崩壊世界と帰るべき夢

夏野篠虫

無意識と現実/夏のある朝

 カメラのシャッターを切るみたいに私の意識が切り替わると熱帯植物が繁茂する温室に置き去りされたような蒸し蒸した真っ白い空間にいた。リアルな汗を嫌なくらいぐっしょり感じるこれは明晰夢だ。この手の夢は、理由はわからんが小学生の時からよく見る。

 今夏はそのピークに差し掛かったばかりで太陽の本領は今後発揮されるという現実時間に同調した質感ある気候をしている。寝室気温の反映と思われる。きっと呻く気力もない汗まみれの私がベッド上を転がりまわっているはずだ。

 何もないけど突っ立ってても意味ないので、ひとまず存在しないトロピカルな花々の香りを文字通り夢想しながら地面に腰を下ろす。

 四季のうち一番生き苦しい夏が一番楽しいのはありもしない郷愁を私の脳神経が好き勝手に想像するからだろうか。いーや楽しい思い出なんてなかったね。かろうじて今を生きる私ごときに小さな幸せを含有した過去すらあるわきゃない。でも何となく夏は楽しい。不思議極まりない。

 そもそも暑さは昔から苦手であちこちに出没する虫は鳥肌製造機だし、毛先ほどもやる気が起きない宿題達は存在するだけで骨の髄まで腐らせる遅効性の毒だ。夏はマイナス要素に事欠かない。他にも“校則絶対厳守させてやる薬”やら“周りと同じ趣味嗜好じゃないと死ぬ呪い”やらが蔓延してたので私の心身はとっくにボロボロのスカスカ穴だらけ。無頓着に劇物を振りまいていた学校所属の彼らのおかげで私は一生懸命(笑)に派遣仕事に精を出している。くそったれめ。ってこれは夏じゃなくて学校システムへの不満か。

 気づけば話題が逸れてしまったが夢世界の気候は永久凍土を蒸発させるんじゃないかと思える厳暑だ。ここにはグリーンランドもシベリアもないから温暖化を憂慮しなくてもいいけど私の本体が脱水になりそうで心配になる。

 外はきっと真夜中。脳みそがボイルしそうな暑さだが起床するにはまだ早いので、発掘した子供時代の闇と病に対抗できる夏の楽しみを思い出したい。

 怒涛の汗水が思考も全部流してしまって何も浮かばない。違う、私にも楽しかったなにかが……えっとあれだ、あれ――懐かしの名作アニメ再放送は好きだった。バレーボールに触るやつ、母親探して何千キロも移動するやつ、七つの球を探して戦うやつもあったかな。毎年だいたい同じ作品群で、しかも夏休み日数と全話数がかみ合ってないからようやく最終章ってとこでつまらん学校生活に引き戻されてしまう。でもその不合理さも楽しんでいた。ちなみに宿題は八月三十一日を超えて二週間粘って教師の諦観を勝ち取っていた。よいこはマネしちゃだめだぞ。

 今でこそ仕事以外インドアな私だけど子供時分は活発やんちゃっ子だったりもしたっけか。近所の友達と木の多い公園に行っては細い竹竿の虫捕り網を振り回してアブラゼミもカブトムシもオオムラサキも捕ってはギャーワー騒いでいたもんだ。それがいつの間にやら大苦手になって部屋には殺虫剤が二本常備している。特にセミは確かに季節感に必要だと思うし鳴声は近づくのも悪寒がするのに触るなんてとてもとても……虫捕りしてた話は記憶違いかもしれない。

 んー他なんかあったっけ? ……駄菓子屋で小遣い奮発して買うラクトアイス、父親が連れてってくれた祭りで食べた焼きそば、スイカは個人的夏の味覚としては微妙、けど弟と妹がよく種の飛ばしあいするのを笑いながら見てたような……。

 なんだ。いろいろあるじゃん、楽しかった夏の思い出。

 長年忘れてた大事なものを取り戻し胸のあたりが外気温と無関係にじんわり暖まる感覚を覚えていると視界が遠のいて暗転、私は自宅のソファでくつろいでいた。

 夢は続いていて内容だけ変わったみたいだ。気温もそのままで現実同様に部屋のエアコンは動いてない。

 せめて気分だけでもと水を飲もうとしたが体を動かせない。夢だと意識はあるけど四肢に神経が通っていないような状態である。

 私は私の意識を無視してスマホを弄りだした。画面にSNSのタイムラインが表示され上から下へ指の流れ通りに情報が処理されていく。ただ書かれている内容は『SSRサラリーマン 不倫芸人に表彰される』や『内閣サッカーと米の被害 炎上した動画男』など支離滅裂で理解できない。

 ふと気づいた。これはいつもの私の行動をベースにした夢なのだ。

 ソファでスマホは暇なときによくやるルーティン的行動だ。画面の文章がおかしいのは細かな情景まで記憶してないから、情報を一つ一つ確認してないからだろう。

 納得して気分が晴れたが夢のグレードとしては非常に低いツマラナイものである。こういうのに限って再生時間も長いから厄介だ。

 明晰夢から覚める方法は知らないので諦めて暇を潰していた時ネットニュースの『今年はセミが大量発生 例年の五倍』という見出しが目に留まった。しかしタップせず流し見で終わった。たしかに近所の公園の数本しかない木から外耳が裂けそうなほどの鳴声がしていたのでニュース内容は合っているのかもしれない。

 私の指は引き続き画面を上下に動かしていたが、現実の私は気性が近いようだった。

 いい加減汗をかきすぎて不快指数もマックスだろう。ついでに腹も鳴りだした。

 意識がぼんやり暗闇に沈んでいき、その後明るい方へ浮上していった。




 変な夢を見ていた灼熱で静かな朝だった。

 燦々と日光が顔を突き刺し平熱を上げる湿った温風が耳をくすぐる。焼け焦げたプラスチックと鉄の溶ける臭いがして、私は引き続き休息を求める体を理性で叩き起こした。

 1DKの寝室で人目も気にせず大きなあくびを一つ、中くらいのを二つした。不快感で無理やり目覚めたせいで今朝も眠気との戦いが長引きそうだ。夢の内容は新幹線より高速で記憶の奥に離れてしまった。もう変な内容だったとしか思い出せない。

 スマホの目覚まし機能は働かなかったようで太陽は真上で光っている。

 あーもうお昼じゃんか。どうりで暑いし腹も減るわけだ。


 私は空を振り仰いだ。太陽が真上にある。見慣れた雨漏り天井がない。

 ん、んん? 首を振ってまつ毛が擦り切れるくらい目を擦る。壁が一枚もない。昨晩まで物とゴミで溢れた典型的堕落一人暮らし部屋だったはずが四方全て開放的空間と成り代わっている。

 そもそもここはアパートの三階のはず。目線の高さこそ変化ないが両隣の部屋は跡形もなく、視界全周の一キロほどに建物および人影はゼロである。遠くの住宅街やビル群以外、大災害後のように瓦礫の海が広がっている。まるで私の自室を中心地に爆発が起きたような、そんな光景だ。

 ……えぇぇっと、わけがわからん。

 今私にできる活動は、①これは現実ではなく夢である仮説を確認する、②億分の一私に原因があるならと昨晩の行動を振り返る、③さっきから食を求めてうるさく鳴く腹を黙らせるため朝食兼昼食をとる、の三択。

 さすがにここまでぶっ飛んだ状況じゃ、ノーベル賞受賞者十人が九十分講義を行ったとしても「うんうんなるほどね~」とはならない。夢ですよと言ってくれた方がまだ信じられる。私の小さな脳みそで作れるレベルの空想にしては完成度が異常だけどね。

 というわけで③食事にしよう。何事も腹が満たされなければ上手くはいかぬのだ。しかも食欲だけでなく睡眠も不足してる私は金棒も虎柄パンツも失った鬼のように本来の力が出せない。しかも私は鬼ですらない。

 不思議なほど汚れひとつないベッドから降りた。

 足元は元々のゴミの上に壁のクズや窓の破片が散らばり危険度が倍々だ。積み荷のダンボールに引っかかった赤色のと黒色の靴下を何年振りかに履いて、昨日まで自宅だった場所をふらふら歩きだした。

 寝室はダイニングの隣に壁で仕切られていたがそれもない。キッチンは残っているが壁沿いの冷蔵庫は横倒しになっている。テレビはたぶん壁と共に吹き飛ばされソファは粉々に砕けて中綿が真っ白な内蔵のように噴出している。テーブルや椅子、その他家電も破損もしくは行方不明の大損害。

 そういう頭痛がするお金の話はぜんぶ後回しで倒れた冷蔵庫へ向かう。

 ああ、コンセントが千切れてる。こりゃ中身はいくつかダメになってるかも。

 開けろ中を見ろと急かす胃袋に意思を預け扉をガバっと……。

 閉じ込められたぬるい空気が溢れた。中身はがらんどう。

 そうだ、忘れてた。昨日仕事終わりに買い物に行こうとしてたのにスマホゲームのイベントが始まったの思い出して何も買わず帰ってきたんだった。

 あるのは飲みかけの炭酸水(酒割り用)、残量ミリのめんつゆ、未開封合わせみそ一パック、賞味期限九ヶ月前のスライスチーズ三枚、昨晩の余り物で作った野菜炒めの残りはタッパーに入れといたから大丈夫。ほかに生野菜、卵肉魚類はなし又は傷んでる。夜中のうちに街の崩壊が起きたらしかった。

 やばいやばい。他に何かないのか。

 冷蔵庫に見切りをつけてキッチンの収納扉を片っ端から開ける。

 塩、砂糖、酢、醤油など調味料は一通り。食料は、荒削りのかつお節とシソふりかけ……お、パスタが二束ある。奥の方に実家から壺ごと送られてきた梅干しも無事だった。案外食べ物あるじゃん。

 ――いやいやどうするよこれだけで。私の自炊スキル舐めるなよ私。外食とスーパーの割引総菜で済ませてきたツケが牙をむいてきた。

 収納で見つけた食料類はキッチンの床に並べた。

 この中でメインになるのは、やっぱパスタか。一束食べるのはもったいないからその半分だけ掴む。

 あとは床に転がった小鍋を拾い水を入れ……ない。水道はストップしていた。

 ってことは……と常識を改めて確かめるようにコンロスイッチをひねるがパチンッパチンッと点火装置が弾けるのみ。案の定ガス供給も停止。もちろん電気もない。

 火がなければ湯も沸かせないし湯になる水もないなら調理できない。

 しかし乾いたパスタ麺を握っていても策は浮かばないし胃も空のまま。

 パスタが食えないなら仕方ない、残り物で我慢しよう。

 引き出しから箸を、冷蔵庫から野菜炒めの入れ物を拾いあげて、

「いただきます」

 いつも言わない感謝を誰もいないのに口にした。

 キッチンで立って食事をする。めんどくさがりの私は割とこの食べ方をしていた。買った当時のワックスが光るテーブルとセットの椅子はもう使えなくなってしまった。

 こんなことならもっと使っとくんだった。って誰も想像できないでしょ、朝起きたら全部吹き飛んでるなんてさ。家具がどんだけ壊れても生きてるだけよかったよ。そうそう、生きてりゃなんとかなるなる。

 脳内一人芝居を開催しつつ常温の味噌味白菜をもくもく食べる。火の通りが甘い芯が硬くて奥歯に運んで砕いた。味も濃いから喉が渇く。気抜けた炭酸水を飲み干した。

 額を汗が幾筋も流れる。陽炎に揺れる彼方のビル群が視界に入る。まとわりつく熱気が無視していたい現実を唐突に突き付けてくる。

「リアルだ」

 喉を抜け食道を過ぎて胃に落ちる粉々の白菜と遅れて流れ込んだ炭酸水、瓦礫の平地と陽炎のビル群は精巧なジオラマで組まれた特撮映画の世界のようにリアルな生活感がある。

 当然だろ。現実そのものなんだから。

 昨日まで、寝るまで何事もなく廻っていた世界がここだ。全部繋がってる。土地も時間も世界線も。

 私は少なくとも今は狂ってないし五感もばっちり機能する。視覚は受け止めるには余りある風景を捉えている、嗅覚は巻き上がる土埃と水っぽさが混じる空気を吸い込んでる、味覚は味噌の塩気と白菜の甘味をまだ残している、触覚は着古したパジャマのざらつきと箸の堅さを記憶している、聴覚は――セミの声が聞こえない。

 あれだけ大量にいたはずのクマゼミたち、迷惑の塊だったはずがこの一晩の事件のせいで住処の樹木共々消滅した。

 それどころか家からも街だった場所からも誰も何も音が聞こえない。気配がない。もしかして音を生む生命体が私以外存在しない……?

 本能的な冷たさが首元から背中を伝わり今日初めて心から恐怖した。

 深夜の隣室に大声でアカペラカラオケする男子大学生も馴染みのコンビニで働くベトナム人青年もネチネチ小言ばかり言うおっさん課長も、十年帰ってない実家に住む家族も、みんないなくなってしまったのか? 一晩でまるで細胞一欠片まで滅菌焼却されたみたいに……。

 圧倒的な孤独感が肌にひたり張り付く。悲壮と絶望と焦燥がぐちゃ混ぜに渦巻いて肺が不味い。とっくに耐性がついたと思い込んでいた、かつて上京したての頃よく就寝前にまぶたの裏で感じていた友人のいない孤独や未来へのどうしようもない不安、至る所に存在し私を追い込む透明なプレッシャーが徒党を組んで襲い掛かってきたような戦慄を身体が思い出した。

 力なく汚れたキッチンの床に座り込んだ数分が体感で半日くらいに思えた。太陽はまだ頭上で地上のことなんて見知らぬ素振りで仕事を全うしている。

 食欲も眠気も失せた。社会にも国にも世界にも期待なんてしてなかったはずなのに、崩壊していくのを目の当たりにしたらそれらを今すぐ取り戻したい縋りたいと望んでいる。人ってなんてか弱い生き物なんだろう。いや人じゃなくて私だけが弱いのかもしれない。私以外の人なら生き残れると根拠なく確信する。良い考えが何も浮かばない。

 だらんとした両手が自然と握り合っていた。神様、助けてくれないのなら眠っていた私を生かした理由を教えてください――ほら、無宗教のくせに存在しない神に頼み事してるよこいつ。自己中が都合よすぎて笑いが止まらんわ――うるせえ。それでも神に願う以外できないんだよ。何でもいいから祈って想って土下座してでも助けを請う。そこまでしてもダメならいっそ……でも自分の境遇や人格を呪って上司の不満を抱えて仕事の愚痴を垂れて惰性で生きていつ死んでもいいやと心に言い聞かせようが結局私は死にたくないのだ。捲れ過ぎたささくれの僅かな痛みすら感じたくない。コンマ一秒でも長く生まれ持った五感と五体を損なわずに生きていたいのだ。まだやれてないこと、してみたいこと、やり残したことが山ほどあるんだ。たとえポックリ孤独死したって未練タラタラで成仏できず元の寿命以上に地上をうろつくだけさ。


 ねえ私、それならさ、もうちょい頑張ってみない?

 せめて二十年前に置いてきた両親の呆れた笑顔と弟妹の元気印な笑顔を見に行こうよ。青々した田んぼと耳の遠いバアさんの駄菓子屋と廃校になった小学校を見に行って、そんで鼓膜を震わせて止まない大嫌いなアブラセミの声も聴きに行こう。ついでに崩壊の原因も調べられたら最高だよね。

 遥か昔の幼い記憶が一つ、一つと雨上がりの雨樋を滴り落ちて地に染入るように頭を広がっていく。地元の風景や家族の些細な日常を覚えていたことに驚いた。なんで忘れていたんだろうとも思った。情けない自分を見せたくなくて無意識に遠ざけていたのだ。けれど簡単に捨てられないくらい大切な存在でもあった。

 目を閉じて家族の顔を思い浮かべる。十年以上会ってないため当時の顔しか浮かばずその顔すら霞んでいる。還暦を超えた父さん母さん、ずっと無視して連絡しないでごめん、会いに行くから。弟妹はもう成人しているのに一度もお年玉あげてない。ポチ袋用意して必ず渡すから。

 あてもなく彷徨うか半壊の部屋で餓死を待つしかなかったが目指すべき場所が決まった。当面の生き残らなきゃいけない理由も。

 やっとのこと生み出した微かな気力で立ち上がり何か使えるものがないか部屋を探し回る。スマホは電池の限り使えるが回線は死んでいる。基地局が停止してるかもしれない。服は何枚かあった方がいいよね。でも年単位で服を買ってないクローゼットの中は仕事用のよれよれスーツと十年現役のジャージにお出かけ用(つまりほぼ未使用)のちょっとだけ洒落た数着。動きやすさを考慮してジャージとボロくない上下をワンセット選んだ。

 クローゼットは比較的無事で奥にしまい込んだまま放置の不用品がゴロゴロ出てくる。こりゃしんどい作業になりそうだ……んん? 見覚えないリュックサックが出てきた。側面背面に二つずつポケットがついた収納力の高いグレーのリュック。いつから部屋にあるかもわからない。私が買ったものじゃないならたまに実家から来ていた荷物の一つかもしれない。上京して実家に帰ってないがその分荷物や手紙や電話メールはよく送られてきていた。過去形なのは一年ほど音沙汰ないからだ。今まで半年に一回は家族の誰かから何かしらあるのに少し気にはなっていた。リュックは最低でも二年前のものになる。

 確認のためにチャックを開けてみた。水二リットル、ハンドル充電式ラジオ付き懐中電灯、乾パン三つなどなど。防災リュックだ、このまま持っていけば生活も数日はどうにかなりそう。食料の賞味期限もギリいけそう。

 内容を確認していると三つ折りの紙が一枚出てきた。シンプルな白の便箋で開いたら何か書いてあった。

『最近地震や災害が多いので防災用品を送ります。あなたは何の対策もしてないと思うので気を付けて。お願いだから親より先に死なないでね。もし気が向いたらでいいので連絡してください。清子、勝弘、翔斗、葵より』

 文字が滲んでしまわないようにゆっくり折目通りに畳んでリュックのポケットへ入れた。目を何度も擦って準備を再開する。元が汚かった部屋が壁の残骸やら天井のチリホコリが落ちてきたせいで探索しづらくなっている。ほんと目にゴミが入って困るなぁ、こんなことならもっと早く掃除しておくんだったよ。

 けど最早自宅じゃなくなったここに帰ってくることはないだろうな。いろいろしていたら時刻は18時を過ぎた。リュックを担いで立ち上がる。肩にのっかる重みが今の私のすべてだ。慎重に、まずはどこが崩れてもおかしくないこのアパートから抜け出さなければならない。横たわる冷蔵庫を越えて風通しの良くなった玄関まで忍び足で進んだ。一番丈夫そうなスニーカーを履いた。

 後ろを振り返る。視界は入道雲の浮かぶ薄暮の空に貫けてどこまでも広がる。目指すべきは北西、中央道を通ればわかりやすい。徒歩で何日かかるのか、体力は持つのか、他に生存者はいるのか。わからないことしかないけど引き下がっても野垂れ死ぬだけなら怠け蟻並みでも自分のペースで前に進もう。いざ、実家まで帰りますか。


 あ。

 アパートの階段が三階部分の根本から折れて地面でお亡くなりになっていた。地上までおよそ六メートル。ジャンプすれば足首が砕けるか脛骨が膝を突き破ってしまう。

 ええ……どうしよう……。




 帰るか。



 今日私のインドアな白肌を焦がした太陽はガレキまみれの地平線に沈もうとしていた。暗くなったら危ないとそれっぽく自分に言い聞かせて出発は明日朝に延期した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

崩壊世界と帰るべき夢 夏野篠虫 @sinomu-natuno

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ