第19話 小動物
今から約3年前。
もうすぐ新人戦の決勝戦が行われるため、入念なアップは必要不可欠だ。しかし、冬夜はアップの準備の傍ら、観客席の方を何度も気にしていた。
「裕樹、ちょっと母さんのところに行ってくるわ」
「おう、早くしろよー」
裕樹や他の部員たちに「このマザコンめ!」と揶揄われながらも、冬夜は客席にいる母、
「はぁはぁーー母さん、いつ来たの?」
「あら、わざわざ来んでも良かったのに…試合前に疲れてまうやろ」
「相変わらず、変な口調になるのどうにかしてよ」
「ふふっもぉ〜、冬夜ってば優しくなーいっ!」
「ははっ、1年ぶりに会ったのにちっとも変わってないや」
「…うん、そうやろ?」
冬夜が千聖と会話をするのは実に1年ぶりのことだった。千聖は昔から体が弱く、入退院を繰り返している。最近はほとんどの時間を病院で過ごすことが多いため、冬夜と会う機会は極端に減っていた。
冬夜とは久しぶりに会うからか、千聖の目は少し潤んでいる。何か無理をしているのかも知れないが、今の冬夜にはそれを見分けることが出来なかった。
「ところで父さんは何処にいるの?」
「うーん、仕事の電話がどうたらって言ってたけど…」
「あっちも相変わらずだなぁ。まぁとりあえずもう行くよ。身体冷やさないようにね。ちょっとでも何かあったらすぐ周りの人に言うんだよ?」
千聖は終始憂いていたが、「1年ぶりの会話なんてこんなもんだろう」と、冬夜は安易に考えていた。
試合まで1時間半を切っていたため、観客席を後にして更衣室へ向かう。もうすぐミーティングの時間になるからだ。
しかし、冬夜が急いで更衣室に戻る途中、やたらと身体の大きい選手にぶつかってーーーー
「ーーーーうぅっ……ん?」
目が覚めると、そこは保健室だった。
どうやらあの時の夢を見ていたらしいが、これは思い出したくもない嫌な記憶のはずだ。ただ、麻野と関わったことで否が応でも思い出してしまったらしい。
(そうか、麻野に殴られて気を失ったのか…)
殴られた左頬は少し腫れていて、口の中では血の味が滲んでいる。でも、我慢できないほどの痛みではないので問題は無さそうだ。
咄嗟に西宮を助けることは出来たが、その後に何かできるわけでもなくあっさりとやられてしまった。目を瞑ってその時のことを思い出すと、何とも言い表せない恥ずかしさが込み上げてくる。
「だっせぇ、よな…」
「別に、そんなことないけど」
思わず呟いた独り言に答えが返ってきた。驚いて声がした方に目をやると、西宮がカーテン越しにこちらを覗いているのが見えた。
少しの沈黙の後、西宮はカーテンを閉めてからゆっくりとした足取りでベットに近付く。そしてベットの隣に置いてあった椅子に座り、心配そうにこちらを見つめてきた。
「怪我、大丈夫なの? 思いっきり殴られてたけど…」
申し訳なさそうに揺れる瞳に罪悪感を感じた俺は、西宮に特に問題がないことを伝える。すると西宮は「ふーん、なら良かった」と、お茶を片手にそう言った。
「ねぇ、あの…さ」
それから数分と経たずに、少し緊張した声音で西宮が話を切り出した。
しかし、何故か彼女は次の言葉を躊躇っている。目を伏せた状態で手を強く握っており、明らかに様子がおかしかった。
(俺が寝てる間に何かあったのか?)
そう思って「どうしたの?」と訊くと、「…やっぱ何でも無い」と言って、彼女はさらに目を伏せてしまう。別に無理をして話を聞く必要もないため、これ以上の追及は避けることにした。
それからまた少し沈黙が続いて、気まずい空気が流れ始めた。西宮の方から口を開くことはないだろうと考えた俺は、何か話題を提供するために、麻野たちがどうなったのかを聞くことにした。
「そういえば、俺が倒れた後麻野たちはどうなったんだ?」
「えっ…あ、そっか。2組の雪菜ちゃんが先生呼んでくれてたみたいで、とりあえず何とかなったよ」
そう言われてみれば、俺が殴られる前に七海さんはあの場にいなかった様な気がする。と言っても、ほぼうろ覚えなのだが。
「七海さん、流石だな」
「うん、だね。……ねぇ冬夜、やっぱ私…あんたに話したいことがあるんだけど」
唐突にそう言われて、少し身構えてしまった。先ほどまで西宮の様子が変だったので、少しばかりの緊張感がこの場を支配している。
「ん?」
「麻野から…色々聞いちゃって…。多分、私が聞いちゃいけない話だったと思うから、その…だから、ごめん…なさい」
俺は西宮の謝罪を聞いて、「何だそんなことか」と一安心する。麻野が西宮を殴ろうとした理由が分からなかったため、もっと深刻な問題でもあるのかと思っていたのだ。
「いいよ、謝らなくて」
俺がそう言っても、西宮はあまり納得していない様子だった。俺を少しでも安心させたいのか、面接を受ける人と同じくらい真剣な顔付きで会話をしている。
「でも、詳しいことは聞いてないから。だから安心して」
「そっか、ありがとう。あの日のことは……まぁ話せる時が来たら話すよ」
「…うん」
よし、これで一件落着…そう思っていたのだが、西宮はまだ俺に話がある様子だった。
そして、それもまた言いにくいことなのか、西宮は頬を染めて少しソワソワしている。その姿が小動物のように可愛くて、俺は思わず吹き出しそうになってしまった。
それを誤魔化すために目を逸らすと、綺麗な夕陽が窓からこちらの様子を伺うようにして、保健室を茜色に染めている。
「今週の日曜、空いてる? 今日助けてくれたお礼…したいんだけど…」
「…え?」
予想外の展開で、俺の脳の理解が追いついていない。休日に2人で出かけるということは…まさかこれはデーーー
「ーーーお、お礼! お礼するだけだから!」
「お、おう」
今が夕方でよかった。と、そう思ってしまうくらいに、この時の俺は顔が赤くなっていた。
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あとがき
最近、この物語ってラブコメ要素が少ないなと思い始めています。(特にラブよりコメが少ない気が…)
次の話からラブコメ要素もう少し増やそうか悩んでいるので、コメントいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
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