第7話 昭和台中市~櫻橋通:台中駅駅前エリア(榮町、綠川町、橘町)

 台中を舞台とした楊双子先生の小説『綺譚花物語』及び、星期一回収日先生による同作のコミカライズに於ける第二作、日本時代を舞台にした『昨夜閑潭夢落花』で臺中高等女學校に通う主人公、日本人少女の渡野邊茉莉と台湾人少女の林荷舟にとっての帰り道だった明治町通と大正町通。明治町と大正町の間、そして大正町通の一丁目から五丁目までの間を通る五本の通りは、それぞれ臺中駅の駅前から放射状に伸びて、市内の主要施設と駅までを最短距離で結んでいる重要な道でした。駅前から大正町までの間にあった三つの町、駅前の橘町と、綠川沿いの綠川町、繁華街だった榮町を、茉莉と荷舟が通学途中に横切り、時にはそこから臺中駅を眺めただろう五本の通り沿いに見ていきましょう。


【櫻橋通】

 寄り道厳禁な臺中高女。茉莉と荷舟は作中で精一杯の寄り道の一つとして、大正町通(自由路)の角から駅方向をただ見つめます。駅までの距離は約300メートル、今でもここに立てば赤煉瓦の臺中駅二代目駅舎が視認可能(ただし今は交通量の多い交差点ど真ん中なのでくれぐれもご用心を)。

 この場所は大正町通の三丁目と四丁目の間。駅から延びる臺灣大道は当時「櫻橋通」と呼ばれていました。


 同時代の絵葉書を元に描かれたこの場面、佇む二人の右手、西側に建つ彰化銀行本店の建物が完成したのは、茉莉と荷舟が臺中高女の四年生としてここに佇んだ昭和9~10年から三年後の昭和13年(1938年)なので、恐らくこの時期はまだ着工前の更地状態だったのではないでしょうか。


 しかしその南側、今は台中名物のお菓子、麦芽糖入りのはちみつパイ「太陽餅」の博物館になっている「全安堂藥房」の煉瓦ビルは当時も既に建っています。創業は明治28年(1895年)で、経営者は廬安さん。医薬品の他、計量器具や酒類、衛生材料、ゴム器具も取り扱っていました。建物の形状からして、もdるとなった絵葉書の手前部分に落ちている影が「全安堂藥房」の建物の影だと思われます。この先の榮町と綠川町三丁目の櫻橋通沿いには間口の狭い商店がずらりと軒を連ねていました。


 絵葉書に写っていた建物は、左手がまず大正町で紹介した行啓記念館の右端部分。その隣の半円形の屋根は、昭和9~10年にはまだなかった「三代目台中座」です。

 初代台中座は台中市で最初に開業した日本人向け芝居小屋でした。いまだ鉄道すら開通していない明治35年(1902年)に建ったこの初代台中座は、江戸初期のような仮設の芝居小屋だったらしく、数年で老朽化し消滅。市内のどこに建っていたのかすら今や定かではありません。

 その後、高松豐次郎という人物が明治41年(1908年)に新たな芝居小屋を台中市で開業、やはり「台中座」と名付けます。この人は福島県出身の労働活動家。啓蒙活動と労働運動に「映画を用いての教育」を持ち込んだ人物で、普通に娯楽映画を上映しながら弁士として解説する中に色々と皮肉を盛り込む、というスタイルで相当にウケていたようです(明治法律學校出身の法律のプロなので理論武装は完璧。加えて在学中に落語家に弟子入りして話芸も磨いています)。この頃は「御用弁士」のような形で来台し「台湾人に近代的価値観を植え付けるための巡回映画興行」を總督府の依頼を受けて行っていました。明治41年はちょうど臺灣縱貫鐵道が最後の難関だった台中区間を開通させて全通した年。豐次郎さんはこの年から明治43年までに縱貫鐵道の沿線で台北から高雄までの各所、加えて屏東にも、合計で十もの劇場をオープンさせています。


 榮町三丁目にあった木造二階建てのこの芝居小屋「二代目台中座」は綠川を挟んで臺中駅と向かい合い、まだまだ発展途上だった台中市に於けるランドマークの一つになりました。花道を設けた芝居小屋で、ある時は歌舞伎、ある時は舞台にスクリーンを垂らして映画を上映して人気を博し、大正2年(1913年)には二年前に市内に開業していたもう一つの芝居小屋「高砂演藝館」を買い取って、そっちは「大正館」として映画の専門館にしています。こちらの劇場は大正町五丁目1番地辺りにあって寶町との境界に接していたため「寶座」という名前だった時期もあるようです。

 新演目の作成にも熱心だったようで、明治42年(1909年)には台北で「臺灣正劇練習所」を設立。失業者などから役者を募集し、台湾初の近代劇団として上演を行なっていました。

 ちょうどこの年、明治42年は、「台湾の鼠小僧」と呼ばれる人物が仲間割れで死亡した年。「廖添丁」というこの人は、戦後になると抗日の英雄として持ち上げられ幾度も映画化ドラマ化されましたが、実は廖添丁を義賊として描いた初の芝居は、豐次郎さん率いるこの劇団が明治44年(1911年)に上演した『廖添丁』です。

 豐次郎さんは大正7年(1918年)に離台。その後、大正14年(1925年)に日本で映画制作会社「タカマツ・アズマプロダクション」を興して無声映画の製作に乗り出しています。


 二代目台中座は建設から25年が経過した昭和8年(1933年)になると老朽化し、安全性が問題視され始めました。このまま取り壊されてしまうと駅近くの一等地に劇場がなくなってしまいます。このタイミングで「ならば新しい劇場を自分が作ろう」と動きだした人物がいて、実はそれが『綺譚花物語』の第三作『庭院深深華麗島』のヒロインの一人であるお嬢様、林雁聲のお父さん「冬玉舎」のモデルになった人物なのですが、この人と、この人が作った「天外天劇場」についてはまた後ほど別の記事で。

 最終的には、西洋風な外観を持つ近代劇場「三代目台中座」が榮町四丁目で昭和11年に落成し、やはり歌舞伎と映画興行で戦前の台中を代表する日本人向け劇場の地位を保ちました。戦後は映画館「台中戲院」として興業を続けますが、映画館同士の競争が熾烈になった1977年に取り壊されます。跡地は近隣の建物と合わせてデパート「北屋百貨」に再開発。1980年のオープン時には「台中戲院」もテナントの一つとして入居しましたが、経営状態は改善せず、結局数年で閉館してしまいました。


 「三代目台中座」の奥には、亭仔脚の上を看板建築風に仕立てた日本家屋風の平屋建て「吉本商店」が。

 吉本商店の亭仔脚と行啓記念館の建物が櫻橋通にピタリと沿って建っている一方、「三代目台中座」は観客の入れ替え時に人が道路にはみ出してしまわないよう、建物をセットバックさせています。このため、吉本商店の日本家屋部分――看板建築の奥にあり、本来なら隣の建物に隠されて見えないはず――は丸見えになってしまいました。

 王吉さんが大正8年(1919年)に創業したこの店は、榮町通四丁目の半分ほどまでを占める角地の大店舗。食料品全般を扱っていた他、戦後は家具販売などにも手を広げて「王吉本百貨店」となります。これが台中初の百貨店でした。その後、株式会社化した吉本百貨は、隣接する「台中戲院」が営業不振に陥ると、そのオーナーだった台湾の国営映画会社「中影公司」及び建設会社の「北屋建設」と組んで店舗を再開発、「北屋百貨」をオープンさせます。

 しかしその後は売り上げが低迷し、数年で別企業に債務ごと経営を引き継いでもらうことになりました。その後もオーナーは入れ替わり、現在はテナント主体のショッピングモールになっています。


 その奥に建つ三階建ては、市営の貸店舗。

 臺中駅からこちらへ向かって櫻橋通を進み櫻橋を渡った綠川町四丁目には第一市場があり、この市場を半ば取り囲む形で、貸店舗棟が昭和3年(1928年)から翌年に掛けて建設されます。榮町通と櫻橋通の角地に面したこの三階建て部分には台中を代表する外食店舗の一つ「柳屋食堂」が入居していました。神奈川県出身の柳川重郎さんが大正14年(1925年)に創業し、貸店舗ができると早速入居、一階二階が洋食レストランで、三階では日本料理を提供していた他、第一市場内には食料品販売の店舗も設けています。他に仕出しも行っていたとのこと。


 貸店舗棟はここと、北側の干城橋通交差点、干城橋たもと部分に三階建て部分を設け、その間は二階建ての長屋式看板建築棟で繋いでいたようです。干城橋たもと部分には「台中ホテル」が入居していました。また綠川沿いには貸店舗棟はないのですが、櫻橋のたもと部分に独自に店舗を建てて「東家食堂」が営業していたようです。

 第一市場は明治41年(1908年)に開設された台中初の消費者向け小売市場。昭和3年(1928年)から4年に掛けて鉄筋コンクリートによる中央の六角塔とそこから放射状に伸びる三棟という、第二市場に現存する建物と同じ形の建物が完成しました。貸店舗棟はこの工事に合わせて、周辺露店を収容するために建てられています。

 「榮町消費市場」という正式名称を持っていたこの市場は、戦後も臺中市第一公有零售市場として市民の台所になっていましたが、1978年に火災が発生し建物がダメージを受けたこともあって、1987年からブロック全体を商業ビル「第一廣場」へと再開発する工事が始まります。1993年の完成後、ビルの1~3階に市場が入居。ビル名は2016年に「東協廣場」と改称しましたが、市場は今もここにあります。

 絵葉書内で街路樹が緑に繁っている辺りがこの第一市場の入り口部分。その向こうに聳える煙突は、高砂町の製糖工場のものでしょう。


 緑の途切れたところに櫻橋があり、これを渡ると大八車を引いている男性の後ろに見える駅前橘町の煉瓦ビル。櫻橋通を挟んで橘町三丁目と四丁目には元々は臺中駅二代目駅舎と同じ辰野式スタイルの二階建ての煉瓦ビルが建ち、商社やホテルが入居していましたが、三丁目側はこの頃には既に鉄筋コンクリートの三階建てビルへの建て替えが進んでいたはずです。ただしこの絵葉書は「全安堂藥房」の前あたりから撮っているため、橘町三丁目側のコンクリート三階建てと駅舎は木の陰に隠れてしまって見えていません。

 そして橘町四丁目には、『綺譚花物語』の第四作『無可名狀之物』で主人公である小説家志望のニートな阿貓と大学院生の羅蜜容が恐らく訪ねただろう虎爺が。

 このブロック内にある幸天宮(媽祖廟)は昭和20年に、当時第一市場に出店していた人々が北港朝天宮から媽祖様を勧請して祀り始めたのが起源。恐らく終戦後だと思われます。しかしその後、市場の改築が行われて安置場所がなくなってしまったため北港朝天宮にお帰り頂くこととなりました。ところがお神輿に乗せての移動中、媽祖様が童乩(タンキー)を通じて「この街にはまだ厄災があるから私は帰る訳にいかない」とメッセージを伝えてきます。相談の結果、人々は「豊中戯院」裏手の路地に場所を借り、簡易な廟を作って媽祖様をそこに安置しました。その後、1985年に土地を購入して正式に廟を建立し今に至っています。綠川福德祠はそのお向かいに2010年にできたばかりの新しい廟で、虎爺もどこか現代的なデザイン。


 写真に写っている台中のランドマークたちは再開発で消えてしまい、今の台中に残っているのは、写真には写っていない榮町と綠川町の三丁目側にあった建物になります。当時の面影を残すのは台中座の向かいに建つ上海料理店「沁園春」。恐らくは榮町三丁目6番地だった建物ではないかと。ここから二軒隣にあった「幸發亭蜜豆冰」の臺灣大道店は阿貓と蜜容が虎爺探訪中に立ち寄った「蜜豆冰」の店として楊双子先生が想定していた店舗でしたが、残念ながらコロナで閉店してしまっています。とは言え「幸發亭蜜豆冰」の支店は他にもあるので同じ味は味わえるのですが。


 櫻橋も以前の橋は道路拡幅で取り壊され、今の橋は当時の姿に合わせて再現されたもの。

 橋を渡って左手の四丁目のたもと部分は橘町四丁目15番地で、「有限責任臺中庶民信用利用組合」が入居していました。橘町の煉瓦ビルは、四丁目側も昭和20年までにはコンクリートビルに建て直されていたようで、ビルの合間にちらほらと残る二階建て部分にアールデコ風デザインや和風な人研ぎのファサード、上げ下げ窓が見て取れるところも。

 昭和11 年の橘町三丁目側は、駅に面した18番地の旅館「昭和館」だけが鉄筋コンクリート二階建てで、その後ろは櫻橋まで鉄筋コンクリート三階建てが何棟か軒を連ねています。臺灣大道一段21號の三階建ては、日本時代に昭和館の隣に立っていた「國産自動車販賣株式會社」だった場所の一部。今残っているのは半分だけで、本来はその右側にも同じファサードがもう一つ並んでいました。その隣、ドラッグストアの「屈臣氏」の建物は、当時の台中の代表的台湾料理店「醉月樓」の正面入り口棟です。また、橋を渡ってすぐの三丁目川角地にはこの時代「サロン日活」というカフェーが入居していました。

 女給さんたちによるギター合奏が名物だったというこのカフェーは、実はやはり台中を舞台にした別な歴史漫画に登場しています。日本語版が岩波書店から出版されたばかりの、『台湾の少年』。游珮芸先生が原作を、周見信先生が作画を担当し、日本時代生まれの実在人物、蔡焜霖さんの波乱万丈の生涯をバンド・デシネ形式で描いたこの漫画の原題は『來自清水的孩子』であり、主人公は日本時代に於いては台中市の郊外「臺中州」の一角だった清水の出身ですが、公學校卒業後は臺中市新高町にある臺中第一中學に進学しているため、当時の台中市内の光景もちらりと見て取れるのです。

 第一巻で、徐々に視力の落ちてきた蔡焜霖少年が初めて眼鏡を誂える場面。同じく眼鏡を掛けている兄に連れられて診察してもらいに訪れた病院は、櫻橋の西隣に架かる新盛橋の橘町側たもとにあった「宮原眼科醫院」であり、恐らくこの後、隣接する綠川町か榮町の商店街のどこかの店で眼鏡を購入しています。そしてその後、初めての眼鏡を掛けた蔡焜霖少年を連れて兄が食事に向かうのが、このサロン日活(作中で見て取れる作中で見て取れ寒伴野文字春日活カフェー。昭和16年の店内で、やはり初めての西洋料理に舌鼓を打つ蔡焜霖少年ですが、その数か月後に日本は太平洋戦争に突入し、西洋料理もコーヒーも台湾の日常からは消えていき、最終的にはカフェーそのものが贅沢で不要不急な遊興の場として強制的に休業させられて消えていくに至ります。


 日活カフェーが入居していた建物はその後、ビルに建て替えられ、また当時から残っている建物も駅前という土地柄から、前面を看板で覆ってしまっているものが多いのですが、今後、駅部分で鉄道公園の整備が進むと同時に看板を外してファサードを露わにする店舗が増えれば、当時の様子がもう少し窺えるようになるかもしれません。


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