僕と彼女のなれそめ

ゆきまる書房

……まあ、いっか

『裏山の廃墟に、それはそれは恐ろしい化け物が住んでいる』

 小学校で流行っている噂。『その化け物を見た人は、恐ろしさのあまり喋れなくなり、一週間以内に死んでしまうらしい』って続きが最近出来た。……喋れないなら、何で裏山に化け物がいるって伝わってるんだよ。クラスで得意げに話すたっちゃんに、思わずそんなことを言ったら、三日は口を聞いてくれなかった(給食のプリンを渡して許してもらったが)。

 そんな噂を信じていない僕が裏山に来たのは、そのたっちゃんに無理やり連れて来られたから。「お前がそんなに嘘だって言うなら、俺が本当だって証明してやる」と無茶苦茶なことを言われ、なぜか僕もついてくる羽目になった。……給食の冷凍ミカンがなかったら、絶対来なかったのに。

「さあ、アキラ! 絶対に化け物見つけるぞ!」

 やけに目をキラキラ輝かせたたっちゃん。僕はため息をつき、ずんずんと前を進む親友についていった。


「たっちゃん、もう帰ろうよ。お母さんが心配するって」

 あれからどれだけ時間が経ったんだろう。空は赤色からどんどん色が濃くなってきて、辺りで烏がしきりに鳴いている。そろそろ帰らないと、お母さんが怖いのに。前を歩くたっちゃんは、どんどん奥に進んでいく。「たっちゃん!」と僕が怒った声と呼ぶと、立っちゃんは振り向いて顔を顰めた。

「うるさいな、化け物を見つけるまでは帰らないって決めたんだよ」

「化け物より、たっちゃんのお母さんが怒った方が怖いよ」

「……けど、化け物」

「だーかーら、化け物なんていないって。ほら、早く帰ろう」

 ブスッとした表情のたっちゃんだったが、僕はカンカンに怒ったお母さんの方が怖いので、くるりとたっちゃんに背を向けた。そのまま道を下っていく。少ししてから、後ろからザッザッと音がして、たっちゃんもようやく諦めたかと溜め息をついた。

「たっちゃん、たっちゃんは人の話を信じすぎだよ。大体、あの噂だって、聞いてみたら変なことばかりじゃないか」

「……」

「化け物を見たら喋れなくなるのに、何で裏山に化け物がいるって分かるんだよ。そんなの、誰かがついた嘘に決まってるだろ」

「……嘘じゃないよ」

「はぁ、だから……」

「だって、化け物は姿を変えられるんだ」

「それもどうせ噂だろ? たっちゃんはさ……」

「化け物はね、一度食べた人間に姿を変えることができるんだ」

 たっちゃんの言葉に、僕は足を止めた。後ろの音も止み、いつの間にか烏の泣き声も聞こえなくなっていて、辺りはしんと静まった。たっちゃんは、さらに話し続ける。

「化け物はね、とても腹が空いているんだ。昔は山に迷い込んだ人間をたらふく食べられたのに、ある狐に邪魔されて、今では食べられなくなったから」

「そんな噂あったっけ?」

「化け物は腹が減って減って仕方なくて、仕方なく山の獣を食うようになったんだ。でも、人間より不味い」

「たっちゃん?」

「人間の肉が食いたい。食いたくて仕方ない。そう思った化け物は考えた。だったら、『人間がこの山に来るようにすればいい』って」

「ねえ、さっきから何言ってるの?」

「『裏山には化け物が出る』。そんな噂が流れるようになってから、バカな人間どもが自ら山に来るようになった。久しぶりのご馳走に、化け物は大いに喜んだ。人間を食って食って食って、忌々しいあの狐も食べてしまえば、化け物にとって一番の幸せだから」

「たっちゃん……?」

 心臓がバクバクとうるさい。さっきから変だ。たっちゃんなのに、たっちゃんの声なのに、知らない人が喋っているみたいで。足も動かない。動かせない。振り向いたらいけないのに、そこにいるのがたっちゃんだと確かめたくて、壊れたロボットみたいな動きで僕はゆっくりと振り向いた。

「──だから、お前も俺の糧になってくれ」

 そこにいたのは、たっちゃんの顔がドロドロに崩れた、たっちゃんよりもずっと大きい肉の塊がいた。手足が体のあちこちから生えていて、口が耳まで裂けている。そいつから腐った肉みたいな臭いがして、全身から生えているこぶから、けたたましい笑い声が響いた。

 僕は何もできなかった。声をあげることもできなくて、その場にしりもちをついてしまった。逃げたいのに、足は震えて言うことを聞かない。肉の塊はケタケタと笑いながら、大きな口を開けた。口は胴体の真ん中まで開き、びっしりと僕の手よりも大きな歯が生えていた。「餌だ! 餌だ! 餌だ!」とこぶのあちこちから声がする。震えることしかできない僕に、化け物はゆっくりと近づき、僕を頭から飲み込もうとして──。

 コーン──。

 突然そんな鳴き声が聞こえたかと思うと、化け物の背中に何かが飛びついた。化け物が叫ぶ声に、辺りの草木が震えた。化け物はぶんぶんと体を震わせていたが、ぐちゃりと何かが潰れる音がして、段々と体が崩れていった。化け物の溶けた体が地面に吸い込まれていき、やがてその地面に何の跡も残さず消えた。

 化け物が消えた地面から恐る恐る顔を上げると、目の前には白い狐がいた。僕の家のコロより小さい。ひょっとして、まだ子どもだろうか。狐は僕を見て「コン」と鳴くと、くるりと僕に背を向けた。そして、僕を振り返る。

「えっと、ついて来いって?」

 僕がそう言うと、狐はこくりと頷いた。ように見えた。そのまま前を歩く狐を、僕は慌てて追いかける。しばらくして、空が真っ暗になった頃、近くの洞穴の前に僕と狐はいた。僕を見上げる狐は、前足で洞穴の中を指す。

「え?」

 どういうことか分からず困惑する僕だが、狐は気にした様子もなく洞穴の中に入っていった。慌てて僕も追いかける。狐の尻尾には火がついていて、おかげで辺りは明るい。やがて狐は立ち止まり、「コン」ともう一度鳴いた。

「え……」

 狐の視線の先を追うと、そこには十人ぐらいの子どもが倒れていた。その中にたっちゃんもいて、僕は慌ててたっちゃんの元に駆け寄る。「たっちゃん!」とたっちゃんの体を揺さぶると、たっちゃんは目を開いて、眠たそうな目で僕を見上げた。たっちゃんの腕には、小さな歯型がついていた。

「んー……。あれ、アキラ……? なんで、ここに……」

「たっちゃん! よかった、無事で……」

「……あれ、誰?」

「へ?」

 たっちゃんの言葉に僕は後ろを振り向くと、そこには桃色の花柄の着物を着た女の子が、ニコニコと笑っていた。その子の髪は白かった。


「……まさか、あれからこうなるとは」

「たっちゃん、その話はもういいって」

 酒が入るといつもこうだ。たっちゃんはビールを煽ると、持っていたグラスを机に置いた。そして、テレビの前に視線を向ける。テレビの前では、僕の息子がミニカーで遊んでいた。たっちゃんは目を細めて話を続けた。

「あの化け物、俺の血を吸って俺に化けてたんだもんな。あの子のおかげで、俺たちは助かったんだもんな」

「たっちゃんが食われてなくてよかったよ。もし食われてたら、僕は一生立ち直れなかった」

「まあ、そうじゃなかったら、俺もこうして酒がこんなに美味いなんて知ることも無かったからな!」

「え、よかった理由ってそれだけ?」

 呆れる僕に、たっちゃんはニヤニヤと笑う。「それに、仲人である俺に、お前はずっと頭が上がらないしな」

「いや、どっちかって言うと、仲人はあの化け物なんだけど……」

 そう言って僕はため息をつく。その時、妻が新しいビールと、焼いたお揚げを持ってきた。桃色の花柄のエプロンをつけ、僕が揺った白い三つ編みを揺らしながら、「コン!」と嬉しそうに笑った。

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