第31話 着ぐるみ
どのくらい歩き回っただろうか。
足が棒になりそうだった。どこを探しても、周囲に人影は見えなかった。もたもたしているうちに空は真っ暗になっていた。雲がかかっているからか月もない。落ちそうなほどの闇だけがある。
俺は柵に寄りかかって座り込む。耳を澄ませても、あるのは人工的な喧騒だけ。ひび割れたファンファーレと、油の切れた機械の軋む音。じじ、とネオンが焼き切れる音。カラフルなライトアップもあちこちが欠け、汚れ、不揃いさがかえって空虚さを煽っていた。出来損なったお祭り。生きた者の気配はないのに、もぞもぞと人の群れが動き回る息遣いは、強くなっている気がする。暗くなったからだろうか。
はぐれた、にしては奇妙だった。そもそも遊園地に死角はそれほど多くない。装置が大掛かりな代わりに、構造物には空白が多いからだ。例えばコーヒーカップと屋根の間。ジェットコースターのレーンの柱も十分な隙間があり、安全のために空間が広く取られていることも、見通しのよさに一役買っている。これだけ歩き回っていれば、どこかに姿があれば見つかるのが自然だ。それなのに、人影が見えないばかりか、応答に返事もなければ、話し声、足音ひとつしない。
一番近い感覚は、『電車』や『学校』で起こったそれだった。まるで、俺を除いて世界から人間がいなくなってしまったみたいだ。
現実逃避だ、と俺は半ば自嘲する。俺の言動に腹を立てて、意図的に無視を決め込んでいるという可能性だってある。その方が現実的じゃないか。
……本当に?
なら彼らは、どこに隠れているというのだろう。
まだ足を運んでいない場所は限られる。屋外のめぼしい場所は、裏のゴミ置き場まで含めてだいたい見に行った。だとしたら可能性があるのは屋内だ。レストランの厨房と、スタッフの詰め所らしき場所は、すでに――入口から覗いただけではあるが――確認している。どこも埃が積もっていて、人が踏み込んでいれば一目でわかりそうだった。残るはミラーハウスとホテル。……しかし、あれだけ用心深いまひろが居ながら、そんな場所に足を踏み入れるだろうか?
延々と考え込んでいた時、だった。
「あーあ、見捨てられちゃったねえ」
男の声がした。顔を上げると、熊の着ぐるみが目の前に立っていた。薄汚れて褪せた毛色。ふざけた笑みを貼り付けたままこちらを見ている。
風が寒い。
外灯に照らされた長い影が、着ぐるみが歩を進めるたびに、二重に、三重に伸びる。
歪だ、と直感が告げた。
第一、彼はどこから現れた? あれほど探し回っても、人の姿は文字通り見る影もなかったのに。
「可哀想に」
甘やかな声がざらりと背中をなぞった。
その中にある憐憫と嘲りを、耳は敏感に拾い上げる。
「家にも居場所がなくて……友人にも見限られてしまった……君をあたたかく迎え入れてくれる場所は、もうどこにもない」
――うるさい。
煽り立てられる不快感を、奥歯を噛んでぐっと抑える。
着ぐるみは一歩、また一歩と近づいてくる。
「おいで……少し話をしよう」
手が差しのばされて、身体は勝手に走り出していた。
舌なめずりするような眼差しを、着ぐるみの目の奥から確かに感じた。
あれは危険だ。関わってはいけない。
耳を貸してはいけない。
あの着ぐるみではそう早くは走れないはずだ。引き剥がしたと思ったら、今度は別の場所から声がした。「く」の字になった道の、俺の来た方とは反対側に、それがいた。
「どうして逃げるの? 君は何を怖がっているの?」
背後にはミラーハウス。分岐路のどちらの道にも退路はなかった。袋の鼠だ。
外は見通しがいい。どこにいても姿が筒抜けになる。なら――
俺は一か八かミラーハウスに飛び込む。一方通行の回転扉を体当たりして抜ける。
くく、と笑い声が耳を掠めた。
「飛んで火にいるなんとやら、だねえ」
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