もう、しみずくんのもの

 そんな事が、もう三日は続いた。




 そのくせさほど寝不足にならずに出社して仕事をしていると、上司から商談に用があると言われた。

 キャリアアップも必要だなと思いながら仕事先に向かう。そこはまるであのゲームに出て来るような大企業らしいビルであり、中にはワープゾーンでもあるのかとほんの少しだけ期待もしてしまった。


「こちらがわが社担当の清水さんだ」


 清水雅人と言う名前の男性は、私より年下なのにもう役職付きだった。うらやましいとは思わないが、それでも好青年であり仕事のできそうな人だった。


 まあ商談の方は事実上の初交渉って事でそこそこに終わったが、その後ついでと言う事で早めの昼食がてら喫茶店に入った。


「なんだよ、好きな女の子キャラの好きなメニューだったのか」


 私がカレーを頼むと上司がそんな事を言って茶化して来る。別に単にカレーが食べたかっただけなのだが、レトロゲーとスマホゲーの区別がつかない上司からしてみればゲームとはギンギンの美少女様が出て来るようなシロモノなんだろう。

「古いゲームがお好きなんですか」

 まあそのおかげで清水さんと話が弾み、商談がうまく行く流れになった事はありがたいのだが。

「ぼくも昔はそれなりに遊びましたよ。今はもうほとんど売っちゃいましたけど」

「ですよね」

「まああと五、六年もすれば買い与える立場になるんでしょうけどね」

 それと同じぐらい上司への好感度が落ちた時点でプラマイゼロなのだが。まあ、それが一般的な見識なのだから別に気にしていない。


「そう言えばどちらにお住まいで」

「実は」


 そんな私が今の住まいを言うと清水さんの手が一瞬止まり、そのまま無言での食事を終えた私たちは社に戻り書類をまとめた。




 そんな訳で今日も仕事を終えて戻ると、今日もまたゲームが動いていた。

 一昨日は六人目、昨日は七人目のボスを倒していた。残るは一人かと思っていると、ちょうどその八人目のボスが敗北を認めていた。


 パーティーを拝見すると、伝説級のそれと言われる存在が入っている。

 昔の私と変わらない。


 そんなパーティーを引き連れている「やすゆき」を邪魔する事もあるまいとコンビニに買い物に出ようとすると、隣人の老夫婦と顔を合わせた。


「ああこれはお隣さん」


 清水さんと言う名前の老夫婦、いや老夫婦と言うにはまだ還暦ギリギリの夫婦。


 隣人なのになかなか顔を合わせる事もないまま、今の今まで過ごしてしまった夫婦。

「あなたが今その、松村さんの所に住んでいらっしゃる」

 松村。かつて私の住んでいた部屋で無理心中したと言う家の苗字。私が無言でうなずくと、夫婦は私を部屋に招いた。


 同じ間取りのはずなのにせせこましさがなく、やけに上品に見える。

 家主が部屋を作るとか言うが、同じ必要最小限でもわが家は「これだけしかない」なのに対しこっちは「それ以上無理にいらない」に見える。まったく、趣味のいいお家だ。


「それでお夕飯は」

「いつも通りコンビニで」

「あらそれはそれは」


 本当は三日に一度だがいつも通りとか言う嘘を吐いてしまった事を隠しながら煮物に箸を向ける。コンビニで買ったそれよりうまいことに罪悪感を覚えながらうまみを感じ、少しだけ結婚にあこがれる。

「お隣さんもこういう味を学んで欲しかったんですけどね……そりゃお金をためる事は大事ですし、それでも気持ちはわかるんですけどね」

「ちょっと」

「ああすみませんつい愚痴っぽくなってしまいまして、あの物件に来る人来る人二年ももたずにいなくなってしまってて…………」

「存じ上げております、それを承知で住んでるんですから」


 穏やかに見えても人生には起伏がある。この老婦人だって相当波乱に満ちた生涯を送って来たんだろう。ゲームってのはそういうことを学べるからいい。読書だった同じだと言うかもしれないが、結局それは感じ方の違いだろう。


「実はそこの子がね、私が息子に買ってやったゲームを欲しがってたんですよ」

「ほう」

「それで貸して貸してうるさくて、それで私も少しカッとなっちゃいましてね、それで」

「お前が悪い事じゃないだろ、って言うか何を聞かせてるんだ」

「でもそこの奥さんかなり厳しくて、って言うかケチくさくて」

「ああ、事あるごとに貸してくれおごってくれってうるさかったな」


 いつの間にか話に加わって来た旦那さんは、自分の身柄及びその夫婦の話をしてくれた。



 この旦那さんは大企業勤めで出世もそれなりに早く、このマンションを新築だった時に現金でポンと買える程度には金持ちであり、現在は定年間近ながら専務まで上り詰めたと言う。

 一方で隣人一家は夫婦共働きで必死にお金を稼ぐ良くも悪くも一般的な家庭であり、奥さんのような専業主婦ではなかった。


 それがどこからか漏れ、嫉妬と羨望を買い、それでいわゆるクレクレ行為が始まったらしい。

 それは当然息子と同級生の隣人息子の関心事であるゲームにもおよび、貸してくれのコールが頻発したらしい。一緒にやるならいいと言うとケチの言葉が飛びまくり、金持ちのくせに上品ぶらないで金ばっかり溜めてるとか言う悪い噂が立ち始めた。

 幸い隣室の主人は好人物で奥さんの暴走をいさめてくれたが、それでも彼女を止める事は出来なかった。


 ある時、二人は息子にあのゲームのバージョンを買って来てやった。

 ありふれた話だったが、それが彼女を決定的に爆発させた。

「これは携帯ゲームで一人用なので貸せません」

 私を含む世間中の人が知っていた事なのに、元から丸かった目を余計にはっきりとして口を大きく開けた。



「まさかあなた……」



 その時、この奥さんはついうっかり、素直に驚いてしまった。

 すでに国民的ゲームになっていたそれを知らないのか—————そんな侮蔑を浴びせられたと思った彼女はついに、壊れてしまった。



 彼女はケチだのよこせだのと叫びながら奥さんに殴りかかり、七発から十発ほど頭を殴打した。そして彼女が倒れ込むとソフトを奪い取り、彼女を足蹴にして隣室へと逃げ込もうとした。

 結果は言うまでもなく、夫は彼女を糾弾。損害賠償として七ケタの金を払わせる約束をさせ、強引に謝罪させた。不満顔だった本人と、ついでに息子の頭をぐっとつかみ、無理やり頭を下げさせた彼の姿は本当に痛々しかったらしい。

 その息子は彼の子ども曰く校内で孤立気味だったらしく、それもまたゲームができなかったことに起因しているらしいとも言う。


 そして————————————————————。





「彼女は旦那さんの腹を三度刺し、そしてお子さんの首をも斬り、彼女も……」

「あまりにもひどい話ですね」

「ああそれから息子は自分の物に名前を書くようになりましてね、それはそれで良かったんですがね……」


 まったく、無理心中の原因がゲームひとつかよ……本当、ひどい話だ。

 やっぱりゲームってのは、現実より美化されてるのかもしれない。


「そう言えばその家の皆さんって……」

「ああ、旦那さんが正さん、奥さんが玉子さん、息子さんが康之君って子だったよ」

「康之君の事でしばらくうちの息子もふさぎ込んでてね、今じゃ立ち直ってはいるけどそのソフトはすぐ売っちゃってね、今ではどこでどうしているのか…………」


 私が深く頭を下げごちそうさまでしたと深々と頭を下げながら出て部屋に戻ると、エンディングムービーが流れていた。




「チャンピオンやすゆきのなまえをここにきろくしよう!」





 「やすゆき」とその仲間たちの名前が刻み込まれて行く。

 「清水」と言う名前の書かれたカートリッジのソフトの、エンディング。


 そう、「やすゆき」、いやおそらくは「康之」。


 どうしても、どうしてもと言う欲望。


 決して大きくないはずの欲望。


 それがもし、この結果を生んだとすれば、不幸なのか幸福なのかはわからない。



 ここまで同じ部屋で誰もゲームをやらなかったはずもないだろう。

 もし、「やすゆき」の望みがそれだとしたら、私は決して認めたくない。


 子どもだからで終わらせるには、あまりにも情けないから。




 やがて、ゲーム機は止まり、コントローラーは動かなくなった。







 そして、ソフトも消えていた。







 気が付くと私は、仕事用のスマホで、「清水雅人さん」に電話をかけていた。


「ああもしもし」


 清水さんのあわてた声が届く。


「今お取込み中ですか」

「いえいえ、何の御用で」

「大変申し訳ございませんが特には」

「そうですか、それでこっちはその、いきなり棚の奥に……」

「棚の奥に?」

「そうです、僕の字で、清水って書かれた、ゲームソフトが…………」

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