第3話 本職~雪の章~

 楕円形の巨大ダンジョンの入口から直進距離で二キロメートル進んだ先。そこにある円形の空間の中心に白いローブで身を纏う白髪の少女がいた。

 直径二メートルほどの広さの空間の中、両耳を尖らせた少女、フブキ・リベアートはボロボロな灰色のローブ姿の侵入者たちと相対している。


 凍り付くような冷たい空気が支配する空間の中で、フブキが嘲笑う。


「この程度の実力で門を突破し、ここに辿り着くなんて、相当運が良かったんですね。それにしても、一つ前の間を守ってた白紋の討伐者があなたたちに負けるなんて、あり得ないわ。あっ、もしかして、あの子に会わずにここまで来たのかな? 一応、そういう道筋もあるけど……運だけはいいんですね。扉の外をウロウロしているモンスターの目を盗んで、ほぼ無傷の状態でここまで辿り着いたんですから。白紋の討伐者との戦闘を回避して、ここまで辿り着いたんですよね?」


「うっ、うるさい!」

 細い体を震わせた男性が石畳の上に落ちた弓と矢を拾い上げ、立ち上がる。それを見ても、彼女は態度を変えなかった。


「仲良しな六人組で挑んでも、私に傷一つ付けられないなんて、弱いですね。これだから強欲な人間は……」

 腰よりもやや上の長さまで伸ばした後ろ髪を揺らしながら、少女は男の眼前に体を飛ばした。


「くっ」と唇を噛み締めたまま弦を弾き、男が弓を飛ばす。だが、少女を射抜くことができず、弓矢は壁に突き刺さってしまう。


「この程度のチカラしかないのに、エルメラを奪えるわけないでしょう? 自分たちは愚かで弱い存在だって、自覚したらいかがですか?」


 冷たい目をしたフブキが、戦意を喪失している人々を見下し、右手の薬指を立て、空気を叩いた。

 宙に召喚された水色の拳の絵が刻まれた小槌を天井に投げた瞬間、魔法陣が天井に刻まれ、そこから伸びた六つの水色の光の線が、石畳の上で倒れている人々の体を照らす。


「アイス・ブレイク」

 そう唱えた後、人々が所持する通信機器が全て凍り、粉々に砕かれていく。


「ホントに運だけはいいんですね。一つ前の分かれ道を右に曲がれば、私との戦闘は避けられて、エルメラが設置されてる審判の間に辿り着けれたけど、この時間、あそこに待機してるのは、ヤバイ子なんですよ。あの子に敗れたあなたたちは死ぬまでこの迷宮から出られなくなる。それと比べたら、私は優しいです。命だけは助けてあげるのですから」


 それから少女は、両手を叩き、悪魔のような笑みを浮かべる。


「ギルド・リミテットの皆さん。さようなら。この広い世界でまた会えるといいですね?」


 そう言いながら、彼女は勇敢な弓矢使いの男性の右肩に触れた。すると、男の体が一瞬のうちに消えてしまう。


 残された五人の顔が同時に青ざめていく。



「お前、俺の仲間に何をした!」

 猫耳を生やす獣人の男性が声を荒げると、無表情のフブキが淡々とした口調で答える。

「アルケア国内のとこかに飛ばしました。通信機器も破壊したので、再会は困難でしょう。さて、次はそっちのヒーラーの子にしよっかな?」


 獣人の男性の右隣にいた黒髪少女の背筋が凍り付く。絶望が刻まれたその顔から大粒の涙がこぼれた。


「お願いだから、やめてぇ」


「いやだ!」


「助けてくれ!」


「これ以上、仲間を失いたくない」


 四人の絶叫と悲痛な叫びが響き渡る中で、フブキは予告通り、震える黒髪短髪少女の右肩に手を伸ばした。その手が触れるよりも先に、猫耳の獣人男性はフブキの元へ勢いよく大柄な体をぶつけた。


 その衝撃を受けるよりも先に、フブキは体を後方に飛ばす。


「お前ら、逃げろ。ギルドマスター命令だ。来た道戻れば脱出できるはずだ。アルケアのどっかに飛ばされたアイツは死んでも見つけ出す。早くしろ! 俺はこいつを一発殴ってからいく」


 ギルドマスターの声に安心感を取り戻した四人は顔を見合わせ、後方にある入口に向かって走り出す。その後ろ姿を見送ったフブキが微笑む。


「バカですか? 来た道戻れば脱出できるほど、アリストテラス大迷宮は甘くないですよ。必ず道に迷って命を落とすのがオチです。まあ、どうせあの子たちは逃げずにダンジョン攻略を続行して、四人だけでエルメラを奪いに行くでしょうね。そこで全てを奪われて、死ぬまで迷宮から出られなくなる。それが愚か者の末路です」


「どういうことだ?」

 

「言ったでしょう? 一つ前の分かれ道を右に曲がれば、私との戦闘を避け、エルメラが眠る審判の間に辿り着くことができる。そう、私は二重の罠を仕掛けていました。仲間を一人ずつ消して絶望させる策が失敗した場合も想定して、煽りながら、わざと本当の話を口にしたのです。撤退した人々を惑わせ、未知の物質が生成できる実験器具の元へと誘うために。わざわざ手を汚さなくても、強欲な人間は自ら絶望の底へ堕ちます」


「いや、俺はあいつらを信じてるからな。お前の罠には嵌らない。ギルドマスター命令で逃がしたんだ。今頃、全速力で逃げてるはずだ」


 仲間を信じるギルドマスターの瞳に闘志が宿り、彼は右手の拳を強く握った。

 その拳を目の前にいるヘルメス族の少女の右頬に向けて振り下ろす。

 その動きを予測していたフブキは、右手で持った剣と共に体を右に半回転させた。

 周囲の空気を凍り付かせる斬撃が、ギルドマスターの右腰から腹部にかけて刻まれる。


 砕かれた氷のようにボロボロと崩れた灰色のローブや衣服から、男の肌がむき出しになる。それと同時に獣人の男の顔が苦痛で歪んだ。


 大柄なその男の体が、膝から崩れ落ちていく。


 それからフブキは、うつ伏せの倒せた大柄な獣人の男を冷たい目で見下ろした。


「バカですね。足止めしなくても、みんなで逃げられたのに……撤退か。続行か。あの子たちはどちらの選択をしたのか気になりませんか?」


 頬を緩めたフブキが、男の背中に触れる。その瞬間、大柄な獣人男性の体が跡形もなく消えた。


 その直後、一人残された円状の空間の中で、フブキは新たな気配を感じ取り、顔を前に向けた。


「交代の時間まで七分ありますよ。もう来たのですか? 刻限の農民、ヴェネゲッタ・ディーヴァ」


 視線の先には、彼女と同じく白いローブに身を包み、彼女と同じく両耳を尖らせた大柄なマッチョ男がいる。

 顔に赤い天狗のお面を嵌めた丸坊主の大男の身長は、二メートル以上あった。


「別にいいじゃねーか。遅刻するよりはマシだ。それにしても、俺はおめぇが羨ましいぜ。明日、あのフェジアール機関の五大錬金術師とやりあうんだろ?」

 石畳の上で座禅を組むヴェネゲッタの前に立ったフブキが首を縦に動かす。


「ああ、ティンク・トゥラ」

「良かったら、俺と共闘しねぇか? 神主様の許可は下りてねぇが、相手は格上だ。おめぇだけで勝てるとは思えねぇ」

「お断りします。命の取り合いなら共闘しない限り勝てないでしょうが、勝利条件が別ならひとりでも勝てます」


 即答したフブキは自信満々な表情になった。その一方で、ヴェネゲッタは豪快に笑った。


「がははっ、なんか作戦があるっぽいな。序列十六位のクセに生意気だ」

「どうせ、同じ筋肉を鍛え上げた者同士で語り合いたいだけなのでしょう? その自慢の拳で」

 ジド目になったフブキの前で、ヴェネゲッタが当然のように腕を組む。

「がははっ、分かってんじゃねーか。それでよぉ。おめぇ、副業に興味ねーか? 俺たちの部署は一か月あたり十七日くれぇ休みがあるんだ。その休日を利用して別の仕事やるのもいいと思うぞ。特に農業はサイコーだ。自給自足で育てた野菜を村のみんなが喜んで食べてくれるからなぁ!」


「お断りします」

「がはっ」

 フブキの冷たい一言が大男の心にグサっと刺さる。その反動でヴェネゲッタ・ディーヴァの背中が石畳の上に叩きつけられた。


「がははっ、冷てぇ女だ。そーいや、どうするつもりだ? 明日、神主様や俺たち守護者が恐れてる能力者が誕生するかもしれねぇ。もしもおめぇがそいつと遭遇したら、どうする? 相手は未知の物質を生成できる歩くエルメラみてぇなヤツだ。おめぇの策略も通用しねぇかもしれん」

 仰向けに倒れたまま、天井を見上げたヴェネゲッタ・ディーヴァが尋ねる。それに対して、フブキは石畳の上で寝転ぶ同僚の顔を覗き込みながら答えた。


「相手の力量が如何ほどかは分かりませんが、未知の物質を生成できる異能力は脅威なのは事実です。それならば、真向から戦いに挑むよりも、仲間として相手の懐に入り込み、油断したところを背後から刺した方が、この世にいてはならない存在を簡単に抹殺できます」

 

「がははっ、相変わらずだな。考え方がヤバイ。まあ、その作戦は、人を殺す覚悟がねぇと失敗するがな」

「お言葉ですが、背後から刺すというのは比喩表現です。わざわざ手を汚さなくても、術式で相手を眠らせて、神主様のところへ連れて行くこともできます。もちろん、標的に近づくためなら、副業も始めますよ」

「……情に流されて本来の目的を見失わなければいいけどな。おめぇは優しすぎる」

 


 


 

 それから流れるように時間が過ぎていき、彼女の本日の仕事は終わりを迎えた。

 錬金術の礎を築き上げてきた希少種族、ヘルメス族しか住んでいない小さな村の舗装されていない歩道を、フブキ・リベアートは進む。そんな彼女の頭には、同僚のヴェネゲッタの言葉がリフレインしていた。


「……情に流されて本来の目的を見失わなければいいけどな。おめぇは優しすぎる」

 


 なぜかヴェネゲッタの言葉が気になり、ヘルメス族の少女はその場に立ち止まった。


「はぁ。私って優しすぎるのかな?  いや、こんなくだらないことで悩まないで! 明日、未知の物質を生成できる異能力者が私の前に現れたとしても、私なら大丈夫」

 


 人通りのない静かな歩道の上で、フブキは自分の両頬を叩いた。


 

 心に少しの迷いを残した少女のローブを冷たい風が揺らし、薄暗くなった空に月が昇りだす。

 

 

 エルメラ守護団序列十六位。白熊の騎士、フブキ・リベアート。

 彼女が少年たちと出会い、最強の副業ギルドを結成するまで、残りあと一日。

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副業ギルド EPISOD ZERO 山本正純 @nazuna39

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