第35話 2015年 ~春紀君に聞いていないのなら……-2

 小型のノートパソコンからイヤホンを通しての音源鑑賞だった。しかし、目を閉じるとその当時の様子がありありとわかる。

 観客席のどこかから録ったものなのだろう。若干音量バランスに偏りがあったり、周囲の喧騒がいやに大きく聞こえたりはする。ただボーカルの澄んだ歌声やバスドラとベースのリズム、さらにギターのリフも鮮明に耳に届いてくる。

 なぜだろう。逆にオリジナル音源よりも吹き出してきそうなほどのエネルギーを感じる。

『シルバーメタル』が始まった。

 聴きなれたシルバーメタルだ。しかし、何かが足りない――。

「あれ? ツインギターじゃ……ない?」思わず、目を開いて顔を上げる。

「え? そりゃ、そうだよ――」

 市川は不思議そうに首をかしげる。

 訊きたいことはあったが、今はそれどころではない。瑠奈はもう一度目を閉じて、耳から流れ込んでくる情景に浸かりこむ。

 ギターソロが始まった瞬間、総毛立つような違和感に襲われる。これは昔の、その当時の音源なのか、それとも――。


 そうだ。これは胡桃のギターだ。瑠奈の中でそのソロの音圧、チョーキングの雰囲気、ギタリストの呼吸ともいうような音の切り方やノリも、全て胡桃のプレイとダブってくる。

 だんだんと心地良くなってきたところで、唐突に演奏が乱れ始めた。まずボーカルが途切れ、ギターが不協和音を奏で始める。そして、リズム隊が止まる。

 耳をつんざくハウリングと、喧騒と悲鳴――。

 そしてぷつり、と音が途切れる。


 瑠奈は目を開き、ゆっくりと耳からイヤホンを取り外す。

「ありがとうございました」

 瑠奈からイヤホンを受けとり、パソコンから取り外し、そのままパタン、とノートパソコンを閉じる。

「何か、参考になった?」

「あ……そうですね――」

 うかつなことに、目的を忘れただただ音源に聴き入ってしまっていた。ヘヴィメタル症候群の解決のために参考になったか、と問われると、残念ながら、答えはノーだ。

「そうだ」

 瑠奈は意識的に、話を変えることにした。

「すいませんが、楢崎先生の研究室って、どこか知ってますか?」

「ああ、楢崎先生、ね――学部も違うし、建屋も違うね。たしか……」

 極力感情を押し殺しているのが、逆に痛いほどこちらに伝わってきた。以前一度『777』で会ったときも感じたが、彼が楢崎を避けているのは間違いない。その理由が気にはなったが、それを解明しても仕方がない。今は、楢崎からヘヴィメタル症候群の情報を得るのが先決だ。とりあえず、先ほど聴いたライブ音源だけは、データCDとして入手してから、市川の研究室を後にした。


 市川から聞きだした楢崎の研究室があるという建屋は、生理学系の研究棟だった。

 同じ理系ではあるが、市川のいる材料系学科とは雰囲気が違い、すれ違う学生には女性も多い。

 急に訪ねたにも関わらず、楢崎は快く瑠奈を受け入れてくれた。

「ああ、あの時の子だね」

 と、最初に会ったときのことを覚えてもいてくれた。

 まず単刀直入に目的を伝えると、

「『スティール・ボックス』で、また起こったのは私も知っている」

 と前置きした楢崎が、話を続ける。

「あのときの――『メタル・ボックス』でアレが起こったときのことが訊きたいんだったよね」

 瑠奈の頷きに、少し苦い笑いを浮かべながら、

「しかし、おそらく市川君から聞いてきたことが、全てだと思う。あの時のことで、それ以上私が知っていることはないと思うよ」

「そうですか……でも、それ以降、あなたはずっと、その原因について調べていたんですよね。小阪大学から京津大学へ移ったのも、今回この研究室に来たのも、ヘヴィメタル症候群が関係している、と聞いています」

 この発言には、固まったままじっとこちらを見つめていた楢崎だったが、瑠奈の方もその視線を真っ向から受け止めて負けじと見つめ返すと、

「そうか……そこまで知っているのか」

 楢崎の方が根負けしたような形で視線を逸らした。

 瑠奈も少し体勢を整え直して、一つ息をついて部屋を見まわしてみる。

 まず目についたのは、棚に飾られている流行のフィギュアだ。その横のガラス扉の付いた戸棚には、個人持ちの物と思われるマグカップが並んでいる。

 会議室、というより、おそらく普段は学生や教官たちが談話する部屋なのだろう。

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