第12話 惨めになっていく

 


(ク、クイーン様ったら……!)



 額にキスを落として去って行ったクイーンの行動に照れるなと言う方が無理であった。第一、男性にそんな事をされたのは父シトロンや兄メルローくらいなもの。

 絶世の美貌と言われる美女ですら、クイーンの前に立つと霞む。それだけ、彼の容姿は人間離れし過ぎている。教室にいる生徒達からの視線が凄いが今は気にしないでいられるのは、ある意味でクイーンのお陰なのが悔しい。


 机に両肘を立て、手に顔を乗せた。チラリと周囲をみるとヒンメルやメーラはいない。どうせ、2人っきりになっているのだろう。

 自分の事を棚に上げて、クイーンと親しげにするラフレーズに冷たく当たるヒンメル。事情があるにせよ、もうヒンメルに期待したくない。期待すればするだけ、自分が惨めな敗者となっていくから。



(……はあ……)



 ラフレーズが王国の忠臣と名高いベリーシュ家の令嬢なのと母親が隣国の王女だった事もあってか、気軽に話せる友人が少ない。時には公爵家と同等の力を発揮するベリーシュ伯爵家に恐怖を抱く貴族は多い。伯爵が大切にしている娘に何かあれば、責任の矛先は自分に向くと恐れられ、気軽に話し掛けてくれる人がいない。

 悲しいながらも、ヒンメル関係でこれは助かっていた。

 ヒンメルがメーラと恋人になり始めた当初の視線の数は凄まじかったから……。


 無言で下を向いて机を眺めているだけでも時間は過ぎていき――。

 時刻は昼になった。

 昼食は家からお弁当を持参するか、食堂で食べるかのどちらか。平民出身の生徒が買いやすいようにと、お手頃な値段のメニューもあるので毎日食堂は生徒で溢れ返っている。


 食堂には、毎日一緒にヒンメルとメーラがテラス席で食事をしている。その為、ラフレーズは室内で摂っていた。婚約の誓約魔術を解除し、クイーンと恋人になったのだから、もう彼等を気にして食事をしなくてもいいのではと思う。



(今日はテラスで頂きましょう)



 何より、外で食べると美しい花々を眺めながら食事が出来る。また、何時精霊に異変が起こるか分からない今、すぐに向かえる外がいい。

 席を立ったラフレーズは「ラフレーズ」横から飛ばされた声に体を強張らせた。視線を向けた先にはヒンメルが立っていて。



「……」



 人を視線で殺したいのかと言いたくなる鋭い眼光をラフレーズへと向けていた。婚約の誓約魔術を解除したから、彼が近くにいると気付けなかった。

 睨んでくるだけで何も言ってこないヒンメルと負けじと睨み返すラフレーズ。生徒達は何が起きるのかとハラハラとした気持ちで静観する。



「……?」



 ラフレーズが睨み返すと何故かショックを受けたような面持ちをしたヒンメルに内心首を傾げ、いつまで経っても何も言ってこない。早く行かないと昼休みが終わってしまう。



「殿下。ご用がなければ失礼しますわ」



 軽く頭を下げて横を過ぎた掛けた時、ヒンメルの手が上がった。

 しかし、上がっただけで何もしてこなかった。

 結局、ヒンメルがどの様な理由でラフレーズに声を掛けたのかは本人以外知る者はいず。



「何だったのかしら……」



 ラフレーズは考えてみるも、どうせクイーン絡みだと解釈する。今朝、教室まで送り届けてくれたクイーンが額にキスをしてきたのを他の生徒から耳にしてまた怒りに来たのかも知れない。……自分はメーラと親密になっているくせに、とどうしても思ってしまう。

 食堂に到着したラフレーズは今日のランチを頼み、料理を受け取ると席を探した。テラスは満席だった。が、幸いにも食堂内は隅の方だが席は空いていた。そこに座った直後、誰かが前に座った。誰だろうと顔を上げて呆然とした。

 前に座ったのは、教室で何を言いに来たのか不明なヒンメルだった。


 ヒンメルの前に置かれている料理はラフレーズと同じ今日のランチ。



「……何のつもりですか。いつもはメーラ様と仲良くテラスで食べているくせに」



 自分が出せる最大限の冷たい声をと意識したら、自分でも吃驚する声色が発せられた。内心驚いていると知らないヒンメルは、教室で向けていた眼光のままラフレーズと向かい合う。



「僕の勝手だ。ラフレーズには関係ない」



 この台詞は何度も聞いてきた。

 メーラと恋人になり始めた頃にラフレーズはヒンメルに訴えた。メーラと別れてほしいと。その度に上記の台詞を紡ぎ、ラフレーズを傷付けてきたのはヒンメルだ。


 トレーを持ったラフレーズは席から立ち上がった。



「待て、何処へ行く!」

「どこで食べようが私の勝手です。殿下には関係ありません!」

「っ!」



 自分の放った台詞をそのまま返され、憎々しげにラフレーズを見上げてくる空色の瞳には絶望感しかない。移動しようとしたらヒンメルが腕を掴んだ。何を言うでもなく、座れと目で責めていた。



「メーラ様にはこんな乱暴な真似はしませんのにね……ああ、それとも、隣国との関係強化の為に無理矢理結ばされた嫌いな婚約者より、恋人を大事にするのは当然なのですね殿下にとっては」

「今は関係ないだろう」

「関係ありますわ」



 大声は出していなくても、2人は元から目立つ存在。去ろうとするラフレーズをヒンメルが無理矢理留めておこうとする光景にしか見えない。周囲の視線や耳は2人に集中し、ラフレーズが紡いだ隣国からの下りでギョッとした生徒は何人もいた。

 トレーを片手で持ち、ヒンメルに掴まれている腕を振り払おうとしてもヒンメルの力が強く放せない。

 険悪な空気が流れ始めた頃、砂糖菓子のように甘い声がヒンメルを呼んだ。



「ああ、殿下、探したではありませんか」



 魅力的な赤い髪を靡かせ、蜂蜜色の瞳を光らせてヒンメルに駆けたのはメーラ。両手には今日のランチが載ったトレーを持って。ヒンメルに引き止められるラフレーズを睨むも、すぐにヒンメルの横にトレーを置いてヒンメルの腕に抱き付いた。



「殿下、ラフレーズ様が嫌がっているではありませんか。その手をお放しください」

「君は引っ込んでてくれメーラ。僕はラフレーズに用があるんだ」

「殿下……!」



 冷たく突き放されたメーラはショックを受けたように顔を青ざめさせ、涙を流し始めた。「あ……」と拙いと抱いたのか、ヒンメルはラフレーズの腕を掴んでいた手を放してメーラへ向いた。



「……」



 一気にヒンメルに対する好意が消えていく。引き止め、メーラの存在を横に置いてでも何かあるのだと一瞬動き掛けた体はすぐに止まった。メーラの肩を掴み、慰めるヒンメルを見る自分の目はきっと冷えている。


 今までにない以上に冷えている。

 途端、急激に自分が惨めになってきた。

 此処にいたくない。

 でも、絶対に失態を見せてなるものかとラフレーズは自分の心に言い聞かせる。動く気配を感じたヒンメルが待てと言ってくるが――



「どうぞ、メーラ様といつものように楽しくお食べください。私は此処よりもずっと良い場所でお昼を頂きます」

「! 待て、それはおじ上のことか!」



 一言もクイーンの名を出していないのに。何でもかんでもクイーンと連想させ過ぎな気がしてならない。背後から飛んでくるヒンメルの声が聞こえない振りをし、食堂からテラスへと逃げたラフレーズは偶然空いていたテーブル席に座った。



「はあ……」



 結局ヒンメルの目的は分からずじまい。



「……」



 時間が過ぎたのもあって、人が少なくなっている。



「っ……」



 とことん惨めになっていく。ヒンメルのことは諦めようとしているのに、心とは一筋縄ではいかないらしく、簡単には消えてくれない。

 込み上げてくる涙に抗えず、俯いたラフレーズの耳に「精霊が慌てて呼んでると思ったら」とクイーンの声が届いた。慌てて顔を上げたら、苦笑しているクイーンがラフレーズの隣に座っていて、彼の後ろには大きな白い鳥の精霊クエールが立っていた。

 少々息を切らしているのを見ると、クエールがクイーンを呼んでくれたみたいだ。


 クイーンの名前を紡いだら、涙が落ちていく。安心してしまった。強い味方が側に来てくれたから。

 クイーンの大きな手がラフレーズの頬に触れた。



「何があった」

「あ、いえ……ごめんなさい、ご心配を」

「いい。話してみろ」



 王城で隠れて泣いていた所を見つけてくれた時も、こんな風にクイーンは接してくれた。ラフレーズが精霊を友達として大切にする一方、精霊にとっても数少ない自分達が見えるラフレーズは大切な存在。ラフレーズに何かあれば精霊はいつもクイーンを呼ぶ。

 涙が止まらないまま、昼休みが始まってからの話をした。


 聞き終えたクイーンは「あの馬鹿が……」と呆れた。



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