ep.02 表情

 笹良水族館は全国でも有名な水族館、らしい。水槽の大きさや敷地の広さ、展示してある生き物の種類が多く、日本では飼育している水族館が少ないシャチも見れることが理由だそうだ。またふれあい体験コーナーや期間限定のワークショップも開かれたりして、見るだけではない楽しみがあるのが人気の秘訣だとのこと。

 ぶっちゃけ僕も良くは知らない。地元では有名だからと言って、それについて詳しいなんてことがあるわけではなく、むしろ何も知らないというのが実情だった。

 けれども、何も知らなくても実際に見てみるのは圧巻というもので、僕らは薄暗い水族館に入場してすぐのイルカの水槽に釘付けになっていた。

 イルカの種類はカマイルカというらしい。灰色の体に白の流線模様が走るスマートな印象を受けるイルカだった。透明なガラス1枚挟んだ目の前で、障害物も何もない水槽の中を4頭のカマイルカがはしゃぐように泳いでいる。 


「なんか……すごいね」


 イルカなんて日常生活じゃお目にかかれない生き物だ。実際に目の前で姿を見てみると、なんというかこう迫力が違う。水を打つ尾びれの力強い動きや飛ぶように泳ぐイルカの無邪気さ――言うなれば生の躍動を、僕は一身で受け止めていた。

 

「ねぇねぇ、笠松さ――」

「――満足した? じゃあ次行くわよ」


 …………。


「いや、ちょっと待とう? 折角来たんだし、ゆっくりしてこうよ」


 僕の返事なんか待たずに、笠松さんは次へ行こうとする。そんな彼女の腕を僕は掴んだ。


「流石に気が早いって、もうちょっとゆっくりして行こうよっ」

「なんでそんなに必死なの? もしかして、はしゃいでるの? はしゃいでるの?」

「べ、別にそういうのじゃないから」

「その反応は認めてるようなものよ」

「んぐっ」

「大体貴方は、私のために此処へ私を連れ出したんだから、私を優先しなさいよ」


 ぐぬぬ……。確かにそう言われてしまえば、僕は反論の言葉を持たない。大人しく彼女の言うことに従う他ないのだった。

 掴んだ手を離し、笠松さんを自由にする。自由になった彼女は「ふんっ」と鼻を鳴らすと、歩いて行ってしまった。

 まだこのフロアには、シロイルカとかクジラ系の生き物についての展示がある。見るべきところは沢山あるのに、笠松さんは無視して先へ行ってしまった。

 僕は慌てて彼女の背中を追いかける。もうちょっとゆっくりして行けば良いのになんて思うけど、きっと彼女はこう思ってる。


「もしかしてさっさと帰りたい?」

「そりゃあね」


 間髪入れずに肯定の言葉が来た。やっぱり……。

 その言葉に違わず、笠松さんは縫うように人と人の間を脇目も振らずに歩いていく。展示されてる生き物になんか目もくれない。神秘的なクラゲゾーンを通り過ぎ、水族館で一番大きい雄大な水槽の前を通り過ぎ、生き物との触れ合いゾーンをそそくさと立ち去っていく。

 ええい、このままじゃ埒が明かない。折角来た意味がないじゃないか。ここは強引にでも、笠松さんを

 彼女を引き止めようと再び手を伸ばす。けれども、その手が彼女を掴むまでもなく、彼女の足が止まった。

 「どうかしたの?」と問おうとする声は、彼女の表情によってかき消された。

 以前、映画館で見た、いつもより少しだけ柔らかい表情。彼女らしからぬ顔つきが、再び浮かんでいたのだ。

 そんな表情で見つめるのは、壁に埋め込まれるようにして設置されている小さな水槽のうちの1つだ。そこで鮮やかな色のイソギンチャクの間を、橙と白の魚――カクレクマノミが泳いでいた。

 ゾーン名は熱帯魚ゾーン。他の水槽も見てみると、彩り豊かな魚たちがサンゴや海藻の間を遊ぶように行ったり来たりしている。

 

「熱帯魚、好きなの?」


 伺うように僕は笠松さんに問うた。

 笠松さんは慌てて、顔を逸らした。


「べ、別に好きじゃないわよ」

「いや、その反応は認めてるようなものだから」

「んぐっ」

「大体、何でも退屈そうな笠松さんが興味示してる時点で嘘だってわかる」

「…………」

「むすーとしても無駄だって、むすーとしても」


 不機嫌そうな顔で睨みつけられても、さして怖さは感じない。慣れてきたっていうのもあるけど、その不機嫌顔には多分に照れが混じっていたからという方が理由として大きい。これじゃ威嚇も形無しだ。

 笠松さんは悔しさを滲ませた目で僕を睨む。だけど、無意味だと悟ったのか――あるいは自分の本心を言い当てられた気恥ずかしさからか――すぐに睨むのを止めて、立ち去ろうとする。

 

「ちょっと、どうして行っちゃうのさ。好きなんでしょ? もうちょっと見てようよ」

「だから好きじゃないって、それに貴方だって退屈でしょ?」

「別に僕のことはどうだって良いって。だって今日は笠松さんのために来たんだから」


 そうだ。僕は笠松さんの虚しさを失くせるものを探しに来たんだ。折角、可能性があるものを見つけたのに、それを捨ててしまうなんてすごくもったいない。


「…………良いから、行くわよ」

 

 だけど、少し躊躇うような様子を見せた笠松さんはそう吐き捨てる。その言葉にはあまりにもこの場を離れることを惜しむ思いが籠っていて、いつもの迫力はない。

 素直じゃない。そう思うと同時に、どうやら彼女が何かをしたい時は、口には出さずに表情に出ることを知る。

 大きな前進だ。言葉だけではないコミュニケーションが、それも言葉では知ることが出来ない本心を知ることが出来るコミュニケーションが取れるようになった。一方的だけども。

 僕は先を行く彼女の隣へ急いだ。背中を追ってばかりじゃ、表情なんて見えやしない。肩を並べて同じ景色を観なければ、人のことなんか分かるわけがないのだから。

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