5 及川 浬


血が乾いてきている。


横顔や髪の下の血も、腹の中身の下の血も、シャツやジーパンに染みた血も、床の血も。


床にある俺の肌は 変色してきていた。

倉庫のドアの色と似ている。


最初は艶めいていたもの... 集められなかったものは、その艶を失って、傷み始めていた。


このまま、グズグズに崩れるんだろうか?

艶だけでなく、形まて失って。

それとも干乾びていくんだろうか?


俺が 俺でなくなっていく。


どうして、あんな奴等の前で死ななけりゃならなかった? なぁ どうしてなんだよ?

誰にも 別れも言えずに...


ぞろりとした何かが腹から突き上がってくる。

それが胸に充満していく。


憎い あいつ等が憎い...


同じ目に合わせなければ 気が済まない。

腹の中身を掴み出して、助けてくれ 許してくれ と懇願させてやる。

青黒い俺の乾いた血の上に、あいつ等の艶めくものを赤く染めて ぶちまけさせてやる。


床にある俺を見れば、自分たちが どうなっていくのかが解るだろう。

自分の血が乾いていく様を、肌の色が変わる様を、傷んでいく様を見せてやりたい。


探すんだ。あの 二人を。


青黒い俺の向こうのドアは開いている。


なのに、足が動かなかった。


振り向こうとしなかった さっきとは違う。

足を前に出すことが出来ない。

クソッ、何でなんだ?!


胸に充満したものが 滲み出してきた。

それが身体を覆い出す。

すると、また ぞろりと腹から胸、脳天にまで それが充満していく。

混濁していく。記憶も。思考も。


俺は、誰だった?


床にある青黒く汚く、哀しいもの。

あれが、俺だ。


そうだ、探す。探して殺す。あの二人を。

どうして足が動かないんだ?

俺にはやるべきことがある。あいつ等を同じ目に合わせてやるんだ 邪魔をするな!


う うぅ と、唸りが壁に響く。

どうして動けない?

憎い... 憎い。クソ共め 戻って来い ここに 戻れ戻るんだ!!


唸りばかりが響いていた部屋の中で、かつり と微かな音がした。


音がしたのは背後だった。

薄闇のようなものに覆われたまま、顔だけを後ろへ向ける。

... そうか あのクソ女が持っていた、スマホが立てた音だ。

今田、今田 麻衣花の。


四角い画面が朧に光っている。

スマホは裏返っていた。

カバーに付いたリングが 下になっている。

いや、最初から画面が上だったのかもしれない。


あの女は誰だった?

今田、今田だったのか?

あれは、今田のスマホだっただろう?


今田をおびき寄せれば、不格好な頭部をした あの男も誘き寄せれられるはずだ。


唸りが壁を震わせる。

際限なく湧き出し 俺に充満し続けるものは、身体中から滲み出し 俺を覆い続け、床にも滲みていく。


四角い画面が明滅している。

今田、出ろよ。ここに戻るんだ。戻れ 戻って来い 戻れ 戻れ戻れ...


明滅が止むと『... はい』と、男の声がした。

きっと あの男だ... 喉から笑いが洩れる。

来いよ。今田を連れて戻れ。


だが、そこまでだった。

繋がった通話は切れ、画面は真っ暗になった。

どうして...  ゴオッと怒りが湧く。

跳ね跳んだスマホは 青黒い俺の顔の前に落ち、真っ暗になった画面が割れた。


畜生...  奥歯がぎりぎりと鳴り、身体から床に滲み入った薄暗いものが ざわざわと揺らめき立っている。

許せねぇ...  俺は こんな思いをしているのに、どうして上手くいかないんだ?


ぱきりと乾いた音が鳴り、蛍光灯の 一本にヒビが入っていく。


だが部屋の外で、キィ と軋む音がした。


「... ありました。階段です」


誰だ? あの男か?


「上と下に分かれる。

倒木の前に停まっていた車は、失踪者のものだった」


いや、何人か居る。

ざわざわとした空気が伝わってきた。

階段を降りる足音がする。二人分だが、どちらも男だ。


「やっぱり、気味悪ぃっすね... 」

「待て」


一人が「臭う」と言っている。


「あぁ、これは... 報告しますか?」

「動物か何かのおそれもある。確認しよう」


二人分の足音が近付いてきた。

そこら中を照らしているのか、灯りが移動している。


「備品を管理する部屋ですかね?

異常ありません」

「こっちは霊安室だったようだが、空だ」


ドアが開きっぱなしだった入口から、二人の男が顔を見せ、懐中電灯で照らしてきた。


「うわ... 」

「報告だ。失踪者とは限らんが」


酷いものを見た、という顔をしている。

一人は「ちょっと、すみません」と 入口から離れ、走り戻って行ったようだ。


こいつ等、何だ?

何かを思い出しそうになった。


... “行方不明だった... さんが、発見されました”


四角い画面... テレビだ。

テレビで、こいつ等が忙しく動き回っているところを観たことがある。


逡巡している間に、入口から顔を覗かせる奴が何人か増え、一様に顔をしかめた。


「指紋は?」

「今... 」


帽子の上、袖や靴の上にもカバーを付け、手袋をした男の 一人が、ヘッドライトを点けて入ってきた。

青黒い俺の背後にしゃがむと、手を合わせている。ひどく悲しくなった。


「気をつけろよ」


俺だけでなく、壁や床も、何枚もの写真が撮られた。

ヘッドライトを点けた奴が俺を擦り抜けていく。


「スマホ、ですね。壊れてますが」

「仏さんの物じゃねぇだろう。

手は拘束されてるからな」


今田のスマホが拾われた。ビニール袋に入れられている。

やめろ...  それがないと...


パンッ と 乾いた音を立てて、蛍光灯が砕けた。

「うわっ!」「何で... ?」と 騒然としたが、一人が

「老朽化してるからな」と 言っている。


「老朽化で、ですか?」

「岩田さん、でも 今のは... 」


「気にするな。たまにあるんだよ」


返せ。その袋の中身を...

ぎりぎりと奥歯を鳴らし、唸りを上げると、ビリビリと壁が震える。


「何か... 寒くないですか?」


また「あるんだよ、たまに」と返した男が、ヘッドライトに足カバーを付けた男が部屋を出ると、入れ代わりに入ってきた。


そして、青黒い俺をしげしげと見ると

「まだ、若ぇのになぁ... 」と呟いた。


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