第2話 恋の魔女の試験

 彼女ははっきりと試験と言った。それは学校の女子グループに入る試験だろうか? しかし、脅されているわけではないとも言っていた。

 どういうことだろうか? 詳細は分からないが、ただ、純粋に彼女自身の考えでの行動ではないと言うことだけは分かった。


「どう言うこと? 試験って何の試験のこと?」

「あら、何のこと? あ! そうだ、今日はちょっと疲れたから、もう帰るね」


 そう言ってすっと立ち上がると、慌てて階下へ降りるドアへと歩き始めた彼女を呼び止めた。


「ちょっと待って」

「な、なに?」


 彼女は僕の言葉に素直に従って、立ち止まった。ポニーテールの後ろ姿を見せたまま、僕の言葉を待っているようだった。


「ねえ、黒柳さん、その格好で帰るの?」


 真新しいセーラー服の上に、泥で汚れたエプロンと、同じよう泥で汚れた軍手。このまま帰れば、途中で何かあったか言われるに違いないと思い、僕は呼び止めたのだった。

 彼女は僕の言葉に冷静になったのか、エプロンと軍手を外して丁寧にたたむと、こちらを向いた。

 僕ははそれを受け取った手を離さず、まっすぐに彼女の瞳を見て訊ねた。


「それで、なんで黒柳さんは、僕の恋の手伝いをしたいの?」


 この質問に彼女が答えなければ、この話は終わりにするつもりだった。彼女にも言いたくないことがあるだろう。それを無理矢理に聞き出す気は無かった。しかし、何か困っていることがあり、僕に出来る事ならば、手伝う気もある。ただし、彼女がこのまま、何も言わずに立ち去るならば、もう深追いする気も無かった。さきほど初めて話した彼女に対し出来る事が多く無いことも、経験的に知っていた。

 そんな僕の問いに対し、柔らかそうな桜色の唇で、ひとつ息を吸うと、彼女は静かに語り始めた。


「信じてくれるか分からないけど、私は魔女なの」

「魔女?」

「そう。でも勘違いしないで、魔女って言っても、悪い魔女じゃないの。恋の魔女。色々な人の恋の応援をするの」

「さっき、試験って言っていたけど、キミが恋の魔女だって言うのと何か関係があるのか?」


 目の前の転校生が魔女かどうかは置いておいて、先ほどの試験だとか、僕が恋をしていることになっていることが気になった。そのことを隠すために、彼女が魔女の話を持ち出したのではないかと疑っている。理由はよく分からないが、目の前の同級生は僕に恋をさせたがっている。その成就が彼女の何らかの利益になるのだろう。そうでなければ、転校初日に人気のない屋上にまで来て、雑草抜きまで手伝ったりしないだろう。そんな思いを抱えて、じっと答えを待った。

 彼女は、フェンス沿いに置いてあるベンチに腰掛けた。そのベンチはフェンスを乗り越えられないように、フェンスから少し離れて校庭が見えるように置かれていた。


「全部話すから、少し腰掛けて話をしましょう」


 自分のことを魔女だと明かしてしまった彼女は、すでに隠し事をする気はないようだった。校庭で部活動をしている生徒をぼんやりと見ながら、試験について話し始めた。


「さっき、私は魔女って言ったけど、まだ一人前じゃなくて、見習いなの。菊池君の恋を実らせることが、一人前になる試験なの。だから、お願い。あなたの恋を手伝わせて欲しいの」

「へー、そんな試験があるんだ。でも、恋を手伝うのだったら、僕じゃなくても良いじゃないか? 例えば、同じクラスの田中君なんて、隣の学校の女の子が好きだって言っていたから、彼の手伝いをした方が、彼も喜ぶんじゃないか?」


 正直、目の前に困っている人がいれば助けたいと思うが、試験のために恋をするというのもおかしな話だし、恋は一人で出来るものではない。そもそも相手にも失礼だ。それであれば、本当に恋をしていて困っている人の手伝いをしてあげれば、その人も喜ぶだろう。

 そんな菊池の気持ちを否定するように、黒柳は長い黒髪をゆるりとたなびかせながら、悲しそうに首を横に振った。


「ダメなの。試験に選ばれたのは菊池君、あなたなの。あなたの恋を実らせないと、私は一人前の恋の魔女になれないの。私が一人前になったら、その田中君の恋の手助けだって出来るのだけれど……」


 彼女の言葉を全て信用するのならば、試験官が対象者を選び、彼女にはその選択権が無いと言うことだろう。しかし、それならばなぜ僕なのだろうと、疑問が湧いてきた。ランダムであれば、納得がいくが、それならば僕のように初恋もまだな人間が選ばれる事もあるだろうし、何だったら、すでに恋人がいる場合だってあるだろう。そうだとすると、試験自体が成立しない。ならば、試験官が何らかの条件で任意に選んでいるに違いない。そう考えた、僕はひとつの仮定を立てた。


「君の試験官って、僕の知り合いなのか?」

「試験官? え、ああ、そうね。あなたは知らないかな。それが、何か関係あるの?」

「いや、別に……まあ、何度も言うけど、今は恋なんてしていないし、何だったら初恋だってまだだよ。だから、恋の魔女の試験だっけ? この件に関しては君の力になれるとは思えないんだ。申し訳ないけど」

「そう……初恋もまだなんだ。ところで、菊池君はどんな女の子が好み? 年上? 年下?」


 僕の言葉に落胆するか通っていたのに、逆に少し嬉しそうに質問してきた。そのあまりにも自然な感じの質問に思わず、答えてしまった。


「別に年は気にしないけど、大きく離れた相手は恋愛対象にはならないかな。って、僕の話を聞いていた?」

「これは、クラスメイトとしての質問よ。せっかくの縁なのだから、親交を深めるために、あなたの事を教えてよ。良いでしょう」


 そう言って柔らかな笑顔を僕に見せた。そこで、僕は気が付いた。彼女も緊張していたのだろう。なんだか、肩に力が抜けたような笑顔と声が、なんだか懐かしいような心地よさを感じた。

 屋上のフェンス沿いのベンチに腰掛けている僕達は、いつの間にか放課後にたわいのない話をする仲の良い友人同士のようになっていた。目の前の美少女と話している内に、少しおかしな錯覚を起こしていた。今日、初めて出会って、ほんの一時間も話していない彼女が、昔から知り合いのような不思議な感覚。話している内容なんて、そんなに重要ではなく、話していること自体が楽しい。そんな不思議な錯覚だった。

 そもそも僕は、昔から人と話をしているよりも、植物の世話をしている方が好きな男である。当然、女友達などと呼べる相手など皆無である。それが、初めて会った女子とこんなに話すことが珍しかった。

 これが、恋の魔女の魔法だろうか?

 そんな事を考えていると、彼女の質問が続いた。


「それじゃあ、背は高い方と低い方はどちらが良い?」


 百八十センチより少し高い僕だったが、別に自分の背の高さも、女子の背の高さもあまり気にしたことがなかった。しかし、平均的に背の低い女子の中で、さらに低いとなると自分との差が頭一つ以上出来てしまう。そうすると、目を合わせるのも大変だろうと、自分の好みと言うよりも、実務的な事を考えて答えていた。


「低いよりは高い方が良いかな? 横に並んだとき、無理なく視線が合うくらいに」

「ふ~ん、じゃあ、髪の毛は長い方が好み? それとも短い方が良い?」


 少し不機嫌そうな口調になったと感じたのは、気のせいだろうか?


「いつまで、この質問は続くんだい? まあ、短い方がさっぱりしていて良いかもしれないけど、君のように似合っていれば長くても良いかな?」

「あら、私の髪型、似合っている? お世辞でも嬉しいわよ。そのお世辞に免じて、最後の質問。活発な女の子とおとなしい女の子はどちらが好み?」


 髪型が似合っていると言われて、嬉しかったのか、黒柳はひまわりのような笑顔を見せて最後の質問をしてきた。

 その質問に、ふと、遠い昔の記憶を思い出し、考え込んでしまった。

 小学生の低学年の頃によく一緒に遊んでいたはずの女の子。明るく活発で人気者なのになぜか、僕といつも遊んでいた。けれども、その子のことを思い出そうとするたびに、ぼんやりと霧に包まれてしまう。もしかしたらあの子は友達のいなかった僕が作り出した妄想ではないかとさえ、思ってしまう。

 中学生の間は思い出しもしなかった。幻の友達の事を最近、思い出そうとしてしまう。それはある出来事が切っ掛けだと思う。

 黒柳の問いに、僕は運動場で練習をしているある女子を見つけた。短距離を走っているその子は女性としては背が高く、大きなスライドで他を圧倒する。陸上部短距離走のエース。名前は武田たけだ英里子えりこと言い、一部のファンの間では陸上の王子様と呼ばれて、学校内で彼女のことを知らない人間はいないと言われる有名人だ。今年のバレンタインには学校の誰よりもチョコをもらったという噂が、彼女をますます有名人にしていた。その武田とは、一年生のあの時まで接点がなかった。そしてその接点もほんの半日にも満たない物だった。ただ、そのほんの小さな接点が、僕の中にある、あの友人の記憶を呼び起こそうとしていた。


「あの子が気になるの?」


 彼女は興味深そうに、僕と同じように武田を見つめていた。

 気になっていないと言えば嘘になる。しかし、それは恋ではなく、遠い昔の友人を探しているような感覚だった。だから、彼女の問いに答えることが出来ず、だまって美しいフォームで走る彼女を見ていた。


「武田さんだっけ? ふーん、あんな感じの子が好みなんだね。活発そうね。確かに背が高いし、ショートがよく似合う凜々しいタイプ。菊池君が言う条件にぴったりじゃない。分かったわ。それじゃあ、聞きたい事も聞けたから、今日は帰るわ。楽しかったわ、また明日ね」


 聞きたい事を聞いたからか、明るい声でさよならを告げた。

 一人残された僕に桜の花びらを舞上げた風が、春の嵐の始まりを告げるように吹いてきた。

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