24 樋川 絢音


院内を照らすライトが増えたかと思うと、外から 車のドアの開閉音がした。... 警察かな?

ちょうどいい。虎太郎くんを連れ出すのを、手伝ってもらえる。


「あっ、これは ちょっと... 」


でも、車から降りてきた男は 警察ではなさそうだった。

ベージュの薄いニットにブラックジーンズ、黒いブーツを履いている。

遠目にも、やたら整った精悍な顔立ちをしているのが わかった。


窓が割れた院内は 明るく照らされていて、青黒く変色してしまった 及川くんの眼を細めさせた。

待合室中に反響していた声も止んでる。

支えでいる 虎太郎くんの身体の重りも、少し軽くなった気がする。

虎太郎くんが「雨宮... 」と 呟いた。


車を降りて すぐに、麻衣花と 美希ちゃんに近づいた男... 雨宮くん? は

「こんばんは。後で 改めて挨拶します。

その子、ここで何かしちゃったんですか?」と、麻衣花のことを 美希ちゃんに聞いている。


「あの... 及川くん、ここで事件に巻き込まれた人に、呼ばれて... 」


美希ちゃんの返事は 尻窄みになっていったけど、雨宮くんは

「あぁ、そうなんですね...

もしかして、“スマホを失くした” って子かな?」と、普通に受け答えしている。

あの 雨宮くんって、虎太郎くんが相談した 宮司さんの息子さんなんだろうか?

緊張が抜けた 虎太郎くんの様子からしても、たぶん そうなんだろう。

神社の人の格好してないし、わからなかった。


「ちょっと、待っててね。すぐ何とかするから」


雨宮くんが、自分の車のトランクを開けていて

まだ 虎太郎くんから離れない 及川くんは

... “ううう” と 唸るような声を上げている。

雨宮くんを警戒してるのか?

でも、そりゃあ そうか。

お祓いする人だからか、雨宮くんの周りには 清浄な空気を感じる。


「虎太郎くん」と 呼んで、入口へ誘導しようとすると、虎太郎くんは 苦しそうに顔をしかめた。

俺の肩に回させていない方の手で 腹を押さえいて、その手に 及川くんの青黒い手が重なっている。

虎太郎くんの手は、赤く濡れていた。


「これ、飲めるかな? あなたも。

一口でもいいから、しっかり飲み込んで」


麻衣花たちの前に しゃがんで、ハーフサイズの瓶を差し出している 雨宮くんに

「あのっ、すみません!」と 呼びかけた。


振り返った 雨宮くんは

「野村!」と 目を見開いて

「お前、“行くな” って言っただろ!」と 虎太郎くんを叱りつけた。それから

「うわ... ひでぇじゃねぇか! なんて事になってんだよ?!

もうちょい待っとけよ!」と 俺等を指差した。


「いや あの、虎太郎くんは、怪我を... 」


「うん、この子もね」


そうか、麻衣花も...

虎太郎くんの腹を掻くように 青黒い指先を動かす 及川くんを睨むと

... “おいていくな 一緒に居るんだ” という囁きが 床から這い上がってきて

... “おまえも おまえもだ” と、空井戸の底のような眼を俺に向けた。


「凪! 起きろ!」


また トランクから、何か... 連なった菱形みたいな紙と、麻?が着いた細い棒を取り出した 雨宮くんは、助手席のドアを開けている。

他にも誰か居たのか... 気付いてなかった。

倒されていた助手席のシートから、だるそうに起き上がったのは、線が細い男だった。


「おまえ、あいつから 取ってやってくれ」


雨宮くんに言われた男は寝ていたようで

「あ、着いたの?」と 言ったけど、やけに声質が高い。声だけ聞くと 女みたいだ。


シャツの上にパーカーを羽織り、下にはスウェットパンツを穿いた 細い男が、だるそうに歩いて来る。

細い上に小柄だ。麻衣花や美希ちゃん程ではないけど。

長めの髪には寝癖がついていることもあって、この状況の中で おそろしく無防備に見えた。


なのに、その男が入口から入ってくると、ゾッとした。

理由は分からない。

雨宮くんと違って、澱んだ空気を感じるからかもしれない。


「... 梶谷?」


腹を押さえながら、男を見た 虎太郎くんが言った。


「うん。久しぶり」


この男も、虎太郎くんの知り合いなのか... なら 大丈夫な人なのかな?

及川くんが怯んでいるように見えるけど...


「被害者の人、悪霊になりかけてるよ」


男が 細い指で、虎太郎くんの腹に回っている 及川くんの手首を掴んだ。

なんで 掴めるんだ... ?

それから 男のシャツの胸を見て気付いたけど、男じゃない。この人、女だ。

よく見れば、瞼や睫毛、頬やくちびるの形も...

化粧はしてないけど、結構 美形だ。なんで男だと思ったんだろう?


... “離せ! やめろ!!”


あの重苦しく暗いものが 一気に床から壁、天井までを覆い尽くした。

さっきまでの怒りとは違う。及川くんは 焦っている。


... “離せ、離せ!! ここから出て行け!!”


ガタガタと ガラスの無い入口のドア枠が揺れて、点かないはずの天井の照明が明滅した。

硬いものにヒビが入るような音もする。受付カウンター か、壁なのか...

必死になって、何かに抵抗してる。

子供みたいだ とも感じた。


「いいから おいで」


男だと思っていた女の人が言うと、及川くんは 黒い口を開けたまま、掴まれた手首から 消えていった。


「... は?」


虎太郎くんが ぽかんとして言ったけど、俺は声も出ない。

及川くんは、なんで消えたんだ?


「まぁ... 」と 言った女は、あくびをして

「もう大丈夫だから、ちょっと座れば?

野村、怪我しちゃってるし。

そっちは 透樹とうきじゃないと ムリだから」と、背後... 外の方を人差し指で差した。


「... “けまくもしこき伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ”... 」


外では、座り込んだ 麻衣花たちの前に立った 雨宮くんが、あの細い棒を持って、神社の人が言うようなことを言っている。


「... “筑紫つくし日向ひゅうがたちばな小戸おど阿波岐原あわぎはら御禊みそぎはらたまひしときせる祓戸はらへど大神等おおかみたち”... 」


お祓い なのかな... ?

虎太郎くんが ガクンと座り込んで、支えていた俺も座った。

ふう... と、長い息をつく。

今になって、膝が震えだした。


「あ」と、思い出したように 俺を見た 虎太郎くんは

「こいつも、中学まで同級生だったんだけど」と、立ったままの女の人を示して、女の人にも

「そういや 梶谷って、雨宮と幼馴染みだったよな。よく神社にも行ってたみたいだし」と言っている。


「うん」


梶谷さんか... この人も お祓いとかする人なんだろうか?

どうも違って見えるし、妙な印象を受ける。

怖いんだよ、なんか。


「... “諸諸もろもろ禍事まがごとけがらむをば 祓へたまひ きよめ給へとまをす事を聞こしせと かしこみ恐みもまをす”... 」


あ...


雨宮くんが、バサッバサッ と、あの棒を振った後だった。

麻衣花と美希ちゃんの後ろから、黒い湯気のようなものが上がっていって、その色が薄れて消えていった。


「... あれ?」


麻衣花が 雨宮くんを見上げていて、美希ちゃんが

「麻衣花!」と 抱きしめている。

また、肩から力が抜けた。

あの ぽけっとした声は、いつもの麻衣花だ。

良かった...  お祓いって、本当に効くんだ...


でも、何を祓ったんだろう?

及川くんは、梶谷さんが消してしまった。

“おいで” と言って。


待てよ...  “おいで”?


「次は、野村だな。

ったく。忠告も聞かねぇから、こんな事になるんだぜ!」


違うんです... と、言い訳したかった。

でも それは、後にした方が良さそうだ。

怒っている 雨宮くんは、麻衣花たちには 親切に

「それ、全部 飲める?

寒かったら、車に乗っておいて」と、自分の車の後部座席を開けて、トランクから 二本の瓶を取ると、俺等の方に向かってきた。


「凪、ちょっと そっちに行ってくれ」


梶谷さんを 俺等の前から移動させた 雨宮くんは、前に しゃがんで

「野村、腹 見せてみろ」と、虎太郎くんのシャツを上げた。


麻衣花に出来たような 十字のミミズ腫れが出来ている。

でも 血は止まっていて、また息をつく。

何回目だろう? 力が抜けて、しばらく立てそうにない。


「うん、よし。まず、これを飲め。君も」


雨宮くんは 透明の瓶の栓を抜いて、俺と虎太郎くんに 一本ずつを渡してくれたけど、匂いが 明らかに酒だ。


「俺、車なんだけど... 」


虎太郎くんが言うと、雨宮くんは

「俺と凪は飲んでないから大丈夫」と言った。

運転してくれるようだけど、あの ぼんやりとしてる梶谷さんも、運転 出来るんだろうか?


一口 酒を口に含むと、何故か飲み込みにくい。

すうっと飲めるような味の酒なのに。


何とか飲み込むと

「じゃあ、奏上しようかな」と、細い棒に付いた 連なった紙と麻を 俺等の頭上に掲げた 雨宮くんに

「あの、何を祓うんですか?

被害者の及川くんは、ここに居ないのに」と 聞いてしまった。


「穢れだよ。見えないのに、残ってるもの。

例えを出すなら、今回の場合は、“被害者の子から連絡が入ったスマホ” かな。

もう すっかり入らなくなっても、そのスマホを また使う気になる?

本体だけじゃなくて、番号やアカウントも変えてしまいたくなるよね?

そういうもの」


その穢れが、虎太郎くんや 俺に残ってるのか...


「始めていい? 座ってるだけでいいから」


バサ バサ と 紙と麻の棒が振られ、雨宮くんが 独特の音程と読み方で

「... “けまくもしこき伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ”... 」と、お祓いを始めた。


「... “筑紫つくし日向ひゅうがたちばな小戸おど阿波岐原あわぎはらに”... 」


どうしてかは わからないけど、目の奥が熱くなってくる。

体内に纏わり凝った何かが 薄れ消えていくような気がした。


「... “かしこみ恐みもまをす”... 」


それが終わると、胸の中も、視界も 聞こえる音も、クリアになった気がした。

気づかずに涙まで零していて。


紙と麻の棒を掲げ持った 雨宮くんが 一礼して、虎太郎くんの前に しゃがんで、シャツを上げた。

ミミズ腫れが消えている。


「うん、よし。後で、あの女の子の お腹も見てあげて。たぶん同じように消えてると思うけど」


「雨宮... 」


虎太郎くんも泣いていて、お礼を言おうとしてる。俺も... と 口を開く前に、雨宮くんが

「おう、感謝しろ。伊邪那岐大神いざなぎのおおかみに」と 笑った。


それでも、二人して 雨宮くんにも お礼を言って、虎太郎くんが

「あの、被害者の子は どうなったんだ?」と 聞くと

「今は、凪の中に居る」と 返ってきた。


中に?


「取り憑かせてるのか?!」


虎太郎が青くなったけど、俺もだろう。

及川くんは、“悪霊になりかけてる” って聞いた。

そんなことして、大丈夫な訳がない。


「うん。後で凪の中から祓って、彼が迷わないように 月夜見大神つきよみのおおかみに お任せする。

残りの酒も飲めよ。神社うちから持って来たやつだ」


勧められるまま 瓶を口に運ぶと、今度は水のように 何の抵抗もなく飲めた。


虎太郎くんも飲みながら

「梶谷、大丈夫なのか?」と 聞くと、梶谷さんは

「うん。元々、そのつもりで 廃病院ここに来たんだしね」と だるそうに頷いた。


「野村から、“すぐに神社に連れて来るのは難しい” って聞いたから、元になってる被害者の子を送ろうと思ったんだよ」


そうだったのか... それで、ここに。


「被害者の子は、イマダさんを助けようとして、廃病院ここに来たみたい。

騙されて、誘き寄せられちゃったんだけど」


梶谷さんに目を向けると、頷いて

「イマダさんのスマホを使ってた犯人が、イマダさんのフリして、“出られなくなったから救けて” ってメッセージを送って、助けに来たんだって」と 言った。

及川くんは、麻衣花を助けようとして...


「その、さ、被害者の子は、ご家族とか 大切な人達にも、お別れも出来ずに 送られることになるのか?

どこにか、知らない場所に」


虎太郎くんが聞いている。

俺は、何かを話したら泣いてしまいそうだった。

麻衣花とは、そう話もしてなかった と聞いた。

それなのに、助けてくれようとしたのか...


「うーん... 」


虎太郎くんへの 答えを迷っているように見える 雨宮くんは、梶谷さんと眼を合わせてる。


「送る前に、不道徳を抜くことになるかな。

抜けるかどうかは、被害者の子次第だけど」


よく わからない。

及川くんから、復讐しようとしたことを抜く ってことなんだろうか?


「最後まで見て、見送った方がいいかもね」


梶谷さんが言うと、雨宮くんが「凪... 」と 止めようとしたけど

「これだけ関わっちゃったんだから。

これを見て、終わり」と 返していて、俺等には

「女の子たちも呼びなよ」と 言った。

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