プレイリスト

無ヲ𓆙

Last Kiss

がちゃり

玄関が開く音がする。

彼が帰ってきたんだ。

もう眠ってしまおうかと思っていた深夜2時。

仕事だったのか、遊んでいたのかすらも分からない。


もう、その程度の関係になってしまっているんだなぁ、と泣きそうになる。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



裕貴は私より2つ下のサークルの後輩だった。

周りから好かれる明るい性格で、いつもたくさんの人に囲まれていた。

可愛らしい容姿で、私の周りでも、彼のことを気になっている女は少なくなかった。


そんな、『愛される』彼を好きになってしまった私は、なにかに飢えていたのかもしれない。

母性とか言うのだろうか。

何かが芽生えた感覚は無きにしも非ず。


恥ずかしい話、一目惚れだった。

年下だったせいもあるのだろう。

可愛くて仕方なかった。

事ある毎に私を頼ってくれる彼に、気持ちが溢れていった。



ある、飲み会でのこと。


その日はサークルの打ち上げで、いつものメンバーで飲んでいた。

つい2日前に別れたという、同じ学科の貴紀を慰める会と称して行われたその飲み会には、もちろん、裕貴の姿もあった。


普段と変わらず、楽しく飲んでいた。

終始、貴紀を励ます声とパートナー持ちの数人からのヤジとが飛び交う、和気あいあいとした席。

私も、高校時代から仲が良かった美優と二人で、女性目線のアドバイスで貴紀を励まし、貴紀が落ち着いた頃合いを見て、お開きとなった。


居酒屋を出て、そのまま駅に向かおうとした私を美優の高い声が呼び止める。


「貴紀、送ってくんない?」


やっぱりか。

あんなにヤケ酒を浴びていたから、嫌な予感はしていたけれど。

貴紀とは家の方向が一緒だったから、そりゃ、適任は私しかいないよな。


「しょうがないわね。」


渋々送ることになり、じゃあねー、と楽しそうに去っていく美優や他のメンバーたちを羨ましく思っていると、背後から声がした。


「僕も、送りますよ。」


裕貴だった。

着いてくるもんだと思っていた美優たちも驚いていたが、誰よりも、私が一番驚いた。

だって、輪の中心にいるような裕貴が私(と貴紀)を選んだのだから。


静かに高鳴る心臓を落ち着かせながら、2人で貴紀を家まで送り届けると、そのまま私の家まで送ると言ってくれた。

純粋に嬉しかった。


彼との2人きりの空間。

なかなかないシチュエーションにかなり浮き足立っていた。

それと共に、何かが始まる予感がしていた。


街灯の少ない通りを歩いていると、


「普段もこんな所歩いてるんですか?これならもっと早くから送って帰るんだった。」


と、彼が言う。


「思ったより大丈夫だし、慣れればそんなに怖くないよ。」


クスッと笑って返すと、「女性一人は危ないです」と言われてしまった。


そんなやり取りをしているうちに、あっという間に家に着いてしまった。

もっと続いて欲しかったのに。


過ぎ去ってしまった時間を名残惜しく思いながら、鍵を開け、「じゃあね、ありがとう」と言って扉を開けようとすると、彼に抱き寄せられた。

ぎゅっと強く私を抱きしめた彼はそのままで動かない。

どのくらい時が経ったか、ゆっくりと腕が解かれていき、彼が囁く


「送り狼に、なってもいいですか。」




そこからは早かった。

熱い一夜を明かし、愛を誓い合った。

2人だけの特別な時間を過ごした。

夢に満ち溢れた未来を語り合った。

周りから羨ましがられた。

たくさんの愛を育んだ。




だから、

すっかり冷めてしまった"いま"を

想像すらしていなかった。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



かたっ

冷蔵庫が開く音がする。

今から飲むのかな。

もうこんな時間なのに。明日も仕事でしょ。

…あれ、仕事なんだっけ?

はぁ、もう何も知らないんだ、私。


プシュ

あ、やっぱり飲むんだ。

せめてその1本で終わりにして。

前もそんなこと言ったな。

この時間から飲むのは体に良くないからダメだよ、って。

覚えてるのかしら。


私、彼の心配しかしてない。

好き、とか、愛してるよ、とか

そんなことじゃなくて、

大丈夫かな、とか、いいのかな、とか

そんなことしか思ってない。


もうこの1LDKに "愛" はどこにもない。

これが虚しいっていう感情、か。

心が空っぽって感じがする。

ねぇ、裕貴。あなたもそうなのかな?


可笑しいの。

なんでこんなこと考えてるんだろ。

変なのー。




がたがた

椅子から立ち上がって移動する。

飲み終わったなら寝な。

きっと、明日も仕事なんだから。きっと。


がらら

窓開けてる。

煙草吸うのか。

ちょっと開いてる。

もう、ちゃんと窓閉めてよね。

煙入ってきちゃうんだから。


煙草、まだ吸ってたんだ。

辞めたと思ってたのに。

口が寂しい、とか言ってキス魔になったこともあったっけ。

煙草を理由にしてまで、触れたかったんだ。あの頃は。

今は口付けおろか、言葉を交わすことすらなくなってしまった。


がらら

あれ、もう終わり?

だいぶ早い。

前と同じのだったら、Winston3mmロング。

そしたら、あと2分くらいはベランダにいるはずなんだけどなぁ。

変えたのかな、知らない間に。


ぱたぱた

なんて軽い足音。

今何キロなんだろう。

私の体重は無駄に把握してたのに、私はやっぱり知らないまま。




ベッドに向かうのかと思った。

でも、裕貴は私の枕元に来た。


「澪ちゃん、ごめんねぇ。」


久しぶりに聞いた彼の声は、何故か私に謝罪をした。

どうしたのだろう。

もしかしなくても、終わりなのだろうか。

彼の口から終わりを告げられるのだろうか。

あぁ、それはどれほど悲しいのだろう。


「澪ちゃん、俺ぇ、もう好きじゃなかったらどうしよう。澪ちゃんのこと、愛せてないよね。ほんと。ごめんね。」


彼の指が、私の指に触れる。


「一人にはしたくないな。せめて誰かと一緒にいて、欲しいな。」


髪が揺れる。


「そばに、そばにいたかった。ずっと愛してるって言ってあげたかった。」


頬に雫が滴る。


「最後とか、考えたくなかったなぁ。ごめんね、澪ちゃん…。ごめん。」


何滴も、何滴も、零れ落ちてくる。

それらをそっと拭う。


「み、おちゃん?」

「なんで、泣いてるのよ……。」

「澪ちゃんに言われたくないよ。」


泣きながら、ふふっと笑った彼。

あぁ、笑った顔もいつぶりだろう。


「泣かないでよ。……最後くらい、笑ってよ。」

「うん。…うん、ごめんね。」


否定しなかったな。

やっぱり、最後……なんだね。


「澪ちゃん。あのね、聞いてほしいんだ。」

「いいよ。なんでも、言って。」


いいよ。

聞いてあげるよ。

裕貴の言葉だもん。

なんでも、なんでも聞いてあげるよ。


「わがままだけどさ。俺、澪ちゃんが寂しいのは嫌だから、誰かと一緒にいて、暖かいところで過ごして欲しいんだよ。」

「…うん。」

「俺がそばにいてやれないこと、ほんとに情けなく思います。」

「ならさ、いればいいじゃん。」

「ごめん。それは…出来ない。」

「……そっか。わかった。」

「ごめんね。…ごめん。」


どうしても、分かり合えないのね。私たち。

わかったわ。

あなたを、見届けるわ。


「大丈夫。」


何を根拠にそんなセリフを吐けたのか、わからないけど。

なんとなく、大丈夫な気がした。

たとえ、はなればなれでも、

いつか、会えると信じて。




ちゅ


痩せた私の指に、彼がキスをしてくれた。

ただ、あたたかかった。

"最後" のキスを、噛み締める。


これで、終わりだとしても

最後のキスを、忘れないよ。


「澪ちゃん…。」


まだ泣いてる。

泣き虫め。


泣き虫が治らなくても、挫けちゃダメよ。

真っ直ぐ進むのよ。

私からは、それだけだから。


ただ、


「誰を、何を責めてもいい…。愛したことだけは、穢さないで。」


こくん、と頷く。

そして、立ち上がる。


行ってしまう。

彼のいない明日は、きっと寂しい。






「じゃあね。」


彼が立ち去る音を、温もりが消える感覚を、ベッドの上で感じる。

たった一言で旅立って行くのは、裕貴らしいな、と思う。


静かになった部屋。

誰もいないと、肌で感じられる。

彼の煙草の匂いがほんのり残っていた。

寂しい。


ゆっくり立ち上がると、机の上の煙草と目が合った。

彼がいた証はここにあるのに、彼はもういない。

何気なく手に取ってみる。


「重いのじゃん。」


箱には、Lucky strike14mmの表記。

いつの間にこんなに重いのに変えたんだろ。


がらら

窓を開け、ベランダに出る。

無理だと思いつつも吸ってみることにした。

箱から1本取りだし、ライターで火をつける。


こほっ

最初の一口で噎せてしまった。

やはり、私には無理か。

そりゃ、普段吸わない人間が急に重いのを吸えるはずがない。

わかってはいたけど。

彼がいなくなった今、彼を感じることが出来るのは、これくらいしかなかった。




それでも


「あなたのキスを、忘れないよ。」












Last Kiss / BONNIE PINK

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