ep.03 一緒に

 立ち去る笠松さんの足の運びはいつもより速い。未練を振り切るように、あるいは引き留める僕を拒絶するように。振り返ることすらしないそんな彼女の振る舞いは痛々しさすら感じた。

 意固地になっている。意固地になったところで、此処には僕しかいないのに。意地を張る必要がないのに意味のない意地を張っている。


(何で意地を張っているんだろう?)


 そう疑問する。何で意地を張っているんだろう、彼女は。

 僕を諦めさせるために、という理由がまず一番に思いつく。彼女にとって僕は付き纏ってくる鬱陶しい存在だ。彼女の楽しいことを探すという目的の達成は当然彼女に依存する。徹底的に邪魔しようと思えば、僕の目的は絶対に達成しない。僕のやっていることが無駄だと悟らせて、諦めさせようとするのは考えられる。

 だけど、だったら、どうして笠松さんは今日来たのかな? Cルームでのやり取りで笠松さんはもう分かっているはず。。気まぐれにしか来ない返信を屋上の件を引き合いにして咎めていない時点で、僕にその気がないことは理解してる。僕を鬱陶しがるなら、そもそも今日水族館にやってこなければ良い。

 だというのに、今日来た。だから、意地を張る理由は僕を諦めさせるためじゃない。

 見通せないブラックボックス。僕が知らない笠松葵の世界がある。

 そして、そこに彼女の虚しさの原因りゆうがあるんだろう。あんな意地を張っているんだ。彼女自身を追い詰める虚しさと無関係だとは思えない。

 早歩きの笠松さんに追いついて、僕は彼女の隣で歩く。

 緩い暖房。籠った空気。雑多な匂い。淀んだ空気の中を、僕らは泳ぐ。

 意地を張った笠松さんは前しか見ておらず、ただ前を進むことしか考えていないようだった。まるで止まってしまえば息が出来なくなって死んでしまうような、そんな強迫観念観念を持っているように見えた。

 だったら、無理矢理止めてしまえば良い。自殺を望む笠松さんを僕は止めるためにいるんだから。

 外に繋がる広いエントランスで、僕は笠松さんの前に立ちふさがって彼女の歩みを止めた。

 

「何――?」


 笠松さんが苛立たし気に僕を睨みつける。怒りの籠った鋭い眼光は、これまで見てきたものの何よりも強く、思わず僕は彼女から目を逸らす。


「用がないなら立ちふさがらないで」

「い、いや用ならある、あるよ」

「……何?」

「えっと――」


 しまった。呼び止めることしか考えてなくて、呼び止める理由なんて全然考えてなかった。

 内心冷や汗を掻く。不味い。急いで引き留める理由を探すため視線を巡らすと、都合の良いものが目に入る。


「イルカ、そう、イルカショーがあるから、それを観に行こう!」

「…………嫌」

「そこを何とかっ。僕、見るの初めてなんだ……!」


 拝み倒して、頼み込む。ここで笠松さんを優先することを言われると詰むけど、そこはそれ、彼女の優しさに縋るしかない。

 しばらく沈黙があった。周囲の喧騒が僕らの間を流れる。

 やがて「はぁ……」と重たい溜息を吐き出すと、

 

「仕方ないわね……」


 なんて呆れた声で言ってくる。

 

「それが終わったら、今日は帰るわよ」

「うん……うんっ、ありがとう!」

「ちょ、ちょっと、近い、近いから……っ」


 感極まって、思わず距離を詰めすぎた。焦った様子で僕を押しのける彼女の手に抵抗せずに、そのままゆらりと距離を取る。

 笠松さんは、少し緩んだ目元で僕を睨みながら、


「ったく、色んな意味で距離感がおかしいのよね、貴方は」


 なんて言ってるけど、こちらとしては彼女を引き止められた時点で僕の勝ち。多少の小言なんて無視無視。

 それじゃあイルカショーに行こうと、目に止めた案内板に近づく。案内板には、ショーの開催時間はだいたい1時間後くらいだった。

 さて、どうしようか。時間も時間だし、そろそろ昼食をとっても良い時間だけど……。

 と笠松さんの様子を窺う。何処となく浮ついた感じの彼女は、少しばかり柔らかい表情を浮かべていた。

 これは、あれだ。笠松さんが何かに興味を惹かれていることの意思表示だ。

 悟られないように彼女の視線の先を追って見ると、傍で開かれているハーバリウム作成のワークショップ。ガラス瓶にオイルを入れてドライフラワーなどを詰めたインテリアの1種だ。「小さな水族館を作ろう」をコンセプトに、サンゴや海藻、魚の小さなフィギュアを材料に使ったハーバリウムを作れるらしい。


(んぐっ、た、高い……)


 2000円の参加費にやや怯む。交通費や入場費を含むと、今日の出費は高校生の財布には結構きついものになっていた。

 ええい、しかし、しかしだ。此処は腹の括りどころ。頑張れ、自分!

 

「やる?」

「――――別に興味ないし」

「だから隠さないで良いんだって」

「…………」

「むすーとしない、むすーと」

「ふん――っ」

「あいたーっ!!」


 言うに事欠いて、足を踏みつぶさないでっ。しかも的確に爪先を――ッ!

 ま、まぁ、それはともかく、ともかくとしておくとして。 

 爪先の痛みを殺した作り笑いで、僕は笠松さんに言う。


「興味があるならやろうよ。いいじゃん、楽しそうだし」

「いや、だから――」

「――やりたいんでしょ?」


 僕の問いかけに、笠松さんは言葉に窮した。

 よし、隙が出来た。畳みかけるぞ。


「今日来たのは、確かに笠松さんの楽しいこと探しだけどさ。でも、僕はね、僕の目的に関係なく、水族館を

「私と一緒に……?」

「そうだよ。折角来たんだし、しっかり楽しまなきゃ」


 僕は笠松さんとという部分を強調して説得する。

 下手に笠松さんだけをフォーカスすると、さっきみたいに袖にされるかもしれない。だから、敢えて僕を巻き込む形にすることで笠松さんに断りづらくしようとする策略だ。少しばかりナンパな言葉になった気がするけど、まぁうん、大丈夫でしょう。大丈夫だよね?

 心配になって彼女の様子を見ると、何かを考え込んでいるようだった。うん、多分大丈夫そうだ。

 僕が安心していると、笠松さんがぼそりと言った。


「もしかしたら――」

「うん」

「――もしかしたら熱中しすぎて、イルカショーに遅れるかもしれないわよ」

「だったら次の時間のイルカショーを観れば良いじゃん。1時間後のショーだけじゃないんだから」

「随分待たせちゃったり――」

「――待つよ、いくらでも。僕に気を遣って、笠松さんが楽しめないんじゃ不公平だよ」


 いつもは狂犬と揶揄されるほどの傍若無人な振る舞いをしてるのに、変なところで気を遣うところがなんだかおかしい。もっと我儘を言ってくれた方がこちらとしては嬉しいんだけど。


「な、なによぅ、その変な顔はぁ」

「いや、なんでもないって」

「そういう顔は何かある時の顔なのよ」

「はいはい、それでどうするの?」

 

 僕は笑って答えを促す。笠松さんは照れが浮かぶ悔し顔で、僕に向けてうーうー唸っていた。だから照れを隠し切れてない顔じゃ、威嚇しても意味ないんだって。

 しばらく膠着状態が続く。やがて無意味を悟った彼女は、少し頬を朱に染めると口を尖らせて、小さな声で言った。


「じゃあ、やる」

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