エピローグ

エピローグ これから、心、温もり2つ

「あ、篤史君っ、ちょっといい……かな?」


 放課後、くりくりとした目が特徴的な女の子が僕を廊下で呼び止めた。ちょうど胸くらいの位置から僕を見上げる彼女の頬はうっすらと上気していて、彼女の気合の入れ込みようが伝わってくる。

 ボランティア部部長だ。小動物を思わせる彼女はショートヘアーの先を揺らして問うてくる。


「昨日、は大丈夫だった……? 篤史君の友達が、忙しいから来れないって、言ってたけど」

「あぁ、うん、大丈夫だったよ。色々あったけど」

「ごめんね。忙しいところ、無理を言ったみたいで」

「いやいや、僕の方こそごめん。約束を破る形になっちゃって」


 昨日、笠松さんと仲直りをするために、彼女とした約束をすっぽかしてしまった。僕の都合で約束を破ってしまったのだから、彼女は何にも悪くない。

 

「本当に気にしないでよ」

「そっか、なら良かった」


 眉を八の字にして、心の底から安堵の笑みを彼女は浮かべる。よっぽど心にしこりとして残っていたらしい。真面目にボランティア部の活動に取り組んでいることからも分かる通り、優しい人のようだった。

 

「それで、ね。昨日、私1人でやったんだけど最後まで、しっかりやれなくて、どう、かな? テスト終わってからの放課後とか、また手伝ってくれないかな?」


 ボランティア部長が僅かな期待が浮かんだ表情でそう問うてきた。

 彼女には迷惑を掛けたし、ここでお願いを聞くことが人として正しいと思う。お詫びの意味も込めて応えるべきなんだろう。

 だけど、ごめん。


「そういうのは、もう止めたんだ」


  

 たった、たった、と少し駆け足になりながら、僕はグランドを蹴って校門へと急ぐ。

 例の如く僕のクラスのホームルームは先生の話が長いせいで終わるのが遅かった。おかげですっかり出遅れて、玄関から校門までは生徒たちがびっしりと埋め尽くしていた。


(ま、関係ないけど)


 生徒の間を縫うように進むのは僕の十八番。例えどれだけ前を塞がれようとも、目的地は違わない。曲がりくねった道だろうと、目的地さえ忘れなければ必ずたどり着けるんだから。

 横に広がる男子の横をすり抜ける。開けた視界の先は校門で、端の花壇の前には彼女がいる。 

 ほっそりとしたシルエットに長い黒髪。暗色のブレザーが良く似合う、もうすっかり見慣れた姿の彼女が。


「遅い」


 笠松さんは僕を認めると、ただでさえ鋭い切れ長の瞳を一層鋭くして僕を睨んだ。

 

「また変なのに捕まってたわけじゃないでしょうね」

「一応、手伝いをお願いされたけど、すぐ断ったよ」

「それって、あの時の子と同じ子?」

「あの時って?」

「ほら、あれよ。私が、その、貴方と喧嘩した原因になった……」

「ボランティア部の部長のこと? うん、まぁ、そうだったけど」

「ふぅん……」


 あれ、なんだか空気が不穏だぞ。


「いや、ほんとにすぐ断ったから。本当だから」

「それにしては遅かったけど」

「単純にうちのクラスの先生は話が長いってだけだよ」

「そんなもの、さっさと切り上げさせなさいよ」

「無茶言わないでって。まぁ、笠松さんが言うなら、努力するけど」


 何か口実があれば可能だろうけど、どうしたものかな。

 少し考え込んでいると、左腕にもたれかかられているような重みと未体験の温もりが。

 笠松さんだ。目を向けると、僕の腕を掴んで軽く体重を掛けている。表情は不満と寂しさが入り混じったような感じ。どうやら彼女を放っておいて考え込んだのがいけなかったらしい。


「……はは」

「むかつく」


 甘えてくる笠松さんが可愛らしくて思わず微笑む。見下ろした彼女は、恥ずかしいやら、悔しいやらで、唇を尖らせていた。ただそれでも実力行使に出ないあたり、悪い気分じゃないらしい。


「ねぇ、見て見て、あれっ」

「あの2人、やっぱりそうだったんだ!」


 ふと、校門の向かい側で黄色い声がした。僕と笠松さんで目を向けると、そこには2人の少女が。彼女たちはこちらをと見て、気づかれたと悟るとすぐ「きゃ〜〜」なんて言いながら去っていった。

 僕の方はあの2人に心当たりはないから……、


「友達?」

「違う」


 笠松さんに尋ねると、食い気味な否定の言葉が来た。嫌悪感を隠しもしない表情から察するに、本当に友達じゃないようだ。


「あいつらは羽虫みたいなものよ」

「毒舌が過ぎない?」

「ああして茶化してくるタイプが嫌いなだけ」


 確かに僕も茶化してくるタイプの人間は好きじゃないから気持ちは分かる。例えば、昨日の顛末を聞いて散々茶化してきた修二とか、修二とか、修二とか。

 まぁ、とはいえ、


「笠松さんと2人は友達になれそうな気がするよ」

「本気で言ってる?」

「良くも悪くも興味を持ってくれてるってことは、相手と繋がるチャンスってことでしょ? あの2人に害意はなさそうだし」


 多分、彼女たちからすれば、ありふれた恋バナの1つなんだろう。孤高を気取る笠松さんに恋人がいるから、無邪気にはしゃいでいると言った感じだ。話の種にされるのはあんまり良い気分はしないけど、それは僕らが思うこと。彼女たちはこちらを害そうと、害していることに気づかないくらい無邪気なだけにすぎない。

 笠松さんは、多少他人を気に掛けないくらいなタイプの人と相性良いし、なんだかんだ僕との関係をきっかけに仲良くなりそうな予感がする。

 

「友達とか……作らないの?」

「今はいい」

「……そっか」

「貴方との距離感に慣れたいから、まだいい」

「そっか」


 彼女の物言いに反射的に頬が緩む。今、鏡は見たくない。絶対に気持ちが悪い顔をしてるから。


「……………………ふんっ」

「ぐっ……ふ……ぅっ」


 やや沈黙があって、笠松さんの拳が僕の腹に飛んできた。抱きついている左腕を軸に、回転を掛けて叩きつけられたその一撃は、胃を押しつぶす感じで僕の腹を抉った。

 腹を抱えてうずくまる僕は笠松さんに向けて叫ぶ。

 

「い、今のは笠松さんも悪いと思うけどッ?!」

「う・る・さ・い」


 笠松さんは笠松さんで、顔を林檎のように真っ赤にしている。自分で恥ずかしがるくらいなら、もう少し考えてから発言すれば良いのに。


「不器用だなぁ」

「もう一発入れられたい?」


 もう良いです。

 

「ほら、早く立ちなさいよ。変に注目を浴びて居心地悪いから」


 「その原因は笠松さんじゃ」と思ったけど、口には出さないようにしておく。

 立ちあがろうと地面に手を突くその前に、笠松さんから差し伸べられたほっそりとした手に気づいた。


「何よ、そんなにまじまじと見て」

「いや、何でもないよ」


 手についた砂を適当に払って、僕は笠松さんの手を取った。

 これが僕と笠松さんの今のあり方。互いに手を取り合って、補い合うという関係性。

 足に力を入れて、彼女が僕を引っ張る力を借りながら立ち上がる。

 そのまま、掴んだ手は離さずに、指を絡めて手のひらと手のひらを合わせるように一層強く握りしめた。

 つまり、俗に言う恋人繋ぎだ。


「ちょっと」

「嫌だった?」

「嫌……じゃないけど」


 口を尖らせる笠松さんは居心地が悪そうにしてしてたけど、満更でもなさそうだ。許可も出たことなので、心置きなく手を結ぶ。

 でも、どんな風に手を結んだって、この時間は自転車置き場までの短い時間だ。そんな事実が寂しい。


「自転車通学じゃなければなぁ」


 言うと、笠松さんが握る手を強くした。彼女も気持ちとしては一緒のようだった。


「歩いて帰る?」

「…………どれくらいかかると思ってるの?」

「笠松さんと一緒なら何時間でも良いよ」


 いつまでだって居られるよ、本当に。

 どこまでだって、どこへだって、笠松さんと一緒なら。

 絡めた指に力を入れる。絡めた指が離れないように、絡めた指を離さないように。

 応じるように優しい力強さが笠松さんから返ってくる。か細いけれど、確かな繋がりの証明に、胸が沸き立つような気持ちになる。


「そんなに一緒に居たいなら、また週末はどこかへ連れて行ってくれるのかしら」

「テスト週間中だから、勉強しなきゃでしょ。もうすぐ3年生なんだし」

「だから一緒に、図書館とかで勉強しようって言ってるの。察しが悪いわよ、馬鹿」


 笠松さんが自分の願いを口にしながら笑う。僕の不足を窘めるように、自分の思いを告げられた清々しさを噛み締めるように。

 こんな風に笠松さんが素直な気持ちで笑顔になれる時間をこれからは積み重ねていこう。届かぬ願いに苦しむばかりの僕らだけど、苦しみを紛らわせることに腐心しない理由はないんだから。

 それに……純粋に笠松さんの笑顔は好きだし。


「テストが終わったらどうしよう」

「どうしようって、どういうことよ」

「だって12月は冬休みあるし、クリスマスとか、年末年始とかあるでしょ? 一緒に居ようよ」


 笠松さんとやりたいこと、過ごしたい時間は一杯ある。クリスマスでプレゼント交換だってしたいし、一緒に初詣に行きたい。バレンタインデーにはチョコを貰って、ホワイトデーには笠松さんが引くくらいのお返しをしたい。


「未来のことなんて考えて来なかったわ。考えたくも、なかったし」


 笠松さんは茫然とした様子で言った。彼女は冬に死のうとしていた。それくらい生きることに苦しんでいた。胸の中の虚しさがそんな風にさせていた。

 だから、思い出を作っていきたいんだ、僕は。笠松さんが虚しさを紛らわせられるような思い出を。


「これからは一杯考えていこうよ」

「嫌だ、と言っても、そうさせるつもりでしょ、貴方は」


 流石、笠松さん。僕のことをよく分かってる。

 僕は笠松さんのために与えて笠松さんを満たし、笠松さんは僕を受け入れることで僕を満たす。正反対な願いの僕らは、正反対だからこそ支え合える2人として在れる。

 僕らが僕らである限り、僕が笠松さんについて手を抜くことは有り得ないのだ。

 びゅうお、と僕ら2人に風が強く吹きつけた。テレビのニュースによると、どうやら今年は一足早く冬が来るようで、吹き付ける秋風はもうすっかり冬めいている。染み入るような風の冷たさに、僕らは示し合わせたように体を震わせた。


「寒い」

「寒いね」


 心の穴が埋まったわけじゃない。風が吹き抜けるばかりの寒々しい虚ろはまだぽっかりと空いている。これから来る冬の寒さは一層、堪えるものになるだろう。

 笠松さんがもう一度預けるように体を寄せて来る。指だけでなく腕も絡めるような距離感になって、伝わる温もりがより一層増す。


「……これなら寒くないから」


 言い訳するように小さな声で笠松さんは言った。一歩こちらに踏み出した笠松さんの頬は朱に染まっていて、こちらとは目を合わそうともしなかった。

 

「うん、あったかい」


 僕の隣には笠松さんがいる、笠松さんの隣には僕がいる。

 結んだ手のひらから伝わる温もりが、僕らの空漠を優しく温めてくれる。

 大丈夫だ。求めるものは違っても、同じ虚しさを知っている僕らなら。

 どんなに厳しい冬が来て、寒さに心を凍えさせるようなことになっても、隣に互いの温もりがある限り。

 ふと、足元に黒い塊が転がってきたような、そんな気がした。

 けれども、それはただの錯覚で、目を向けた視線の先には何もない。

 冬の始まりに、夏の終わりに見た蝉の死骸を幻視する。

 今の僕は命を燃やして生きた彼に少しでも近づけているだろうか。

 いつかした自問自答と違って、すぐに答えは出せそうになかった。

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