第43話 2015年 ~あなたは、へヴィメタルを愛していますか?-3

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 楢崎教授との待ち合わせ場所は、研究室ではなく大阪の喫茶店となった。

 土曜日の夕刻。

 八割ほど席が埋まり、ざわついた店内で角の席についた瑠奈と楢崎は、目の前にだされたホットコーヒーを、二人同時に少しすすり、そして同時に息をついた。


「改めまして、お久しぶりです」

 瑠奈が頭を下げると、

「ん? そうか? ついこの前会ったと思うけど」

「あ、そういえばそうですね……なんというか、つい」

「ははは、まあ気にせずに……で、なんだっけ?」

「前回はバタバタとしてしまい、すいません」

「仕方ないよ。また、アレが起こったんだからね」

 そういうと、楢崎は慣れた仕草でまたコーヒーをすする。

 なぜだろう。その姿からただよってくる哀愁は、どこかしら水瀬春紀に似ているように感じられる。その空気感がどこからきたものなのか、おそらく考えてわかることではないのだろう。同じ経験を共有してきた者だけが帯びる雰囲気なのだろうか。


「今回はまたヘヴィメタル症候群のことを詳しく聞かせていただければ、と思っています。水瀬さんからだいたいのことは聞きました。もう、何を聞かされても大丈夫だと思います」

「彼からは……どんな話を?」

「まず〈キング・オブ・メタル〉の『メタル・ボックス』でのライブで起こったヘヴィメタル症候群の話。それで、水瀬さんが男になったこと。それから、楢崎さんに手配してもらって、別人として京津大学に移ったこと。それから……水瀬さんと楢崎さんが、その……」

「恋人だった、ということ……それも、訊いたんだね?」

「はい」

「じゃあ」と楢崎は感情のこもらない口調で、続ける。

「あいつが、本当は男になったわけじゃない、といったらどうかな?」


 ――えっ?

 口を開いたまま、しばらく固まってしまった。

「ええ……と、それはいったい、どうとらえればいいのでしょうか……」

 今の水瀬春紀は、多少中性的な見た目ではあるがどこから見てもれっきとした男で、それ以上でも以下でもない。それとも、心は女のままだ、とかそんなことだろうか。

 いろいろと考えをめぐらせながら、言葉には出来ずにいる瑠奈には構わず、楢崎が先を続ける。

「女から男になった、といったほうがわかりやすいから今はそういっているんだ。本当はそんな単純な話じゃない」

 わかりやすい、という表現に少し違和感を覚えたが、黙って先を促した。

「筋組織や皮膚、そして骨格と性器……つまり、表面的に表れる部分については、男のそれと大差ない。しかし、彼――いや、あいつには、子宮がある」

「子宮が……」

「そうだ。それ以外にも……と、まあこれ以上専門的な話をしても仕方がないね。いずれにしても、そんな状態だ。本人もそのことは知っている。話さなかった意図はわからないけどね……付け加えると、あいつの頭の中が今男女どちらなのか、それは私にもわからない」

 子宮がある。

 ただの男ではない、という根拠としてはそれだけで十分だ。

 いったい何がどうなっているのか、瑠奈の灰色の脳細胞にはすでに、理解の限界が来ている。自分は文系の人間だから――。そういう逃げ道すら、意味をなさないほどの出来事だ。

 そういう意味では、女から男に変わる、というだけで実は十分に理解不能だったのだが、目の前にその本人がいたことで、なぜだかすんなりと受け入れることができていた。本来、もっと疑うべきところだったのだ。だからこそ、水瀬春紀は証人としてあえて〈キング・オブ・メタル〉のボーカルである田中零を連れてきたのだから。

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