第25話 運命はもう過ぎ去って、逃れられない選択が残る

「え? それは……」


 あまりに意外過ぎる問いかけで、思わず答えに窮してしまう。


 そんな空白に詰め込んでいくかのように、美海は質問をどんどん投げかけてきた。


「なんで私を見捨てなかったの? なんで養育費を払い続けたの? なんで私を助けたの?」


 ぎゅっと、私の右手が握り返される。


「なんで自分勝手に、我が儘に生きてくれないの? なんで顔も知らない私を想ってくれてたの?」


 指と指が絡まり合い、手と手が混じり合ってひとつになる。


「なんであんなに必死に……怪我までして……」


 決して離れたくないと、必死の願いが伝わってくる。


「…………酷いよ、お父さん。酷い」


 肩口に美海の額が押し付けられて、じわりと熱が広がった。


「もっとお父さんが悪い人だったらよかった」


 罵倒されて、気付く。


「お父さんがお母さんの言う通りの人だったらよかった」


 いや、本当はずっと分かっていた。


「だったら!」


 美海の気持ちは……。


「――こんなに好きにならずにすんだのにっ!」


 好き、は苦しい。


 愛してる、は痛い。


 何故なら、それは私たちの間に在ってはいけない男女の感情だから。


 私は少女の父親で、設楽美海は嵩根令次の娘だから。


「――――っ」


 私も好きだ。


 美海を愛している。


 その言葉を口にすることは簡単だが、果てしなく重い。


 断っても受け入れても、愛しても憎んでも美海を傷つけることしかできないのだ。


「ひぐっ……あ、あ……あぁぁぁぁぁ……」


 決して離さないと固く手を握りしめながら、泣き崩れる美海の頭に頬を寄せて抱きしめる。


 胸元に広がっていく熱い涙を止めたくても止められないことに、やるせなさでいっぱいだった。




 


「……目、痛くないか? 近くの自販機で冷やせる様な物買ってこようか?」


「心配しなくても、大丈夫……です。それよりも、放さないでください」


 暗くてよく見えないが、泣き腫らして真っ赤になったであろう瞳をくしくしとこする。


 やりにくいだろうに、それでも美海は繋いだ手を放そうとしなかった。


「あ~……こんなに泣いちゃうなんて思いませんでした」


「私は美海の違う一面を知られて満足だよ」


「……その言い方はいじわるです」


「ごめん」


 少し迷ったのだが、空いている手を美海のうなじに回して軽くハグを行う。


 私の心配は杞憂だったようで、美海は嬉しそうに笑うと私の胸板に頭を預けた。


「……私、思ってたよりお母さんが大切だったみたいです」


「そういうものだよ」


 血は水よりも濃い。


 初海みたいに心底親を嫌える方が珍しいのだ。


 美海しかり、洋子しかり。


 どれだけ相手が良くない存在であろうと、完全には切り捨てられない。


 どこか、期待してしまう。


 それが肉親というものだった。


「嘘だって分かってるのに、最後の最後までお母さんの言葉を信じていて……。でもそれはお父さんを信じないってことなのに……ごめん、なさい」


「気にしないでいいから」


 思えば初海と共に家を出ていくなんて言い出したのも、最後の一線を守るためだったのかもしれない。


 きっと、私との関係を断ち切る理由として無意識に利用したのだろう。


「私……私……」


「いいから。例え美海がどんな選択をしても、私は受け入れるよ」


「お父さん……」


 自殺しようとしていた美海に惹かれたのは偶然だった。


 出会ったばかりの私と関係を持ちたいと美海が願ったのも偶然。


 初海が私に助けを求めたのも、ギリギリで間に合ったのも偶然だ。


 そんな奇跡のような偶然が重なり合えば、もうそれは必然と、運命というべきではないだろうか。


 私たちは、こうなるさだめだったのだ。


「私は美海が……美海をなによりも愛しているから」


「――――っ」


 決定的な言葉を口にしてしまったというのに、心はむしろ澄み渡っている。


 ずっと心の奥底で澱んでいたものが全て無くなった様な気分だった。


「ああ、こんなに美海のことが好きだったんだな、私は……」


「あ……あ……お、おと――んんっ」


 先ほどあれだけ泣いたのにまた泣かせてしまうなんて本当にダメな父親だ。


 空いている左手を美海の頬にあてがい、親指で涙を拭う。


 けれど、何度拭ったところで枯れることなく溢れ続け、涙腺を壊してしまったのではないかと心配になった。


「美海、ごめん」


「そ…………っ!」


 言葉を紡ぐことすらできないほど感極まっているのか、美海はブンブンと首を左右に振る。


 きっと、謝らなくていいと言ってくれているのだろう。


「こんな私を好きになってくれてありがとう」


「――――っ!!」


 自身をぶつける様に、美海が私に口づけをくれる。


 言葉にできないから。


 他に気持ちを伝える術を知らないから。


 それでも私を愛していると伝えたくて、唇を押し付けて来た。


「…………」


 甘い匂いで口内が満たされる。


 視界は美海の顔で。


 感触は美海の唇で。


 私の全てが美海で埋め尽くされていた。


「…………」


「…………」


 一度つながりを離して互いの瞳を見つめる。


 黒真珠のように美しい美海の瞳の中に私が居て、きっと美海も私で満たされているのだと思うとひどく気分が高揚した。


「……お父さんは、なかなか……好きだって言ってくれないから、私だけかもしれないって不安でした」


「ごめん」


 謝った瞬間、また唇を奪われる。


 謝罪は要らない。


 そんなことに時間を使うなら、愛情を注いで欲しい。


 好きだと伝えて欲しい。


 そう、言葉ではなく行動で伝えて来た。


「……愛してる」


 美海の望み通り、キスの狭間に言葉を投げかける。


「好き……好き……大好き……っ」


 美海からもお返しとばかりに、唇と言葉の嵐がぶつけられる。


「私も……だ……っ!」


 互いの唇と言葉と心が混じり合い、ぶつかり合って……。


 私たちは、初めて人を愛するということがどういうことなのかを知った。

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