3-10 一通の電報

 翌朝、マイヤー邸に一通の電報が届けられた。

 執事から電報を受け取ったエドワードは、おもむろに視線を落とす。


 ――妙な胸騒ぎがする。


 差出人はロンドン警視庁となっていたが、恐らくはホワードかケリーからだろう。そう推測し、本文に目を通した。


 スチュアート・ヘーゼルダイン シキョ

 ジョージ・ヘーゼルダイン ケサガタ ロンドンヲ タツ


 エドワードは、しばらくの間言葉が出なかった。

 犯人が亡くなった以上、これ以上事件が起きる心配はない。

 だが、犯人死亡という形で終わりを迎えた以上、コンスタンスやアニタの婚約者が納得するのだろうか。スチュアートは、最期に父と和解できたのだろうか……などと、考えを巡らせていた。

 電報を手にしたまま首を横に振る弟に対し、ジェームズもかける言葉が見つからない。






 エドワードは物憂げな表情を浮かべ、馬車に乗る。通常であれば辻馬車を拾って大学へ向かうところなのだが、今日ばかりはそういう気分になれず、屋敷の馬車を使うことにした。もとい、エドワードの精神状態を心配したジェームズの提案ではあるが、エドワードは迷うことなくこれに頷いた。

 大学で講義が始まると、平静を装おうと彼なりに努めてはいたが、気分が晴れることはない。さして出会ってからの時間が少ない夏目でも、その異変を感じ取れるほどだった。

 講義が終わってすぐ、夏目はエドワードの元へと行った。


「教授、何かあったのですか?」

「な、夏目……」


 エドワードは夏目の名を口にしてからしばし言葉を紡ぐのをためらった。

 なおも心配そうな目を向ける夏目。

 エドワードは小声で、「いや、何でもないよ」と口にするが、夏目は首を横に振った。


「教授の何でもないは当てになりません。以前も同じようなやり取りをした記憶があります」


 そういえば、と、エドワードは思い返してみた。夏目は言っていたのは恐らく、ホワードとケリーが屋敷にやって来たことを指しているのだろう。正確には何でもないと言ったのではなく、答えをはぐらかしただけなのだが。夏目にとっては、さほど変わらないのに違いない。


「君に隠し事をするのは、なしのようだね。僕の負けだ」


 エドワードは困ったような笑いを浮かべ、肩をすくめた。


「ヤードから電報が届いたんだ。スチュアート君の死亡と、ヘーゼルダイン卿が今朝方ロンドンをったという内容が綴られていた」

「……スチュアートの死亡自体はある程度予想のつくところでしたが、事件としては一旦解決したということになるのでしょうか」

「だとしても、僕の中では色々と複雑でね」


 エドワードは嘆息した。


「教授は立派に務めを果たされたと思います」


 エドワードは首を横に振り、これを否定する。


「いや、僕一人ではどうにもならなかったよ。君がいてこそだ、夏目。改めてありがとう」


 なおも沈んだ表情を見せるエドワード。

 夏目は「そういえば」と話を切り出した。


「掲示板に論文が貼り出されていました。九月二日に開催されたばかりの学会の論文もあり、大変興味深かったです」


「論文。九月二日……」と呟いてから、エドワードはぼんやりと遠くを見つめていた。


「……教授?」

「夏目、八月三十一日の論文はあったかな?」

「いえ、覚えはありませんが」

「じゃあ、九月二日の学会論文がどんな物だったか覚えているかい?」






 エドワードは自身の研究室に戻る途中、共用掲示板の前を通った。扉の方から風が舞い込み、スペースいっぱいに貼られた紙の多くが風で大きく揺れている。

 彼は足を止め、掲示物へと目をやった。

 貼り出されていたのは、先程夏目が言っていた論文だ。手書きのものとタイプライターで書かれたものが混在するが、とりわけエドワードの目をひいたのは、タイプライターで書かれた論文である。彼は、論文のタイトルと著者名を注視した。


 ――‘seventh’の‘e’、二つとも右側が若干欠けています。‘t’は、横棒の左側が切れている――こういった特定の文字に見られる摩耗具合や、書体の特徴などから、そのタイプライターを持つ人物を割り出すことは、必ずしも不可能とは言えません。


 自身が以前ホワードやケリーの前で言った言葉と、予告状に書かれた文字の形状を思い起こす。そうして、ある論文の前でぴたりと止まる。


「まさかとは思うけど……」


 心の中でそう呟きながら、エドワードはその論文の隅々まで目を通した。

 最後まで読み終えると、彼は茫然とした。


「酷似している。学会の日付は――」


 九月二日実施と掲示板の端に記載されていた。


「やはりか。じゃあ、なぜあの時……。そもそも毒殺事件と四つの刺殺事件を結びつけたのは、ホワード警部とケリーさんに渡されたあの予告状で、その前の――」


 ――そんなメモ、落ちていたか?

 ――暗くて見えなかっただけだろう。


 アニタが殺害された直後、現場に落ちていたメモを見つけたエドワードに対し、警官たちが言っていた言葉。


「なんてことだ。まさか、あの時のメモは……」


 心の中で呟くのは、かつての自分に対する苛立ち。疑惑から確信へと変わりつつある自身の勘を確かめるべく、ある場所を目指し無我夢中で走り出した。


「もう少し早くに気付くべきだった」


 目的の場所に辿り着いた時には、息が大きく上がっていた。彼が足を止めたのは、とある人物の研究室。呼吸を整え、扉をノックした。

 だが、中から応答はなく、扉には鍵がかかっていた。

 代わりに、廊下の反対側から「マイヤー教授?」と、呼ぶ声が反響して聞こえた。

 エドワードは、その姿を認めるなり驚きの声を上げる。


「学長⁉」

「何をしておる? そこには誰もおらんぞ」

「もう、って……では、彼は――エヴァンズ教授は?」


 学長は遠くを見つめた。


「ああ、彼なら今頃――」

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