44. 頼り、乗り越え、そうして人は

 空から月が消え、陽の光が全てを照らす頃、室内にベル音が鳴り響いた。

 伝声管に耳を近づける。少しすると割れた声が響いてきた。


「申します、申します」


 声の主は平山さんだった。あれ、麻田さんじゃないんだ、と思いながら話しかける。


「おはようございます。朔夜に代わって私が受けます」

「おはようございます。鴻より伝言を受けましたのでお伝えいたします。『今から母屋の書斎にて、昨夜の件に関する話をします』とのことでございます。朔夜様は母屋まで歩けますでしょうか。もし難しいようでしたら、自動車を用意いたします」




 私たちが書斎に入るとすぐに、平山さんがドアが閉めた。

 部屋の中央に備え付けられたソファには、真ん中に朔夜のお父様、右側にお母様、左側には腕に包帯を巻いた望夢君が座っている。

 朔夜が両親に向かって深々と頭を下げた。


「この度は大変申し訳ないことでございます。勝手な行動をした挙句、あの」

「いいから、まずは座りなさい」


 お父様が朔夜の言葉を遮る。私たちはもう一度頭を下げ、促されるままソファに座った。

 平山さんが望夢君の背後に立つ。私は挨拶や謝罪を切り出そうとしたが、その場の空気に吞まれて俯いてしまった。


 無言の空間。

 壁に取り付けられた蒸気暖房機から、ウォーターハンマーの音がカンカンと響く。部屋の広さのわりに小さな窓からは、朝の光が頼りなげに差し込んでいた。

 初めに声を発したのは、お父様だった。


「昨晩の出来事については、夜のうちに麻田と平山より報告を受けている」


 神経質そうな顔を朔夜に向ける。


「高梨君が誘拐されたこと。それに対して、朔夜たちが私へ相談もせず、町はずれの倉庫に向かったこと。皆で変身して大立ち回りをしたこと」


 一瞬、俯く。


「兄が、事故に巻き込まれて狼の状態で命を落としたこと」


 朔夜は息を吞み、膝に置いた手を握った。


「あ……っ」

「朔夜」


 朔夜の方へ身を乗り出す。


昨夜ゆうべは変身をした上に怪我をしたのだろう。具合はどうなんだ」


 お父様から掛けられた気遣いの言葉を受けて、朔夜が明らかに動揺している。

 彼が躊躇いがちに口を開いた。


「お……お気遣いいただき、ありがとうございます。傷はこのあたりを縫うことになりましたが、消耗はそれほどでもありません」


 ちらりとこちらを見る。私は曖昧に頷いた。

 お父様が腕を組み、息を吐く。


「そうか」


 一度目を瞑り、再び朔夜を見る。


「今、麻田と下僕三人を現場に向かわせている。麻田によると、兄に雇われていたような破落戸ごろつき連中は、幾らか握らせて脅せば大抵はおとなしくなるし、仮に警察に駆け込んでも相手にされないそうだ」


 お父様の説明を聞いて、望夢君が怯えたような顔で斜め後ろに立った平山さんを見る。その望夢君の薄い肩に、平山さんはそっと手を置いた。

 お母様は望夢君の方を見たが、何も言わずに私たちの方へ向き直った。


「麻田たちには、破落戸の後始末と、兄の亡骸なきがらの引き取りをさせている」


 淡々とした口調で話し続ける。けれどもその語尾が微かに震えていることに気づいてしまった。


「朔夜や望夢が嚙みついた人狼族の破落戸以外は、兄が人狼だなどと想像もつかないだろう。だから『倉庫に入り込んだ後、自動車の上に落ちてしまった、鴻家自慢の特別な犬』を引き取る、という名目で動くことにした」


 そこで一度言葉を切り、眉間を指で押さえた。


「昨夜、倉庫で破落戸どもの乱闘があった。鴻家自慢の特別な犬は、それに巻き込まれ、手入れ不足の自動車の上に落ちて、命を落とした。鴻グループ新総裁は、就任してすぐに行方をくらませた。そう世間は思うだろう。ただ、兄のことは内々で弔うつもりだ」


 眉間から指を離し、途切れ途切れに言葉を零す。


「兄には憎しみと怒りしかない。それでも兄があのようになってしまった責任の一端は私にあるし、それに……」


 頭を抱え、大きく息を吐く。

 それを見た朔夜がソファから立ち上がり、包帯を巻いた額を床にこすりつけんばかりにひざまずいた。


「申し訳ないことでございます! 私があの時、変身していなければ。身をよじらなければ。あの時」

「あれは事故だ」


 鋭い口調で言葉を遮る。お父様は朔夜の前に立ち、腕を組んだ。


「お前は恋人に危害を加える相手に立ち向かうために変身した。そのつかみ合いの流れで身をよじったら、兄が落ちた。落ちた先には温まった旧型の自動車があった。そして普通なら起きない爆発事故が起こった。そういうことだろう。朔夜が謝るべき点は、伯父のいいなりになって、事前に私に話を持ってこなかったことだけだ」


 朔夜が頭を上げた。お父様がゆっくりと頭を下げる。


「私と兄の間に起きた問題に、巻き込んでしまって申し訳なかった」


 そして私たちが何かを言う前に部屋を出てしまった。




 お父様が部屋を出てしばらくした後、お母様が耳を押さえてから私たちを見た。


「お父様はね、今、様々な感情に押しつぶされそうになっていると思うの。それでも、おそらくぎりぎりのところで『父』であろうとしているのよ」


 ドアに目を向ける。


「だから今は、伯父様の話を、これ以上あなたたちと続けるのが難しいの」


 なんとなく、わかる気がする。私たちは顔を見合わせて頷いた。


「ねえ、朔夜さん。お父様は、その、頭が少し固い、から、普段から『予備』とか『汚れた血』なんて言って、あなたにつらい思いをさせているわ。それにあなたは賢いから、お父様を頼りなく思っているかもしれない。それでも」


 そこでお母様は両手を合わせ、しばらくぶつぶつ呟きながら天井を眺めた。


「ごめんなさい、良い言葉が思い浮かばないわ。だから伝わらないかもしれないのだけれど、今回、このようなことになって、お父様の心に浮かび上がったのは、おそらく、『鴻家当主』でも『鴻前総帥』でもなく、『お父様』だったのよ」


 淡い笑みを浮かべる。

 そしてお母様は、私たちの体調を気遣う言葉を掛けたのちに部屋を後にした。




 残された私たちは、かなり長い時間、無言のまま俯いていた。


「兄様」


 望夢君が窺うような上目遣いで朔夜を見る。


「僕、昨夜、お父様から聞いたんだ。その、桔梗さんのこと」


 皆の視線が望夢君に集まる。彼は腕に巻かれた包帯に触れながら話を続けた。


「女給をしていた桔梗さんのことを、伯父様はしつこく口説いていたんだって。でも桔梗さんは伯父様が大嫌いだったから、お父様に相談していたらしいよ。で、なんだかんだで兄様が生まれたんだけど、ほら、お父様は『汚れた血』の庶民のことなんて」


 そこで言葉を切り、申し訳なさそうに私たちを見る。私は「気にするな」という身振りをして話を促した。

 この話の流れでそういう表現が出てくるのはしかたがない。そのくらいはわかっている。


「伯父様は桔梗さんの血のことを気にしていなかったらしいし、その後本妻をめとらなかったから、かなり本気だったのかもね。でもさ、桔梗さんの気持ちはどうしようもないし、兄様に八つ当たりなんか意味不明だよ」


 ぷっと頬を膨らませる。

 そうだ。桔梗さんの気持ちはどうしようもなかった。

 たとえ伯父がどんなに恋焦がれても。そして恋慕の情が彼をおかしくしたとしても。


 望夢君の声が低くなる。


「あのね、ちょっと思ったんだ。僕たち、親の手から離れて時代を変えようとしているじゃない。それなのに、今回の件を最終的に収めてくれたのはお父様なんだよね。なんというかさ、まだまだなんだなあって」


 朔夜と望夢君が視線を合わせ、頷きあう。

 ここで私が口を出すべきなのか迷ったが、声を掛けてみた。


「まだまだでもさ、いいのかな、って思う」


 視線が集まってしまったのが恥ずかしい。まだ考えがまとまりきっていないのに。


「鴻家の話と比べて規模が小さすぎてあれなんだけど、私だって尋常中学までは父に通わせてもらっていたよ。みんなそうやって、親とか保護してくれる大人に頼りながら大きくなるんでしょ。でさ、親よりちょっとだけ大きくなって親を乗り越える、っていうのを繰り返して、人って進化するんじゃないかな」


 考えがまとまりきらないまま話していたら、やたらと壮大な着地をしてしまった。

 恥ずかしさをごまかそうと顔を逸らし、外を見る。


 陽の光がさわさわと穏やかに揺れ、輝きを増していく。

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