第35話 薬師如来

 出来上がったのは片手でのる程度の小さな仏像だ。大きさは一尺にも満たない。

 薬師如来が蓮華座に座っている坐像だ。


 仏様は片手に薬壺やっこを持ち、片手は軽く手のひらを見せるようにあげている。まるでこちらの世界の人々が「Hi」と挨拶する時のように。

 これは施無畏印(せむいいん)と呼ばれ、人々に『畏れなくてよい』と畏れを取り除く印相だ。

 薬壺は薬師如来の唯一の持物じぶつ(時物)だ。

 薬壺の中には万病を治す薬が入っていると言われている。


 手に取り、仏像を見る。

 全体的に小ぶりで、彫りも粗い。大きさも小さく、光背もない。彩色なども施してはおらぬ。

 衣文の彫りも浅く、時間があればもっと深く掘り奥行きを表現したかった。


 本当であれば、もっと大きく細部まで洗練された仏像でもよかったが、アルベルトの命を思うともたもたはしてられなかった。

 一日でも早く彼の元に御仏を遣わしたかった。

 薬師如来様は人々の病を癒してくれる仏だ。

 これがアルベルトの助けになればいい。

 彫らねばならぬ、ただそう思っていた。


 何かが強く俺を突き動かしたのだ。

 すっかり、夜も更けていた。

 明日にでも細部を調整して、グナシに渡そう。


 寝室に上がると、深い夜の闇に赤い月がぼんやりと浮かんでいた。

 この月にもすっかり慣れてしまった。昔の月がどんなであったかはっきりとは思い出せないほどに。

 俺の記憶も少しづつこちらの世界に染まってきたということだろうか。

 森の方からパキッと木の枝でも踏むような音が驚いてそちらの方を見た。

 じっと目を凝らしたが、それきり森は黙りこくっていた。


 狼か、コヨーテだろうか。

 やはりこの森には何かがいるのだろう。

 最近腹減り爺さんの家に遊びに行きたいと騒ぐラベンダーに釘を刺しておいた方がよさそうだ。


 月に祈るというわけではないが、窓辺に先ほど彫った薬師如来を置いて目を閉じる。

 どうか、仏様、お力をお貸しください。

 もしも縁あるならば、彼の命をお救い下さい。

 手を合せ、静かにじっと祈っていた。

 静寂に俺の祈りが溶けて行きそうだった。



 翌日、細部の調整をして、最後に蓮華座の裏に「アン(アンは梵字)阿弥陀仏」と筆で一筆したためる。

 よし。完成だ。

 仏の眼差しがこちらに微笑んでいるような気がした。


 門のあたりで寝転んでいるグナシに声をかける。


「え?これアルベルトへ?あ、ありがとう」


 アルベルトはなんとも言えない表情をしていた。

 それは彫刻のほりが稚拙だとか、構図がよくないとかそういう事ではない。


 礼を言ったはいいが、これは一体なんだろうか。アルベルトへわざわざ彫刻を作ってくれたようだけど、どうしたらいいんだ。

 そう顔に書いてある。


 そりゃそうだろう。

 プレゼントと言われても、見たこともない彫刻。それも仏像。

 奈良であれば十分に有難がられただろうが、ここは仏のない世界。

 仏なんて知らない人間が仏像を受け取っても、困惑するのは当然だ。

 なにこれ?え?人?つーか誰???

 グナシの心はそうだろう。

 感想に困っているグナシに薬師如来の説明をした。 


「これは薬師如来と言って病を治すご利益のある仏なの」

「ほとけ・・・・?」


「迷える者、救いを求める者、苦しむ者を助け慈しんでくれる者だよ」


 グナシはうーんと唸ったあと、「神様みたいなもんか?」

 神ではないが、まあ仏教が存在しない世界で説明するのは難しい。


「そんなものね」

「ふーん。じゃこれがお守りみたいな感じでアルベルトの病を治してくれるんか」


 ふんふんと自分なりに納得したようだった。


「元聖女さんよ、ラベンダーが言ってた昨日から休みなく何かしてるって、これだったのか」

 ラベンダーのやつ、お喋り好きだな。

 はたと何かに気がついたように俺に向き直る。


「折角作ってもらえたのは有り難いんだけどさ、サワートさん子供の治療費で金がないみたいなんだよ・・・・それで」


 何かと思ったら金の件か。


「もちろん、お代はいらない。私が彫りたくて彫っただけ。それでお金は頂けない」

「いいんか、結構時間かけて作ってくれたんだろ」


「ええ、いらなければ誰かにあげても構わない。売れるならばその金で薬を買ってもらっても結構だ」


 これでいい。

 これは私が作りたかったから。いや、違う。仏に呼ばれたのだ。

 私を彫れ、この世界の大地に私をおろせと仏に導かれたのだ。

 

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