4-9 “H”と懐中時計

 住民たちがバリケードから次第に離れ、家へと向かう中、ポールは無言で俯いていた。コンスタンスに支えられ、やっとのことで警察の馬車へと乗り込んだ。

 エドワードはコンスタンスの正面に立ち、深々と頭を下げる。


「本当にありがとうございました」


 自分の無力さに沈む彼は、なおも頭を下げ続けていた。

 コンスタンスは彼との距離を半歩詰め、肩にそっと手を置いた。


「先生、頭を上げておくれ」


 エドワードはゆっくりと頭を上げ、コンスタンスの顔を見つめた。

 コンスタンスの目は涙で潤んでいたが、強い意志のある表情で、エドワードを見据えていた。


「道は険しくとも、いつかは来るって――私は信じているから。明けない夜は、ないんでしょ?」

「もちろんです」


 エドワードは真剣な表情で頷いた。


「また店に来ておくれ。待っているよ」


 そう言うと、コンスタンスは現場を後にした。

 彼女を見送ったエドワードは、夏目と一緒に馬車に乗り込む。

 ポールが落ち着いたところで、ホワードは事情聴取を始めた。


「これだけは理解してくれ。俺たちはお前らを疑っているわけじゃねぇ。情報が欲しいだけだ。うまくいけば、お前さんの言っていた事件の鍵に辿り着くかもしれねぇ」


 ポールは、しばらくしてからゆっくりと口を開いた。


「……穴を掘るのを手伝ってほしいと頼まれた」

「頼まれただと? いったい誰に?」

「Hと名乗る人物にだ。言うとおりにすれば金を渡すと、手紙に書かれていた」


 ホワードはメモを取りながら尋ねる。


「手紙はどこにある?」

「取りにやって来た。多分、二十代ぐらいの男だと思う。だが、俺が『Hってのはアンタのことか?』って聞くと、そいつは返事をしなかった。手紙には地図が書かれていて、ちょうどさっきアンタ方とやり合った辺りで待っているから来いってあったんで行った」


 メモを取っていたホワードの手がぴたりと止まった。


「どこの馬の骨とも分からねぇ輩に姿を見せたっていうのか?」


 半ば驚きと呆れの混じった表情を浮かべる彼に対し、ポールは顔をそらし答えた。


「……仕方ないだろう。金がなかった。アニタを失ってから、俺はどうして良いか分からなくなった。元々金回りが良くないのに、ジンにおぼれたんだ」

「ミランダさんの時と似ている」


 エドワードが呟いた内容に、夏目は頷く。ホワードも「うむ」と返した。


「断れねぇのを分かっていて、やったってことだな。だが、前回の『Hと名乗る人物』はもう、この世には……」


 ホワードが言いかけたところで、エドワードは自身の口の前に指を立てた。


「……す、すまん。こちらの話だ」


 ホワードは取り繕った様子で慌てて答えるが、ポールには届いていないようだった。咳払いをしたのち、ホワードは再び質問を始める。


「穴はまさか、ひとりで掘ったんじゃないだろう?」

「さすがにひとりは厳しい。さっき言った男の他に、俺を含めて金に困ったここの住民たちで掘り進めた。ざっと二か月半ぐらいだ」


「ちなみに聞くが……」と、言いかけてからホワードは無言になった。

 ポールが怪訝そうな表情を浮かべ、しばらくしてからホワードは言葉を続けた。


「穴の途中に爆弾を仕掛けた覚えはあるか?」


 ポールは目を丸くした。


「爆弾だって⁉ そんなことするわけないだろう。下手をすれば、俺たちの命が吹っ飛びかねない」

「そうか、だったら良い。今日のところはここまでだ。協力に感謝する」


 ポールを解放し、馬車を走らせた。

 揺れる車内。夏目は腕を組み、頭をひねっていた。


「今回のHというのは、宝石を盗んだ男か? 確か、名前は……」


 彼の呟きを隣で聞いていたエドワードは、すかさず答える。


「ヘンリー君だよ。ポールさんたちと一緒に掘っていたというなら、当然手にあるはずだ――彼にとっては慣れない仕事だったろうからね」

「しかし、仮にも貴族なら、自ら穴を掘るというのは考えにくいと思うのですが」

「通常であればね。仮に強制力が働いていたらどうだろう? 彼が父親の殺害をスチュアート君に依頼し、エヴァンズ教授が手助けをしていたのなら――」

「逆らうことは許されない、か」


「けれど……」と、口にしたところで、エドワードは言葉を詰まらせた。

 夏目は横目でエドワードを見る。


「まだ一番肝心なところが分からないんだ。エヴァンズ教授が、王室に対してなぜ恨みを抱いているのか」

「私にはさっぱりです。謎は深まるばかりだ」


 自分にはお手上げだと言わんばかりに、首を横に振る夏目。エドワードも顎に手を添え、思案していた。


「今夜はもう遅い。屋敷まで届けてやる」


 ホワードの言葉で、エドワードは懐中時計を見た。


「まずい、寮の門限まであまり時間がない。すみません、先にウェストフォード大学に寄っていただけますか?」


「門限」という言葉に瞬時焦る夏目だったが、馬車は無事に門限の十分前には到着し、彼は胸を撫で下ろした。


「まさかここまで遅くなるとは思わず、今回は届けを出していませんでした。迂闊うかつでした」


 頭を下げる夏目。


「いや、僕もさ。かえって、君には迷惑をかけてしまったね。今夜はゆっくりお休み」


 夏目の後ろ姿を見送った馬車は、今度はマイヤー邸を目指して走り出した。

 ここに来て疲れがとうとう最高潮に達したのか、エドワードはまどろみかけていた。






 ――彼なら今頃もう、ドーバー海峡に向かっていることだろう。出国すると言っていた。


 不意に思い出される学長との会話。

 茫然とするエドワードの前で、学長は部屋の鍵を取り出す。


 ガチャリ――。


「部屋の中はすっかりがらんどうだ。彼の性格なら、一つや二つ忘れ物があっても不思議ではないのだが、今回はきれいさっぱりなくなっておる」


 学長の言葉通り、部屋はもぬけの殻だった。






「おい、着いたぞ!」


 ホワードの声で慌てて目をあけるエドワード。

 屋敷に入るなり、執事とジェームズが彼を出迎えた。


「おかえり。遅かったな」

「すみません、兄さん。イースト・エンドに行っていたので。夏目にも迷惑をかけてしまいました。舞踏会の方は?」

「ああ、お前のおかげで無事に終わったよ。ソールズベリー侯が感心していた。後日、今夜の件について、話があるだろう」

「そうでしたか」


 エドワードは安堵の表情を浮かべる。


「お前の言っていた通り、ジェンキンス卿の手に複数の傷跡があった。それから、これが――」


 ジェームズはエドワードに懐中時計を差し出した。


「私が手の傷を見た途端、慌てて会場を飛び出して行った。その時にどうも落としたらしい」


 時計の背面に刻まれた‘H.Jenkins’の文字が目に入る。蓋を開け、蓋の裏側を確認するなり、エドワードは瞠目した。


「これは――」

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