第6話 化猫の涙


 とある猫の話をします。

 

 時代はさかのぼり、明治の終わりから大正の初め頃

 その猫は人間の言葉を話せるという特殊な能力を持っていました。それは、オウムのように発音をまねるだけでなく、言葉の意味を理解できる知識を持った猫なのです。


「ああー、腹減ったニャ」


 路地裏を歩いている猫は、この三日何も食べていません。たまたまゴミ箱をあさると、食べ残しの弁当が出てきました。

「久しぶりの御馳走だニャ! 」


 猫は喜びましたが、そこに突然、野良犬が襲いかかり、猫は叩かれて放り出されてしまいました。のら犬は猫の見つけた残飯を、おいしそうに食いあさります。猫は痛みをこらえ、唾をのみこんで見ているしかありません。


 猫は絵にかいたような不幸な猫でした。

 ゴミ捨て場で生まれた猫は、すぐに母猫が死に、のら猫の集団に入りましたが、いじめられ、虐待されました。動物の世界では、親のいない子供は、ほとんど生きていけません。


 路地裏でうずくまる猫

 猫は思いました……

(自分の子供ではなくても守ってくれる、人間の世界はいいな。でも、人間は……)

 そこに、一人の少女が現れました。


「猫はいいな」


 少女は、うずくまる小さな猫に近寄ってきますが、猫は

「シャー! 」

 警戒心むき出しで、少女を威嚇します。猫は母猫から、人間は怖い生き物だと教えられていたのです。


 少女は猫に

「そんなに痩せて。何も食べていないのでしょ」

 そう言うと、煮干しを猫の前に置いてやりました。

 猫は逃げようかとも思いましたが、置かれた煮干しにあらがえません。

 警戒しながら、むしゃぶりつきました。


「大丈夫だよ。何もしなから心配しないで」

 人間の言葉がわかる猫は、食べ物をくれたこともあり、とりあえず警戒心を解くと、疲れて再びうずくまります。

 そんな猫を少女はそっと抱きかかえます。少女の腕に抱かれた猫は


(あたたかい、やっぱり人間は、やさしいニャ)


 生まれて初めて、優しさに触れた猫でした。その日から、猫は少女について行きます。

(でも、この子はどうして「猫がいいな」なんて、言うのだろう)

 それは、すぐに分かりました。

 

 少女も猫と同じだったのです。


 少女は親に捨てられ、物乞いをして生きていました。

 ゴミ箱で拾った空の容器と木の棒でリズムをとり、上手くはありませんが唄を歌い、たまにお金を恵んでくれる人がいます。


さらに、停まっている馬車の窓を強引に拭きに行くと、「シッシッ! 」と犬を追い払うように拒否られますが、たまに小銭をもらうことができました。


 こうして、朝から夜まで、道端で物乞いのようなことをして、くたくたになっても、収入のない日も少なくない……というか、収入のない日の方が多いのです。


 少女は、そのわずかの施しから、猫に餌を買ってやり、空腹でおなかを鳴らしながらも、猫が食べる姿をうれしそうに見ていました。


 猫は、少女が貧乏だということがわかるので、そんな少女から餌をもらうことがとても辛かったのですが、目の前に餌を置かれると、ひどい空腹には耐えられず、食べずにはいられません。


 そんな自分の卑しさに胸が切り裂かれる思いで、少女のくれた、わずかな餌を涙ながらに食べたのでした。


(なんとか、少女の力になれないかニャ。猫の恩返しが、できないかニャ)

 猫は考えましたが、早々思いつくものではありません。


 ◇

 少女は、よく猫に話しかけました。


「猫ちゃんは、何考えてるのかな。お話できたらいいのにね。そうだ、ゴミ箱で鈴を拾ったんだ、つけてあげる。こうすれば、猫ちゃんがどこにいるかすぐわかる」


 少女は猫の首に鈴をつけてやると、猫はうれしくて、わざと鈴を鳴らすように少女の回りを駆け回ります。


 猫は話ができるのですが、話はしませんでした。

 それは死んだ母猫から、絶対に人間と話をしてはいけないと、きつく言われていたのです。

話のできる猫は、いわば化猫。見つかったら、気味悪がられて殺されるか、捕まって見世物にされると、言われていたからでした。


 そんな猫は、ひもじくても、優しい少女との生活は楽しいものでした。でも、少女の方は大変で、住んでいた小屋が取り壊され。行くあてのない少女は、小さな橋の下の隙間を見つけました。


「今日からここが私達の、お家だよ。狭い場所でごめんね」

 苦笑いする少女ですが、猫は一緒にいられるだけで満足でした。


 でも、別れは突然やってきました。


 その日は初雪の舞う、寒い日でした。


 少女は数日前から熱をだして、寝込んでいます。寝ていたといっても、拾ったボロボロの毛布にくるまっているだけで、毛布一枚だけでは寒さをしのげません。

 少女は衰弱し、立つこともできない状態です。


 少女は猫を抱いて震えています。


「猫ちゃん……どこにも行かないでね」


 猫は心の中でうなずきますが、少女の震えは尋常ではありません。

(だめだ! このままではこの子は死ぬニャ!)


 猫はどうすることもできません。人間に助けてもらうしかありませんが、人目のつかない橋の下なので、だれも気付きません。


(こうなったら、人間に話かけてみるニャ。人間は動物と違ってやさしいニャ)


 猫は、母親の言いつけに背くのですが、意を決して、橋の上を通る人を待ちました。でも、その日に限って誰も通りません。


 猫が戻ってくると

「鈴がきこえない…猫ちゃん。どこに行ってたの。お願い、そばにいて」


「大丈夫、どこにも行かないニャ」


 思わず喋ってしまいました。

「誰、猫ちゃんが話したの……そんなわけ……ないよね」

 どうやら、目も見えないようです。


 猫は少女の耳元で

「必ず、戻ってくるから」

 一瞬、驚いたようですが、そのあと少女は頷いたように見えました。


 鈴の音が少女から遠ざかリます。


 ◇

 猫は、町にでました。

 町の通りには、笑顔で歩く人が大勢います。猫は、おろおろしながら、上を向いて声を掛けました。


「私の、友達が死にそうなのですニャ」


 道行く人は足元から聞こえる声に、一瞬、びくりとしますが、まさか猫が話しているとは思わず、空耳と思って通り過ぎていきます。


 歩いている人には声が届きそうにないので、廃屋の前で、火を焚いて数人で座っている、男たちのところに行きました。


 たばこをふかし、昼間から酒を飲んでいる人相の悪い大人に声をかけるのは怖かったのですが(この人達も、あの娘と同じ貧乏だから、きっと優しいニャ)そう、自分に言い聞かせ、勇気をだして声を掛けました。


 ただ、事態は猫の予想とは違ってしまいます。

「おい! この猫、話をするぜ」


 男たちに囲まれ、猫は怯えますが、ひるまず。

「友達が、死にそうなのです。助けてください」


 懇願しましたが、急に首の後ろを掴まれ、宙づりにされました

「ほんとだ、すげーぞ! これは、売り物になるぜ」


「友達って言ってるが、どうせ猫だろ。そういえば、山手の屋敷の変人伯爵婦人なら高値で買ってくれるぜ」

 大人達は、思わぬ儲け話に夢中です。


「ちがう、人間だニャ」

 つりあげられた猫は手足をばたつかせて、叫ぶように言いますが、誰も聞いてくれません。無理やり箱に入れられ、どこかへ連れて行かれました。


「出して、早く帰らないと! あの娘が死んじゃう! 」

 猫は涙声で訴えますが、出してもらえません。


 母猫の言う通りだったと、自分の失策に後悔しました。

「どうして、話を聞いてくれないニャ。私が猫だから……」


 ◇

 連れて行かれたのは、大きな屋敷でした。


 豪華な金網の檻に入れられた猫。

 どうやら大金で買われたようです。その家の貴婦人は(夫を見たことはないが)、珍品が好きで、骨董品や変わった品物をたくさん持っていましす。


 猫は屋敷の中で、暖かい敷物に、餌も豊富に与えてもらえました。でも、猫は少女のことが気がかりでなりません。自分だけが、こんないい思いをしてよいのか。

 なんとか、脱出の機会を探りましたが、頑丈な檻は全く歯が立ちません。


 一方、婦人は猫に語りかけますが、猫は返事をしません。話をしたら何をされるかわかりませんし、話をしなければ、捨てられて、あの娘のところに戻れると思ったのです。


 でもこの婦人は、心の底を見抜かのような、鋭くも穏やかな瞳で見つめ、ネコの思惑を見透かしたように


「どうやら、あなたは私の言葉がわかっているようですね。話しかけた時、たまに頷き、最後まで私の目を見つめる。つまり、私の話を聞いているということですね。まあ、いつか話をしてくれればいいわ。それと、何か事情がありそうね」


 そう言われて猫は視線を逸らせましたが、その行動自体、話を理解していると言ったようなものです。

 してやられたと観念し、猫は再び婦人を見つめました。図星だと言わんばかりに微笑む貴婦人を見ると、どこか神々しささえ感じられます。


(この人は悪い人じゃない……たぶん。話していいだろうか)猫は逡巡しましたが

(このままではだめだ。私は、どうなってもいいニャ)

 猫は思い切って話ました。


「私の、大切な友達が死にそうなのです!」


 話を聞いた婦人は大急ぎで馬車を用意し、医者をつれて娘がいる橋の下に向いました。

 少女のもとに急ぐ馬車の中で


(伯爵婦人は一緒に住んでいいと言ってくれた。一緒に暖かい布団に寝て、おいしい物を食べさせてくれる。これで、やっと恩返しができるニャ)

 猫は、少女と一緒にこのやさしい瞳の婦人の家で生活することを夢見ました。


 しかし、婦人と猫が橋の下に行くと、ぼろ雑巾のような毛布にくるまった動かない塊があるだけ。

 間に合いませんでした………


 泣くことしかできない猫………


 虚空を仰ぐ猫の頭上を、小雪とともに寒風が蕭蕭しょうしょうと吹きぬけていきます。



(私が、人間だったら……)


 

◇高天ケ原、三の蔵にて


 猫娘は蔵の中から、汚れた小さな鈴を見つけました。

「これは! あの娘からもらった鈴だ。あれからも、いろいろあった……この鈴に助けられたこともあったニャ」


 とある理由で手放したのですが、なつかしさに込み上げてくるものがあります。猫娘は、すぐにアマテラスのもとに行きました。


「どうしたの猫ちゃん」

「この鈴がほしいのですニャ」

 めずらしく、アマテラスにお願いをする猫娘


「猫ちゃん、気持ちはわかるけど。幾らするかわかるわね」

「一生かけて、払いますニャ! でも、そこは従業員価格でなんとか」


 たかが鈴一個に一生をかけるという猫娘。それほど、思い入れのある鈴なのです。 


 すると、アマテラスは含みのある微笑みで

「あの時も、同じことを言いましたね。その時は品物じゃなかったけど」


 猫娘はハッとして、うつむいて言葉がありません。

「はいです……その時の借金……まだ、たくさん残っていますニャ」


 消沈する猫娘にアマテラスは優しく微笑んで

「早々、願いはかなうものではありませんよ。神の私が言うのもなんですが、願うことは悪いことではありませんが、どちらかといえば思考停止に近い受動的な思いです。猫ちゃんには前を向いてほしいな」


 猫娘は仕方なく蔵に戻ると、何度も躊躇しながら最後に鈴を蔵に戻しました。


 すると、鈴は暗い蔵の奥に吸い込まれるように、消えてなくなりました。


「最後に会いに来てくれたんだニャ。大丈夫、私は今もあの娘といっしょだニャ」

 猫娘はアマテラスの言葉を思い出し、顔をあげ。


「これでも、私には小さな夢がある。願っているだけでは、だめだニャ」


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