ヒンメルが突然倒れたと」



 最後の別れが絶縁を突き付けた悲惨極まるも、異変によって意識を失ったヒンメルは目を覚まさない。

 ヒンメルの左手を握っている魔術師がシトロンを呼んだ。



「団長、殿下は今深刻な精神汚染に侵されています」

「精神汚染?」

「顔色が悪いのは悪夢を見続けているからでしょう。私達でさえ、殿下の意識を留めるのが精一杯です。早急に手を考えねば、このままでは……!」

「ふむ……」



 精神汚染、と聞いて浮かぶのは『魔女の支配』のみ。けれど、そうであるなら魔術師達は気付く。『魔女の支配』ではなく、別の理由でヒンメルが深刻な精神汚染に侵されたのなら原因は何か。

 学院へは調査隊が向かっており、何時精神汚染の術を掛けられたかは到着次第調査開始となる。


 ふらふらとヒンメルの側に立ったラフレーズは自分が触れていいのか一瞬躊躇するも、肩に手を置いたシトロンからの眼差しに頷き、魔術師が握っていないヒンメルの手に触れた。


 顔も見たくない、声も聞きたくないと叫んだ相手に触れられるのは嫌だろうが今この時だけは我慢してと願う。



「殿下……ヒンメル殿下……!」



 ――どうか、目を覚まして……!





 一方――マリンの監視に志願したクエールは仲良しな精霊に頼んで一緒に張り込みをしていた。

 茶色の艶々な毛並みに真ん丸なきらりと光る黒い目、通常の牛より2倍は大きい、牛の精霊モリー。普段はファーヴァティ家の庭の草を食べている。クエールとは長く付き合いがある。

 クエールは約700歳に対し、モリーは約1200歳。クエールよりも長生きなモリーは限界まで黒い目を開いていた。


 場所は学院の屋上。誰もいないのを良い事に黒くて大きな鳥の精霊に文句をぶつけるマリンがいて。黒い鳥精霊はうんざりといった様子でマリンに再度告げた。



『だから言ったろう。強制力を強くすれば、何が起きるか分からんと』

「だからって、それでヒンメルが倒れたら意味がないじゃない! メーラが泣いても起きなかったのよ?」

『知るか。此方の忠告を聞かず、強制したのはお前だ。これで王子が廃人になろうが関係ないね』

「も~! それだと意味がないの! ヒンメルが2度と起きなかったら、メーラの幸福な人生が起こらないじゃない……!」



 マリンが何を言っているのかクエールとモリーにはさっぱりと分からない。分からなくてもマリンの思考は危険であり、一緒にいる精霊は更に危険なのが分かる。というか、である。



「クワワ」

「モ~」



 クエールの言葉にモリーは賛同する。マリンの魔力や魔術の才は彼等にとって脅威じゃない。危険極まりないのは精霊の方だ。

 クイーンへ応援を飛ばす時間も惜しい。



「クワワ……」



 以前、学院にいると急に体から大量の魔力が消費した。あの時はクエールも原因不明で考えていたが、精霊を見た瞬間原因を知った。

 約300年以上前に起きた王国を揺るがした事件において、人間が名付けた『魔女の支配』という洗脳術。


 その元凶がマリンといる精霊だ。



「そうだ! ねえ、ヒンメルは今悪夢を見て苦しんでいるのよね?」

『ああ。大方、婚約者に捨てられる夢をエンドレスで見ているんだろうよ』

「じゃあ、ヒンメルの夢に出て来るラフレーズをメーラに変えてよ。メーラならヒンメルを見捨てないもん!」



 マリンの斜め上な発想は長寿の精霊2匹の口をあんぐりと開けさせる奇抜さがあった。どこを見ても可愛らしい人間の少女にしか見えないのに、笑顔のまま残酷な考えを思い付き口に出せるところが恐ろしい。

 うんざりとしながらも精霊はマリンの願いを叶えようと術の展開を始めた。


 途端、クエールとモリーに襲う強烈な脱力感。

 2匹は魔力を奪われてたまるか、と威勢よくマリンと精霊の前に飛び出した。





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