第7話 告白

 俺はここ最近の奇妙な出来事を、思いつく限り話した。風呂場で見た血。バイト先の窓に垂れ下がった手。正体不明の足音。子供の泣き声。蛇口から出てきた髪と、異臭。

 真剣に聞いてくれているのはわかったが、それでも「気のせいだ」「神経質だ」と一蹴されるのではないかと、俺はどこかで恐れていた。何より俺自身が、自分の身に起こったことに半信半疑だ。どれも気のせいだと言われれば証明のしようがない。

「あくつにも来たかー」

 まひろは意味深に呟いて、何やら考え込んでいる。その目がまた、伺うようにみっきーを見る。が、それ以上は何も言わない。みっきーの言葉を待っているようだ。この件になると、まひろはやけにみっきーに気を遣う。

「阿久津くんは、僕の噂を聞いたんだよね」

「ああ……まあ」

「あれ、身長の話じゃないんだ。ごめん」

 まあ、薄々そんな気はしていたけど……。

 でもあれは、根も葉もない噂話の域を出るものではなさそうだった。少なくとも、小耳にはさんだ程度の話では。

「僕と仲良くなった子は、よくそういうことが起こるんだ」

「ふーん。じゃ、まひろも?」

「あったよ、おれも。まあ慣れてたけど」

「慣れてた?」

「昔っからよく見るんだよな。母親が病院勤めだからさ、そこの託児所に預けられてたんだけど。老若男女問わずうじゃうじゃいたね」

 俺は思わず胡乱な顔をする。「なんだよ」とまひろは不満そうにこちらをねめつける。

 霊感体質ってかあ? 冷やかしたくなったが、口には出さない。今となっては俺も同じ穴の狢だ。

「その、噂のことしゃべってた女子って、大塚さん?」

 話の向きを変えたのは、たぶんわざとだろう。「だった気がする」と答えると、「あー」とまひろが何か察したような顔をする。

「同じ中学なんだ」

 まひろの代わりにみっきーが答えた。

 中学の時、一度大きな騒ぎになったのだとみっきーは言った。中学ン時色々あったから、とまひろが言っていたの思い出した。どんな騒ぎだったのかと聞くと、みっきーは話しにくそうに続きを語った。

 どうも子供の時から、みっきーにはこの手の現象がついてまわっていたらしい。薄気味悪がる噂は、ささやかではあったけれど、当時からあったようだ。はっきりといじめられるとまではなかったものの、孤立しがちで、どの友達もあまり長続きしなかった。中学に入ってからもそれは同様で、部活やクラスのよしみで仲良くなった奴がいても、どこか敬遠されてしまう。みっきー自身も人付き合いに気後れを覚えるようになり、誰ともある程度の距離を保ち続けていた。友達らしい友達はまひろくらいだったようだ。

 まひろの話によれば、しばらく怪異らしきものはあったが、目立った実害はなかったし、無視し続けていればぴたりとやんだそうだ。みっきー自体はいい奴だし、そんなことで友達やめるほど薄情じゃない、とまひろは言った。意外と殊勝な奴。

「試用期間、なんだと思うんだ。僕と深く関わろうとした子にだけそれが起こる。それに対して相手がどう出るか、見てる感じがする」

「なんというか……随分と過保護だな」

 今までの話を聞くと、何かがみっきーを外的な脅威から守ろうとしているように思える。近づいてきた人間が付き合いに値するかどうかを試す。

 みっきーは少しはっとなって、「そうかも」と呟いた。「ここまで周りではいろいろなことがあるのに、僕には何もないんだ。僕にはそういう素質がないのかもしれないと思ったけど」

 何か深く考え込む様子。少し間をおいて、みっきーは話を再開させる。

 転機が訪れたのは中学三年生の春だった。本格的な受験モードとはいかないまでも、どことなく空気がぴりぴりしていた。少し荒れがちな中学だったようで、教師からの締め付けもことさらに強い。そんなこんなでストレスが募りだした矢先。

 同じ陸上部で付き合いのあった生徒が、バイクに轢かれて怪我をした。幸い命にかかわることはなかったが、件の生徒はそれをみっきーのせいだと主張した。

「仲良かったの?」

「それなり……かな。たまに一緒に帰ることがあったくらい。陸上部の中では、どちらかというとよく話す方だったかも」

 以前は好意的な態度をとっていたその生徒は、事故をきっかけに態度が一変した。何せ引退試合の予選を前にした事故だ。彼はその頃奇妙な出来事が続いていたそうで、怪我をみっきーのせいだと信じて疑わなかった。さらには同様の経験をした奴ら――かつてみっきーと仲が良かった奴らと徒党を組み、いじめまがいのことを始めた。

「些細なことなんだけどね。掃除が終わった後に、僕の机だけ椅子が降りてないとか。僕だけわざと配布物を飛ばすとか」

「そんだけじゃないだろ。ぜんっぜん些細じゃかったよ。悪質だ」

 まひろは怒り心頭な様子。思い出しただけでも腹が立つらしい。

 ごめん、とみっきーは自分が叱られているみたいに恐縮する。

 とにかく、彼の鶴の一声で、悪質ないたずらが続いた。ガス抜きだったのだろう、とみっきーは言う。もともと消極的な性格で、味方も少ないのに、変な噂まで立ったみっきーは、体よくストレス発散の的になってしまった。実行犯はごく一部の人間だけだったが、行為はどんどんエスカレートしていった。

 彼らの行動には、度胸試しの意味もあったのかもしれない。俺はこいつにビビってなんかないぜと、躍起になった結果の、挑発。行動は褒められたものではないが、理解はできる。親父や教師を無意味に煽ろうとしたことは、自分にもおぼえがある。俺はお前らの権力になんか屈しない、というパフォーマンス。……こうして言葉にすると、ひどく幼稚な気がしてくる。

「いつだったかな……放課後に、トイレの物置に閉じ込められたことがあって」

 想像以上に穏やかじゃない言葉が出てきた。「些細」という言葉にまひろが怒った理由が垣間見えた。

 実行犯は二人。一人がみっきーを蹴り飛ばし、もう一人が扉に鍵をかけた。げらげら笑う声が遠ざかる。みっきーは出してと懇願するが、そのうち物音ひとつしなくなる。

「古い校舎だったし、トイレってただでさえ暗くて湿っぽくて、嫌なにおいするでしょ? 夏だったから暑いし、校舎の隅で人通りもないし。僕もさすがに参っちゃって、先生に見つかったころにはぐったりしちゃってて。軽い熱中症だったみたい」

「うわ……」

「そしたらね、次の日には死んでたんだ。僕を閉じ込めた子」

 言葉が出なかった。

 事態が明るみに出るには、しばらく時間がかかった。登校してこない二人に教室はにわかに騒ぎになり、教師が訃報を告げたことでその騒ぎは急激に加速した。しかも二人の死に方は尋常ではなかった。どこからか漏れ聞こえた話によれば、二人は各々の自室で、首と手足がねじ切れて死んでいた。巨大な手か何かで強引にひねられたみたいに。

 発見したのは家族だったらしい。家の中で、不審な人物を見た人間もいない。その上この尋常じゃない死に方だ。人の首や手足をねじ切るなんて、何か機械か工具でも使わない限り不可能だろう。該当するものも部屋になければ、当然自殺でもない。他殺であるのは明らかだった。一時は警察沙汰にもなったが、犯人は見つからなかった。

「それで――これは三月の祟りだ、っていうことになって」

 一連の嫌がらせは止んだが、ますます遠巻きにされるようになった、というわけだ。

 過保護だ、という印象は間違っていなかったのだと知る。これはまるで、危害を加えたことに対する制裁だ。しかもかなり度が過ぎている。

「なるほど」

 話を終えたみっきーは、どこか怯えたように身構えている。またこれで友人が離れていくのかもしれない。そういう怯えに見えた。

 俺はどこか引っかかりを覚えていた。深く関わった人間に異様なことが、というのは、傾向としては間違ってなさそうだ。けれど、関わる人間は、何も学校の中にいるわけではない。例えば――

「家族は何事もないわけ?」

「うん。……たぶん。いい人たちだから。僕にはすごくよくしてくれるし」

 羨ましいことだ。どこか引っかかる感じはあるが。

 原則として、それは脅威とならない人間には罰を与えない。みっきーの言葉を借りれば、家族はとうに試用期間を過ぎているのだろう。みっきーが「よくしてくれる」と言う程度には、害のない人間だと判断された。

「何しろ、なかなか深刻だな」

「……阿久津くん、怖くないの?」

「怖くない、……ってのはちょっと違うか。現実味がない」

 何しろ俺は実際の現場を知らない。どんなショッキングな話であれ伝聞は伝聞だ。下手なことをすれば殺されるらしいというのには凄みはあったが、さすがに物置に閉じ込めるような真似をする予定はない。

「まあ、どの道このままだと厄介だよな、みっきー的にも。それでフラれたりしたんじゃ不憫だし」

 居心地悪そうにたじろぐみっきー。ん、とまひろが何かを感知する。みっきーが露骨に話を変えたそうにする。させるか。

「陸部のあの子と話した時だけ、なーんか雰囲気違う気がしてたんだけど」

 昼休み、みっきーはたまに、部活の話で教室を抜ける。聞こえてきた感じは事務連絡のようだったけれど、最中と直後のみっきーは、どこか落ち着かない、けれど妙にうれしそうな感じなのだった。

 顔がみるみる赤くなったのを見ると、俺の読みはあながち間違いでもないらしい。

 みっきー、わりとモテるんだよな。顔も頭も悪くないし、颯爽と走る姿はいろいろと様になっているし、その上性格が抜群にいい。件の噂も、三月くんっていいよね、みたいな話からだった気がしなくもない。

「マジで?」

 まひろが身を乗り出す。

「つきあってんの?」

「いや、まだ……」

 ちゃんとは、という声は消え入りそうになっていた。

「いい雰囲気ってこと? やるう」

「そこまでじゃ」

 今度は完全に沈黙してしまう。

 みっきーも下手に出れないのかもしれない。自分が深く関わった人間に訪れる災難、なんて、意中のコには間違っても降りかかってほしくないだろう。

 こりゃがんばらなくっちゃね、とまひろ。そろって共犯者の笑みを浮かべた俺たちの傍らで、みっきーがいたたまれなそうに身体を小さくしていた。

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