26. 薔薇に託す

 ぎこちなさは残るものの握手を交わした二人を見て、嬉しくなってしまった。

 現時点では、問題の多くは解決していない。それでも兄弟で手を取り合って立ち向かえば、きっといい方向に物事が動くだろう。


 そういえば、この二人の名前って月みたいだ。


 向かい合う二人を見て、ふと思いつく。

 朔月新月望月満月

 見た目は正反対で、望月ばかり注目されるけれど、実は太陽の当たり具合が違うだけで、どちらも同じ月なのだ。

 そしてどちらかだけでは「月」として成り立たない。


 なんだか、この兄弟を表しているみたいだ、なんて、ちょっとうまいことを考えた気になって口元がほころぶ。


 ――鴻グループという大樹の中はすでにがらんどう。倒れるのも時間の問題ですがね


 経営者交流会で聞こえたあの言葉は、今は口にしないほうがいいだろう。




 話し合いが一段落して憑き物が落ちたせいか、望夢君は我が家で急速にリラックスしはじめた。

 机の上に置かれた参考書の山を見て肩をすくめる。


「やだなあ兄様。まさかとは思うけど、本当に勉強なんかする気だったのかい」

「勿論。そのために来たんだし」

「うわあ、嘘だろう。全く、高等中学なんかに通っている頭でっかちはこれだから」


 感じの悪い口調でべらべら話すのは相変わらずだが、そこには今までのような棘がない。だから驚くほど腹が立たない。

 望夢君はチョコレートの小箱にも目を留めた。私の許可も得ずに箱を手に取る。


「ちょっと何しているんですか勝手に」

「おっ、これは兄様の手土産だね。このチョコレート、おいしいんだよねえ」

「やだもう、開けないでくださいよう。望夢君の分はないですからねっ」


 勝手に中身を見た望夢君は、少し何かを考えるようなそぶりをした後、にやりと笑みを浮かべた。


「深紅の箱に、薔薇形のチョコレート。兄様、ようやく決心したんですか。ようやく過ぎでしょ」

「えっ、は、な、何を」

「隠しても無駄だって。これ、『赤い薔薇の花』という意味じゃないの」


 何か凄い発見をしたかのようにそんなことを言っているが、私にはこの会話が全く理解できない。

 朔夜を見ると、なぜか顔を真っ赤にしている。


「それが六個。六本、という意味か。ううん、まあいいけど、なんだかなあ。もしかして本数は気にしていないのかな」

「あのな、望夢。もうそろそろ二人で食事へ行ったらどうだ……」

「ああっ!」


 望夢君の甲高い叫び声に、思わず「うおっ」と野太い声が出てしまう。彼は小箱の中の何かをつまむと目を輝かせた。


「ちょっと望夢君、中身触らないで……ほええっ」


 箱の中を覗いて驚く。望夢君がつまんでいたのは、チョコレートではなく中に敷かれた紙だった。


 つまみ上げられた紙の下に、さらにチョコレートが六個、入っていたのだ。

 挙動不審な朔夜に向かって、望夢君がにやにやしながら指をさす。


「だと思ったよ。ごめんねえ僕が見破っちゃって。そうだよねえ、十二個じゃなきゃねえ」

「朔夜すごおい、ありがとうっ! こんなにたくさん、嬉しいな。でもごめん、高かったでしょ。一緒に食べて残った分は、ナイフで半分に切って、一日に二分の一個ずつ大切に食べるね」

 

 こんなにたくさんのチョコレートがあるなんて、夢みたいだ。望夢君はたくさんのチョコレートを見て目を輝かせていたのだろうか。

 望夢君を見る。彼はわざとらしいため息をついて、お手上げの仕草をした。


「兄様。彼女は勉強はできても、こういう遠回しなことは何も通じない人だと思うよ。もういい加減、はっきり言わなきゃだめだって」

「なななんの話だ。俺はただ、勉強を」

「あのさあ。兄様は自由なんだよ。お父様は、まあ、色々言うかもしれないけれど、僕と平山に比べたら、問題なんかないに等しいんだよ。いやもう、兄様の臆病ぶりには呆れてものも言えないね」


 そのわりにはよく喋るなと思いながら会話を聞く。相変わらず、なんの話をしているのかわからない。


「さて。僕らは時間が限られているから、これで失礼するよ。これからあのお店に一時間くらい居るつもりだから、邪魔しないでね。じゃ、高梨さん、お騒がせしましたね。……兄様」


 朔夜に顔を近づけ、囁く。


「気づいていないとは言わせないよ。高梨さんの心の中に咲く『赤いコスモス』は、兄様のものだからね」


 その言葉を聞いて、朔夜が目を見開いて硬直する。よくわからないひと騒動の末に、望夢君たちは手を繋いで飯屋へと歩いて行った。




 二人が出ていった部屋には、つむじ風が吹き荒れた後のような余韻が漂っていた。

 窓の外から自動車の走る音がする。かなり旧式の自動車なのだろう。ガタガタと騒音が響き、煙突から吐き出される大量の煙が室内にまで入り込む。


 朔夜は無言でチョコレートの箱を見つめていた。

 望夢君との話も終わったし、あとはあの二人が飯屋を出る時間まで、勉強をしていればいい。

 だから「勉強しよう」と声を掛けたかったのだが、できなかった。

 彼の空気が、声を掛けることを躊躇わせたのだ。


「伝わらなくても、形にしたかった」


 長い沈黙の後、ぽつりと呟いて箱を手に取る。


「なんの話?」


 私が声を掛けると、少し困ったような笑みを浮かべた。


「花の話」


 視線を私から赤いコスモスに移す。


「あ、さっき望夢君が言っていた、薔薇とかコスモスのこと? あれ、何を話していたの。私の心に赤いコスモスが咲いているとかなんとか」


 朔夜は私に視線を戻し、はにかんだ。


「ああ、瑠奈がどうこう、といのは、望夢が勝手に言っているだけだから気にしないで」


 ぽつり、ぽつりと話す。

 言葉を選び、躊躇うように。


「遠い西の異国にある文化に、『花言葉』というものがあるんだけれど、知っているかな」

「全然。何それ」

「花には、それぞれの花にふさわしい象徴的な言葉があるんだ。例えば桔梗なら『誠実』とか」

「ああ、なんかわかるかも。誠実、って感じがする」


 私がそう言うと、目尻を下げて微笑んだ。


「だから、何かを伝えたい人に花を贈ることで、その花が持つ言葉を伝えられるんだよ」

「わあ、素敵だね。で、『赤いコスモス』は?」


 この話の流れなら当然の質問だが、彼は一度口をつぐんで目を逸した。

 そして再び私を見る。


「『乙女の愛情』」


 箱を持っていない手を強く握る。

 

「薔薇は、花そのもののほかに、贈る本数にも意味がある」


 語尾が僅かに震えている。


「伝わらなくてもいい、伝わらないでほしいとすら思った。瑠奈の迷惑になりたくないし、仲が悪くなるのは怖い。臆病なんだよ、俺は。だけど、なにかの形にして伝えないと自分の心が潰れてしまう。そんな気持ちの揺れが、ここまで遠回しな形になって表れたんだ」


 私を見る目に力が入る。

 両手で深紅の小箱を胸の前に持ってくる。


「赤い薔薇は『愛しています』」


 震える手で箱を差し出す。


「十二本の薔薇は『つきあって下さい』」

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