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 お父様が北の孤児院に向かって二日が過ぎていた。

 私も一緒に行きたかったのだが、「危ないからついて来るんじゃない。それが二人を誘拐する条件だ」と断られたので、私はその間推し活の準備を進めてきた。


 ピピノアが着る服の調達。治癒力の高い薬草を調合し手作りの塗り薬の完成品。

 調理場の料理人には、胃腸に負担をかけないために暖かいスープや柔らかくて飲み込みやすいシチューのようなものを作ってほしいとお願いした。

 あとは少しずつこの土地とローランス家に慣れていってくれればそれで十分だ。


「よし、準備は整ったわ。後々必要なものは購入したらいいとして、まずはピピとノアの身体面、精神面の回復を重点的にやらないと……」


 夕方、マチルダと私は部屋で双子を誘拐し戻ってくる予定のお父様の帰りを待っていた時だ。


「セリィ! 父さんが帰ってきた」


 ついに来た。大好きな二人と対面する時が……──


「っ、ただいま、行くます…!」


 ちょうど父の帰路を知らせるアレクの声に反応し、私は緊張からか舌も回らなかった。

 そして力一杯走って外に出ると体格の良いお父様がピピとノアを両肩に担ぎ、こちらの屋敷のほうに歩いてきている。担ぎ上げられたピピとノアは意識がないのか、目を閉じていた。原作で見た幼少期のように、酷く汚れ痩せこけた二人の姿を目の当たりにした瞬間、思わずそのリアルな光景に足が止まってしまう。


 何、驚いてるの……? 推しを救うために生まれ変わったんでしょ! こんなことで怯んでる場合じゃないっ!


 自分に喝を入れるため、両頬をパチンと思いきり叩く。

 しっかりしなさい、セリンセ。二人をこんな風にした憎しみや恨みが生まれそうでも、それでも目に焼きつけるの。この姿が今のピピとノアの姿なのよ……──


 近づいてくるお父様も、そばで見ていたアレクお兄様やお母様も、ローランス家の住人が私のことを見守っていた。たぶんこんな気持ちのわかりづらい紫目が悔しそうに潤んでいたからだ。


 でも、会いたかった……ようやく会えたね。

 ピピ、ノア。これからは、私が守るから。絶対に死なせない。あなた達を幸せにするの。


 すぐ目の前まで来たお父様はピピノアを執事や侍女達に預け、傷ついていた体の治療を指示した。

 着ていた服はボロボロ。二人とも肩まで伸びた頭髪が硬くボサボサで、知らない人は見分けがつかないだろう。

 孤児院では黒髪だからと髪が伸びても切ってもらえない。そのうち『目障りだから切れ』と大人に命令されて、切れにくくハサミなのかもわからないようなもので互いに髪の毛を切ることになっていたはず。原作通りにいけば、そういう暮らしが続いていたのだから恐ろしい。


「セリンセ、今戻った。あの子達は睡眠薬で眠ってるだけだよ。もう大丈夫だ」

「お帰りなさいお父様。ピピとノアを孤児院から連れ出してくれて、本当にありがとう……!」


 感極まってお父様に抱きつくと、その無礼を叱るどころか頭を優しく撫でてくれた。お母様はその光景に瞳をウルっとさせ、アレクはやれやれ、と頭を掻いている。全員、過保護にも程があった。


「今日から二人は、ローランス家の家族だ」


 その言葉についに涙が流れた私は、腕でゴシゴシと目元を擦る。そしてもう一度お父様に感謝を伝えると、ピピとノアのもとに向かって走った。ドレス姿なんて気にも止めず、自分が令嬢であることなんて頭の中から完全に消え去っていた。

 ただ二人のそばにいたい、その一心で。


 ローランス家の屋敷には医務室のようなものがあり、しばらくそこで寝食をしてもらうことにしていた。

 私がその部屋の扉を開くと、二人は汚れて破けた服を着替えさせられている。ピピに比べてノアの体は傷や痣だらけ。それはノアがピピのことを守っていたからだった。裸を見ると余計に骨が目立っていて、少しぶつけただけで折れてしまいそうだ。


「骨が何本か、折れていますね……」


 目を閉じているノアに向かってそう言ったのは、ローランス家の専属医師であり、薬草の研究などもしている優秀なロバート。

 丸メガネをかけているロバートは、ここに来る前は国の研究所にいたらしい。けれど治療薬の研究成果を奪われ、挙句『丸メガネ』とバカにされたロバートは人間不信に陥っていた。そんな時にお父様に声をかけられ、このローランス家で働くことになったのだという。


「ノア様よりピピ様のほうが傷や痣が少ないところを見ると、彼は庇っていたのでしょう。孤児院の大人もこんな小さな子に酷いことをするものです……」

「ロバート、お願い。ピピとノアがなるべく苦しまないようにしてほしいの。私にできることがあるならなんでもする……!」

「お嬢様……承知致しました。このロバートにお任せ下さい。落ち着いたらお嬢様が作られた塗り薬も塗ってあげましょうね」


 その言葉にうんうん、と、何度も頷いた。

 処置や検査のためひとまず部屋から出れば、そこには腕を組んだアレクお兄様が立っている。


「セリィ、平気か?」

「……うぅ……」


 うん、と答えようとしたつもりが、嗚咽のようなものが震えて出てくる。今は死なないとわかっていても、あんな姿を実際に見てしまっては強がることもできずに涙が出た。


「平気なわけないよな。セリィは初めて見たんだ……ショックに決まってる」

「お兄様は、あるの……?」

「俺は父さんの仕事を手伝うときに、虐待された子供や貧困で苦しむ人達を見てるから慣れてるよ」

「慣れ……例え慣れてても、ショックは変わらないんじゃないかな……お兄様もピピとノアの姿を見た時、苦しそうな顔をしてたもの」

「っ!」


 一見他人から見ればわかりにくい感情が、私からすればすぐにわかってしまうことがある。

 それにどれだけアレクが愛を持っているかは、原作を読んでいても感じられた。お人好しで、さりげなくヒロインをフォローする。その優しさに気づいてもらえずとも、自分はそれでいいと言わんばかりの姿に、前世の私は何度心を痛めただろう……


「セリィはほんと、良く見てるな」


 参った、というような苦笑いを浮かべたアレクを見て、心の底から切なくなった。


「私はお兄様にも絶対幸せになってほしい」

「……ふはっ、急に何言ってんだか」


 笑いながら私の頭をわしゃわしゃにする彼は、かっこよくて尊さの極みである。

 それからしばらくの間二人で治療が終わるのを待っていると、ロバートが出てきて無事に終わったと伝えられた。


 その晩、私とアレクは眠る双子の傍にいた。

 気を張っていたのが急に緩んだせいか、いつの間にか私はノアの傷だらけの手を握り、アレクはピピが眠るベッドを枕にし、眠っていたのだった──。



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