4 野村 虎太郎


鍵を開けて玄関に入ると

「えーっ! 本当に?!」という美希の声が聞こえてきた。

味噌汁と煮物の匂いがする。夕飯の支度中に誰かと電話かな。


「あっ、ちょっと待って」


玄関の音で 俺が帰ったことに気付いた美希は、リビングまでの廊下の向こうに顔を出して

「おかえりー」と 俺に笑った後に、通話中の相手に

「虎太が帰って来たから。... ううん、全然 大丈夫ー」と言っている。そうなのか...


一度 リビングを通り抜けると、寝室の隣の部屋に入って着換え、リビングへ戻る。


美希は、ダイニングテーブルを挟んだカウンターの向こうで、まだ通話中だ。

コーヒー 飲みたいけど、自分で淹れることになるかな。

でも疲れたし、ちょっと座るか。

毎週 週末になると、こんな感じなんだよな... 蓄積疲労で。

もう、“遊んで寝ずに そのまま仕事” とかは無理だな。三十路を前にして すでに老いを感じるぜ。


「あっ、そうだ。虎太も参加させていい?」


ん? と、美希に顔を向けた。

ソファーに座りかけの妙な姿勢で。


「アハハ。虎太、変なカッコで止まってるぅ」


おまえが止めたんだよ... そのまま座ってやろう。

虎太おれも参加” ってことは、美希の通話中の相手は 俺も知ってるやつだってことだろう。

美希は たまに、ビデオ通話にして こういうことをやる。

相手に悪いんじゃないか? と疑問になるけど、相手も たまにやる。何人かは。


歳、二つしか変わらねーのに、何か違うんだよな。

歳の違いじゃないのかもしれねぇけど。

男女差? 単にノリの違いなのか?


「ハイ、虎太」


ハイって。スマホ、受け取ったけどさ...


画面に映っているのは、麻衣花ちゃんだった。

「あぁ、こんばんは」と 挨拶すると、麻衣花ちゃんの方も

『お疲れさまです』と挨拶を返してくれた。


「スマホ、返ってきたの?」と聞いてみる。

麻衣花ちゃんとは、三日前に会った。

とは言っても、美希が麻衣花ちゃんと遊んでいて、美希を迎えに行った時に挨拶しただけだったけど。


迎えに行って帰ってから、美希が麻衣花ちゃんにメッセージを送っててさ

『あれ? 既読にならない』って言ってたんだよな。

その時は『忙しいんだろ』と返しながら、一日中スマホ持ってるのなんか 美希おまえくらいだしね... と思ったけど、言わなかった。

口を滑らせないのも上手くやっていくコツだと思う。


でも、翌日も『既読、ついてない』と 連絡が取れなかったので

『何かあったのかな? どうしよう... 』と 心配になった美希は、麻衣花ちゃんの実家に電話をしていた。

俺も、“あの時、家まで送れば良かった”... という自己嫌悪と心配が入り混じっていたけど、通話を終えた美希が カラッと

『麻衣花、スマホ落としちゃったみたい』と言ったことで、ひとまず本人は無事だった... と安心した。


画面の向こうの麻衣花ちゃんは

『いえ、返ってこなかったんです』と言ったので、ん? という顔をしてしまったが

『あ、絢音あやとのスマホを借りて連絡させてもらってます』ということらしかった。

絢音くんのか。

何度か四人で飯に行ったことがあるから、お互い知ってる。

優しそうなのに しっかりもしてるよな って印象だった。話しやすかったしな。


『さっき、美希にも話したんですけど... 』


それなら後で 美希に聞いておこうか?、とも言えなかったけど、絢音くんも腹減ってるんじゃないかな?

絢音くんの機嫌とかも大丈夫なんだろうか?


でも「うん」と 黙って聞いていると、絢音くんが掛けた電話に スマホを拾った相手が出たことや、“返してくれる” ということで、その翌日... 昨日 待ち合わせをしたけど、相手が現れなかったことを聞いて

「えっ、来なかったの?」と 聞き返してしまった。


『そうなんです。

絢音が また電話してみたんだけど、もう電源が入ってなくて』


その人は 何で来なかったんだ?

面倒くさくなったのか?


麻衣花ちゃんの話を聞きながら、コーヒーの匂いもしてきたな... と掠めてたけど、美希がカップ 二つを持って来て、俺の隣に座った。

うん、気が利く。と、これだけで美希の困ったところが流されていく。

例えば今みたいに、腹減ってるのに飯は電話の後 だとか。

いや、流されていくというより、敷かれていってるところなのか?


「警察にも紛失届 出したけど、事情 話して取り下げて、その人が来なかったから、また事情 話して再提出したんだって。

ね?」


美希の最後の “ね?” は、麻衣花ちゃんに向けられたものだ。

頷いた 麻衣花ちゃんは

『美希のもだけど、いろんな人の連絡先が入ってるから、悪用されないかが心配で... 』と 不安そうな顔をしているけど、画面ロックもしていたらしいし、携帯会社には紛失の手続きをしていて、新しい端末とSIMが届くのを待っているところのようだ。


「大丈夫だと思うよ。名前と番号だけで出来ることは限られてるし、個人情報なんかを盗む奴は 手元に誰かのスマホがなくてもやるんだから、心配しても仕方ないし」と 言って

「知ってるかもしれないけど、スマホには個体識別番号もあるから。その端末固有の番号がさ」と、軽く説明した。


もし、拾ったやつが画面ロックを解除して、SIMを入れ替えたり、フリーのWi-Fiスポットを利用して使ったとしても、どこかにアクセスすれば その端末の記録も訪問先のサイトに残る。

“元の持ち主がスマホを探している” と知っているなら、“紛失届” が “盗難届” 変わっているかも... とも考えつきそうなもんだし、余計に アシがつくような下手なことはしないと思うんだよな。


まぁ、相手が 何も考えないで使う おばかさんじゃなければ の話にはなるし、そのスマホを使って詐欺 とかの犯罪絡みでなければ、そこまで調査されるのかどうかも 分からないけど。


「でもさぁ、あの時、広場で落としたかなぁ?」


スマホが 美希に渡ったので カップを口に運んでいたけど、ん? と止まった。


「落としたのって、駅前の広場?」


美希や麻衣花ちゃんに確認すると、二人とも “今さら... ” といった顔で

「そう」

『美希と遊んだ日の帰りみたいなんです』と返してくる。


「あれ? “駅の広場で” って言ってなかったっけ?」

『あっ... 虎太郎こたろうくんに話した時は、言ってなかったかも... 』


うん、聞いてない。“落とした” としか。


『拾ってくれた人が、“駅前の広場に落ちてた” って』ということで、麻衣花ちゃんは

『バッグの中から落ちちゃったのかな... ?』と 疑問の顔になった。


これ、俺も引っ掛かる。

上着やジーパンのポケットからならまだしも、バッグから なぁ...


美希を迎えに行った時は、駅の右側にある駐車場に車を入れて、駅の正面口を横切るようにして 広場を歩いた。

美希たちは、駅の正面口より左側に設置されてたベンチに座ってたからさ。


美希の向こう側に麻衣花ちゃんが座ってて、ちょっと驚かせてやろうかと 後ろ側の方へ近付いて行った。

結構 人も多かったし、二人にはバレないだろう って自信もあったしな。


麻衣花ちゃんの 更に向こう側... っていうか斜め左後ろには、でかい街路樹があった。

何の木か名前は知らねぇけど、レンガで円形に区切られた中が土になってて、そこから木が生えてる。


で、これは話してねぇんだけど、街路樹の向こう側から 忽然と女が出て来たように見えた。

いや、“木の中から” って訳じゃないぜ。

どう言や いいかな?

その女が 広場を歩いてたんなら、二人の後ろ側に向かっていた俺から見ると、女は 二人が座っていたベンチの向こうを抜けて、木の裏側へ行くところも見えたんじゃないか? と思う。

でも、木の裏側から駅へ向かうところしか見てないんだよな。


結構 人が居たから見えなかったんじゃないか? と思うだろうけど、その女は目を引いてたんだ。

黒い薄手のニットに黒いスキニーっていう色気のない格好だったにも拘らず。


すらっとしてて、モデルか何かなのか? と思ったくらいだったけど、何か違和感もあった。

その “何か” は、わからない。

顔も整ってて、モデルかと思ったくらいなのに、美人とは思わなかったからかもしれない。


... あの女が、麻衣花ちゃんのスマホをバッグから抜いた とか?

木の裏で、自分のショルダーバッグに それをしまってた とか... いや考え過ぎだよな、それは。


「あっ、絢音くーん」


美希の声で スマホの画面に目を移すと、肩にタオルを掛けた風呂上がりらしい絢音くんが、麻衣花ちゃんの隣に座ったところだった。


絢音くんは、美希に『こんばんは』と挨拶した後で、俺にも

『虎太郎くん、帰ったところ? お疲れ様』と 片手を上げたから

「うん、お疲れ。残業でさぁ... 」と返した。

『あー、今日は俺もー。週末はこたえるよね』って言ってるけど、もう風呂も上がってんじゃん...


スマホを渡してきた美希が

「煮物の火、見てくる」と ソファーを立ったので、そろそろ通話も終了なんだろう。


「麻衣花ちゃんの スマホのこと、聞いたよ。

拾った人が 約束破ったんだって?」と話しながら、絢音くんに あの女のことを話してみようか って気になった。何でだろう?


「駅前に迎えに行った時に... 」と 切り出した時に、絢音くんの隣に居る 麻衣花ちゃんの髪が見えて、やっぱり話すのは やめておこう と思い直した。

今の話の続きの方向転換を試みて

「スマホが落ちてるのは、見なかったけどね」と、言わなくても わかるだろ ってことを報告してしまう。


でも、麻衣花ちゃんや 美希に、“すらっとした女が... ” って言葉を聞かれるのは マズイ気がした。

特に美希は、一緒に歩いている時に、対面から歩いて来る他の女の人を何気なく見ただけで、機嫌 悪くなるし。

“女だから見たんじゃなくて、前から歩いてきた人を見ただけだって” と説明しても、“ふーん” って目も見ない。

“すらっとしたモデルみたいな女” の話なんかしたら、今日の煮物は 味が分からないまま飲み込むことになって、下手すると明日の朝飯にまで影響するだろう。


ついでに こういう時、何故か何もしていない絢音くんまで、麻衣花ちゃんに

“絢音も、一人の時は、虎太郎くんみたいに 女の人を見たりしてるの?” みたいに疑われ兼ねない。

これって 何でなんだろうか?


カウンターの向こうから戻ってきた美希が

「麻衣花、スマホ 届いたら連絡してねー」と 話を纏め出したので

「あのさっ」と、力み気味になって 口を挟む。


「絢音くん、俺にも番号とか教えてくれない?」


出来れば、あの女のことを耳に入れておきたい。

何でなのかは 分からないままなんだけど。


絢音くんは、結構 顔に出る。

眉毛付近が “えー... 普段、何か話すことあるかな?” って風になったけど

『うん、美希ちゃんに聞いておいて。

また麻衣花と美希ちゃんが、“連絡つかない” ってことがあった時に 困らないと思うし』と了承してくれた。







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