第24話 熱があるようです。

 俺が学校帰りにバスの座席でうつらうつらしていた時のことだ。


「う、ううう……」

「?」


 うめき声のようなものが聞こえた。

 通路からのようだ。顔を上げて確認する。


 顔を真っ赤にした制服姿の女の子が、手すりをぎゅっと両手で握って立っている。

 ものすごく具合が悪そうだ……。

 俺は心配になり、声をかけた。


「あの」

「……」

「あの」

「……あ。わ、わたしですか?」


 会話をするのもつらそう。

 ここは手早く用件を済ませたほうがよさそうだ。


「具合が悪いんですよね? 俺が立つんでこの席どうぞ」

「う、うう。すみません……」


 彼女は遠慮することなく、俺が席から退くと身体を滑り込ませて収まった。

 すこしは楽になってくれるといいのだが……。



 ――翌日、俺は。


「ぶえっくしょい!!」


 おもいっきり風邪を引いた。

 前日まではなんともなかったのに、朝になって起きてみると、身体が動かない。

 動かそうと思えば動くのだが、関節が痛くて動く気になれない。


 昨日の女の子に移されたと考えるのは当然ではなかろうか。


 重い身体をなんとか動かして、近所の内科へ。

 ウイルス性感染症が流行っている時期なのか、混んでいた。

 俺はなんとか空いている席を見つけて、腰を下ろした。

 マジで死にそう……。


「げっほげっほげほ!」


 俺の咳じゃない。

 隣の人もかなり具合が悪そうだ。

 なるほど、自分より重そうな症状の患者さんのそばは嫌だもんな。席が空いていたのにも、うなずける。


「ごっほごっほごっほ……ぶえくしょい!」


 俺も似たようなもんだが。


「……あの」


 隣からの声に最初は気づかなかった。

 それほど自分のことしか考える余裕がなかったのだ。


「……あ、あの!」


 ようやく俺に向けられた言葉だと気づく。


「え、な? 俺?」


 ぼんやりした頭で、声のしたほうを向く。

 座る前に確認した具合の悪そうな人だった……女の子?

 というかどこかで見たような気が。


「覚えていませんか?」

「どこかで会ったっけ?」

「昨日、バスで……」

「…………え、ひょっとしてバスで席を譲ってあげた人?」


 こくり。

 女の子は小さく首を縦に振った。


「近所だったんですね」

「偶然だね」

「……」

「……」


 咳やくしゃみの音でロビーが満たされる。

 彼女はおもむろに言葉をつむいだ。


「あの、もしかしなくてもわたしのせいですよね」

「風邪のこと?」

「はい」

「まあ……たぶんそうだろうな」

「あう」


 女の子は責任を感じたのか、しゅんとしてしまった。

 俺は彼女をなぐさめるように語りかける。


「まあ、今日は出たくない授業があったから休めてよかったよ」

「え?」

「体育がプールだったんだ。俺、泳げないから嫌いなんだよ」

「そうだったんですね」

「おう」


 彼女は信じてくれたようだ。

 実は泳げないのはウソ。でもプールの授業をさぼりたかったのは本当だ。

 すこし調子を取り戻したらしい女の子は、つぶらな瞳で俺を見つめてきた。


「あの、治療費を払わせてください」

「え、いいって」

「わたしのせいで風邪を引かせてしまったのですから、当然ですよ」

「ありがたいけど、そこまでしてもらう必要はないって」

「でも……」


 彼女は納得がいっていない様子。

 なので、俺はとある提案をしてみることにした。


「じゃあお互いに風邪が治って元気になったら、どこかに連れていってくれ」

「えっ!? そ、そそそ、それって!」


 いかん、頭がぼーっとしていたから、変なことを言っちまった。

 これじゃあ完全に口説いてるのと同じだ。

 俺はあわてて取り消そうとした。


「ご、ごめん、変なこと言った。熱がけっこうあってぼーっとしてて」

「い、いえ……いいんです。あーびっくりしたぁ」

「ほんとごめん」

「あ、あの……わたしは構わないんですけど」

「え?」

「ですから……治ったら一緒にどこか買い物にでもでかけましょう!」


 ……ふう。

 買い物で済んだ。

 俺の言い方からすると男子高校生と女子高生の2人で旅行しよう、という意味にも捉えられるのだが。割と常識的な女の子で助かった。


 俺たちは連絡先を交換し、それぞれ診察室に呼ばれるまで、語り合った。

 ほとんど沈黙だったが、その沈黙に込められた想いが心地よくて、彼女とのお別れがとても惜しいかった……。

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