第二章 学校

第8話 パワーストーン伊東

 お土産を届けたいと言うと、姉は下宿先まで持ってこいと要求してきた。足が重いのは俺も同じだが、姉があまりにも強情なので俺の方が折れた。バイト先から数駅。示された住所を頼りに道を辿る。それにしても、ピンの示す先が「パワーストーン伊東」だというのは何かの間違いだと思いたい。

 駅前の華やかな通りを奥に進むと、寂れたシャッター街に入る。すすけた建物とぴしゃりと閉じられたシャッター、意味不明の落書き。薄曇りのせいか、空気はどんよりと澱んでいる。どうにも憂鬱な気分にさせられる。うちの商店街の未来でも見ている気分だ。

 疑わしくもとりあえず歩を進めている間に、目的の場所に近づいてきた。視界には紫色の旗が立った、いかにも胡散くさい建物がある。天然石、開運、魔除け、厄除け。並ぶ文字がますます怪しげだ。ショーウィンドウにバカでかいアメジストと水晶が見える。

 店の入り口には「お客様の声」と称した手紙が並んでいた。「ずっと不妊に悩んでいたのに、子供ができました」「苦手な上司が異動になりました」「彼女ができました」「息子が第一志望に合格しました」「宝くじに当たりました」……なんだこの数え役満は。

 姉に連絡を入れたが、「中で待ってて」と言われたところで返事が途絶える。何か罠にかかったような気持ちで、俺は数珠みたいなものでできた暖簾をくぐる。連なった石がじゃらじゃらと音を立てる。

 店に入ったとたん、線香に似たにおいがした。抹香くさい、というのか。

 店内は薄暗く、所狭しと石が並んでいる。つるりとした白色、淡いピンク色や青緑色、紫色、透明なものと種類は様々だ。原石のまま素っ気なく置かれているものもあれば、きれいに磨かれて形が整えられているもの、ブレスレットや指輪、ストラップのように加工されているものもある。金運、仕事運、恋愛運といった文字もそこかしこに散らばっている。値札の数字は数百円から数万円までピンキリだ。ショーウィンドウにあった岩のようなアメジストにはゼロが六つついていた。

 奥の方には二組ほど机と椅子があって、カフェスペースのようになっていた。小さなレジも傍に置かれているが、人はいない。その奥に、今度は布でできた暖簾があって、その奥は暗くてよく見えなかった。スタッフルームか何かだろうか。

 店は閑古鳥が鳴いているようで、人は俺以外に誰もいない。レジにあったベルを押すと、場違いなくらいに大きな音が鳴った。ごそごそと音がして、「いらっしゃいませー」とぞんざいな声がする。しばらくして派手なエプロンをつけた姉が出てきた。「なんだ、尚か」とつまらなそうな顔をされる。自分から呼んでおいて「なんだ」とは。

「……何してんの」

「見てわからない? アルバイト」

 俺が訊きたいのはそういうことじゃないんだけど。

「バイト中に呼ぶなよ」

「いいの、どうせ暇だし」

「なんでこんな店でバイトしてんの」

「だって時給いいんだもん」

 その辺座っといて、飲み物出すから、と席を示される。「何がいい?」という質問にはブラックコーヒーと答えておいた。「砂糖とミルクいらないの?」「いらない」「かっこつけちゃってー」姉は薄く笑って奥に引っ込んでいく。

 コーヒーと交換に、手土産を渡した。「何これ、あんた絶対モテないでしょ」と姉は封を開けるなり悪態をつく。嫌なら返せと言ったら「やだもん」ときた。溜息の代わりにコーヒーに口をつける。器だけは立派だが、随分と薄味だ。

 その時、ぱたりと暖簾が動いて、奥から人が出てきた。痩身の中年男性だ。作務衣っぽい服を着ている。顔のパーツは穏やかそうなのに、どこか険のある目つきをしている。姉のサボりがバレたのではないかと、俺の方が勝手に緊張する。

 男の視線は一瞬姉の方に行き、それからまっすぐ俺に向かった。無意味に背筋をピンと伸ばす。ここの店長、伊東さん、と姉が耳打ちしてくる。

「香弥ちゃん、あんたの弟ってこの子か?」

 どことなく感じる関西訛り。

 姉はどこか気圧された様子で頷く。堀の深い顔立ちには妙な貫禄があった。俺までどこか雰囲気に呑まれそうになる。

「厄介なのに見入られとんね、君。悪い気ぃがぎょうさんおるわ。なんか罰当たりなことでもしたんか」

 鋭い目にびしりと射抜かれる。

 何か言おうと思うのに、言葉は喉に詰まって何も出てこない。

 苦手だ、この人。なんでと言われても、うまく言葉にできないけれど。

「なんか、いるんですか?」

 姉が俺の代わりに訊いた。

「ここにはおらんよ。入ってこれんのやろな。けど、気配はある。二つ三つやない。……香弥ちゃんがよくない感じがするー言っとったけど、思ってた以上にタチが悪そうやな」

 思わせぶりな言葉。緊張に慣れてくると、今度は別の据わりの悪さを感じた。ここがどんな場所なのかを今更思い出す。こいつ、あることないこと言って、高い石でも売りつけるつもりなんじゃ。

 伊東が俺の向かいに座る。俺の警戒を察したのか、伊東がふわりと顔をほころばせる。

「金をとったりはせんよ。香弥ちゃんの弟やし家族割ってことにしたるわ。――何か、あるんやろ」

 表情は緩んでも、目の鋭さは変わらない。

 ない、と言えば嘘になるが。どこまで信用していいのかわからない雰囲気だ。どうにも食えない感じ。

 俺はじっと押し黙る。

「なかなか口割らんなあ」

 伊藤は苦笑して頬杖をつく。取り調べでも受けている気分だ。

「一個一個は大したことなさそうやけど、そんだけうろつきまわってたら、何もない、ってことはあらへんやろ」

「まあ……」

「些細なことでもいいから言うてみ。大丈夫。茶化したりはせえへんから」

 仕事柄慣れてるしな、と冗談が口から出る。最初は剣呑な感じがしたが、こんな店をやっている割に、根は陽気な人なのだろう。それでも第一印象の苦手さは消えない。初手から随分と踏み込んでくる感じがある。

 急かすような視線を感じる。

 無言の圧力に負けて、俺は探り探り話をした。自分の身に起こった怪現象と、合宿でみっきーたちから聞いた話。個人名は出さず、友人、とぼかす。

 気は進まなかったが、糸口が見つかれば儲けものだ。

「ほおん」

 伊東は興味深そうに頷いて、「香弥ちゃん、俺にもコーヒー」と姉を振り仰ぐ。はあい、とやけに素直に姉が出ていく。しばらく経って姉がコーヒーを持ってくると、「香弥ちゃんのコーヒー、いつ飲んでもうっすいなあ」と笑った。カップを持つ左手に銀の指輪。どうやら既婚者らしい。

「あの……」

「ん?」

「俺のまわりにいる奴っていうのは、友人についている『呪い』と、同じなんでしょうか」

「うーん。ゲンミツに言うと、ちょっと違うかなあ」

 厳密、という言葉も、この人が使うとどこか軽薄だ。

「というと?」

「君の周りにおる奴は、言ってしまえば大したことないレベルなんよ。低級な、その辺をふわふわーっとしてる、どこにでもおるよーなヤツ。ちょっとした悪戯はできるけど、たいした危害は加えられへん。けど、君のお友達の話では、少なくとも二人が殺されとるんやろ。人の身体をねじ切るなんてそんじょそこらの霊にはできへん。その二つの現象を比べると、規模が違うっちゅーか、そもそもの格が違う」

「同一性がない?」

「そうそう。ドウイツセイ」

 何がおかしいのか、伊東は手を叩いて笑う。揶揄われたような気がして俺は少しムッとする。親戚の集まりに行った時、少し喋っただけで「難しい言葉知ってるんだねえ」と感心されるような。そこに多少嫌味や排斥の混ざるような、居心地の悪さ。

 邪念を振り払うために、小さく咳ばらいをする。

「では、二つの現象は無関係ですか?」

「いや、完全に無関係ってことはあらへんやろ。大元のボスは別にいて、君んとこにいるのは使役されたヤツか、それに吸い寄せられたヤツ、っちゅうとこやな。現象に脈絡がないのもたぶんそのせい」

 まあでも、焼死体と焼けただれた手は、関連性がなくはないか……伊東は何やらぶつぶつと呟いている。

「本当に心当たりはないんか? 祠を壊したとか、墓を荒らしたとか、肝試しーゆうて曰くのある場所に踏み込んだとか」

「さすがにないです」

 いくら信心がなくてもそんなことはしない。器物損壊に不法侵入。道徳とか縁起以前に法に触れる。

「うーむ。どうにも引っかかるなあ。大元をぶっ叩けば収まるのは確実やけど、正体がまるで見えんし。お友達にごっついのが憑いとるのは、間違いなさそうなんやけど……」

 ううん、と伊東は唸って、それきり黙り込んでしまう。

 何か策が見えるかと思ったが、今のところそれは見込めないようだった。こっちも専門家に聞いてみるわ、と伊東も煮え切らない表情だった。とりあえず、その程度の怪異ならこれがあれば収まるからと、怪しげな石をもらう。真っ黒な丸い石に、二色で編まれた紐が通してある。

「お守りや。魔除けの黒水晶と組紐。それでどうにもならんかったら、またうち来てな」

 ありがとうございます、ともごもごお礼を言う。「気にせんといてや、家族割やから」伊東は朗らかに言う。さっきから強調される「家族割」がどこか引っかかる。胃の奥がもぞもぞするような、うっすらとした嫌悪感。

「せや、尚くん、お母ちゃんに会ってみるか?」

 嫌な予感のど真ん中を言葉が貫いた。

 ……名乗ってない、よな、俺。

「いえ、お構いなく」

 俺はそそくさとその場を去ろうとする。そうしなければいけないような気がしている。一刻も早く逃げ出したかった。財布から五百円玉を出し、ごちそうさまでした、と席を立った。

「つれへんなあ。せっかく奥におんのに」

「……奥?」

「おう。澄子さん、なんや研究の試料を取りに来たーゆうて、ちょうど来とったとこなんよ」

 澄子さん、という声が妙に親しげで。

 寒気が身体を走る。

 あからさまな動揺を悟られないように、俺はぐっと奥歯を噛む。

「帰ります」

 俺は勢い任せに踵を返した。狭い店内は歩きにくくて煩わしい。隙間を縫おうとして、石がいくつも落ちそうになる。「おう、気ぃつけてなー」人の好さそうな声が追いかけてくる。じゃらじゃらと顔に触れる石を振り払い、俺は屋外に出る。「あ、あたし送ってきます」姉が慌てて飛び出す気配がする。

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