36. 私が魔王です

 青いローブ姿の二人は教会までやってきた。


 すでに陽は落ち、こじんまりとした三角屋根の建物には煌々こうこうと明りが灯り、暮れなずむ街の景色の中で人目を引いている。


 入口にはすでに大勢の純潔教の信者が行列を作り、ベンもベネデッタと共に最後尾についた。


 ベンは男だということがバレないように、辺りを気にしながらそっとフードを深くかぶりなおす。


 前に並んでいる女の子は友達と一緒に来たようで、楽しげにガールズトークをしながら順番を待っていた。


 これから街の人たちを虐殺するテロリストのはずなのに、なぜこんなに楽しげなのかベンには理解できない。この軽いノリで次々と人々を殺していくのだろうか?


 彼らが自分を襲って来るのなら自分は殺すしかない。しかし、ためらうことなくそんなことができるものだろうか? 社会の理不尽さ、狂った現実にベンは押しつぶされそうになる。


 女の子たちは楽しそうに笑い声をあげ、ベンは深くため息を漏らして首を振った。



 やがて二人の番がやってくる。


 シアンに髪の色と目の色を変えてもらったベネデッタが、おずおずと招待状を受付嬢に渡す。ブロンド碧眼は茶髪黒目になってしまったが、それでも気品ある美しさは変わらなかった。


 受付嬢は、チラッとベネデッタの顔を見て、招待状の番号を確認し、


「はい、9436番! お名前は?」


 と、いいながらシートに何かを書き込んでいる。


 えっ?


 名前を聞かれるなんて聞いていなかったベネデッタは、引きつった顔でベンと目を合わせる。


 しかし、ベンもそんなことは聞いていないからどう答えたらいいか分からない。この招待状を捏造ねつぞうしたときに使った名前、それが何かだなんて分かりようもなかった。


 ベンは顔面蒼白になってブンブンと首を振る。二人は極めてヤバい事態に追い込まれた。


 すると、ベネデッタは意を決して、


「シアンです」


 と、目をつぶったまま言い切る。


「えーと、シアンちゃんね。ハイ、OK!」


 そう言ってベネデッタにネックストラップを渡した。


 なんという洞察力と度胸。ベンは目を丸くしてベネデッタが通過していくのを眺めていた。


 しかし、自分は何と答えたらいいのか?


 【ベン】は明らかに男の名前だから違う。だとしたら何だろうか?


 魔王が登録しそうな女の名前……。


 全く分からない!


「はい、9435番! お名前は?」


 受付嬢が聞いてくるが、答えようがない。ベンは目をギュッとつぶり、途方に暮れる。


 名前が違うということになれば明らかに不審者だ。警備の者が呼ばれ、ここでドンパチが始まってしまう。


 そうなると、もう二度と集会潜入などできなくなり、テロの阻止の難度はグッと上がってしまう。


 くぅぅぅ……。


 万事休す。


 ベンは大きく息をつき、意を決すると金属ベルトのボタンに手をかけた。


 騒がれたらすかさずボタンを押し、入り口をダッシュで突破し、一気に会場に突入。そして、教祖を見つけ次第もう一回ボタンを押して瞬殺する……。


 できるのかそんなこと?


 ドクンドクンと激しく打つ心臓の音が聞こえてくる。


「早く、名前!」

 

 受付嬢はイライラした声をあげる。


 よし、勝負だ。


 ベンは大きく息をつき、覚悟を決め、受付嬢をじっと見据えると。


「魔王です」


 と、言ってニヤッと笑った。潜入する受付で【魔王】を自称するとは余程のお馬鹿だが、もう女の子の名前なんて一つも思い浮かばなかったのだ。


 すると、受付嬢は


「ハイハイ、マオちゃんね。ハイ、OK!」


 そう言ってストラップをベンに渡した。


 え?


 これから殺し殺される凄惨なシーンを覚悟してたベンは肩透かしを食らい、目を真ん丸に見開いて固まる。


「早く受け取って!」


 受付嬢はキッとベンをにらみ、ベンはキツネにつままれたように呆然としながらそっとストラップを受け取った。


 正解が【魔王まお】とか、あの人はいったい何を考えているのだろうか? ベンは無駄に気疲れてしまった重い足取りでベネデッタの後を追った。



       ◇



 ベンは会場内に入り、コンサート会場のような観客席に座ると、


「ちょっと、魔王たち何なんですかね? 情報はしっかり伝えるのが社会人の基本じゃないんですかね?」


 と、小声でベネデッタに愚痴を言う。


「きっと名前のチェックがあるなんて思ってなかったのですわ」


 ベネデッタはなだめるように返した。


 ベンは肩をすくめ、渋い顔で首を振った。


 見回すと大きなステージに広い観客席。もう七割くらいは席が埋まっているだろうか? あの小さな教会の中がこうなっているだなんて明らかに異常である。やはり管理者権限を使った異空間なのだろう。一度閉じられたらもう教祖を倒すまで逃げられないし、助けも期待できない。


 見渡す限り全ての女の子が敵なのである。ベンは改めて強烈なアウェイにいることを感じ、胃がキリキリと痛んだ。


 そんな様子を見ながらベネデッタは、


「これが終わったら日本ですわ。大きなお屋敷を買って一緒に暮らすっていかがかしら?」


 そう言ってニコッと笑った。緊張をほぐそうとしているのだろう。


 ただ、ベネデッタがイメージしているのは離宮のような屋敷なのだろうが、日本にはそんなのは売ってない。


 建てるか? 百億で? どんな成金だろうか?


 そんなことを考えてベンは思わずクスッと笑ってしまった。


「あら、お嫌ですこと?」


 ベネデッタは口をとがらせる。


「あ、いやいや、楽しみになってきました。ベネデッタさん好みの素敵なお屋敷を建てましょう」


 ベンはニコッと笑ってそう言った。


 ベネデッタはほほを赤く染め、うなずく。


 と、その時、急に照明が落とされ、ステージの女性にスポットライトが当たった。いよいよ運命の時がやってきたのだ。


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