第25話 2015年 ~裸の魂で感じてください…… -5

 始めはただ、気持ちがよかった。

 しかし、それは一気に極大を振り切って、ある異変となって体に襲いかかってくる。

 おれは目を開く。

 曲が始まってから今まで、起きていたのかどうか、判然としない。

 なんとか冷静さを保って周囲を見回す。

 気付けば曲は終わっていて、悲鳴と怒号、そして、耳を聾するマイクとギターのハウリングが、ホールに響き渡っている。


 ――あのときと、同じだ。


 どこか遠くから、おれを見ているおれがいる。

 ただ、立ち尽くす。

 周囲では少女達がうずくまり悶えているのが、ちらほらと目についた。

 とっさに、ステージ上に目を向けた。

 そこに座り込んで頭を抱えているセーラー服の少女を目にした瞬間、一気に現実感が戻ってくる。

 おれははじかれたように、前へ体を進める。人の群れをかき分けながら、ステージへ進む。ときおり下着姿の女に抱きつかれるのをなんとか振り切って、ステージに上がる。体を横たえて悶える胡桃に手を伸ばし、まずはその肩からストラップを外してやる。

 胡桃のお気に入りのアイバニーズのギターだったが、そのことに構っている余裕はない。機材一式をそこに残して、おれは胡桃を抱きかかえて控室のほうに足を向ける。

 ステージ上から、ちらとだけ背後に目を向けると、そこはすでに大混乱一歩手前、という状況だった。〈シャガールの残像〉のメンバーのうち、ベーシストの女性がその場にうずくまり、体を捩り、他のメンバーもフラフラと壇上をさ迷い歩く。室内に溢れる裸の男女がときに抱き合い、ときにお互いの頬をはたき嬌声をあげる。相変わらずのハウリングにかき消されてはいるが、その阿鼻叫喚は地獄絵図だ。

 おれはその映像を振り切ってまずは胡桃だけを救出することに全力を傾けることとする。

 裏の控室に一歩入ると、ホールとはうって変わった静けさに包まれており、まるで今起こっていることが嘘のようだ。


「ハルキさん。大丈夫なのか?」

 そこには、ユグドラシルがいた。

 その表情に、いつもの余裕は全く見られない。

「おれは大丈夫だ。とりあえず胡桃ちゃんだけ、救出してきた」

「そうか……」

 どうすべきか、彼もわかっているのだろう。

 しかし、決断できない。

 それはおれにもわかった。

 いうまでもない、警察への通報だ。

 こうなってしまった以上、いずれにしてもいつかは公的な組織が入り込んでくる。それならば早い方がいい。

 しかし、それは同時に、『スティール・ボックス』の廃業は当然のことながら、極論するとメタルの死を意味する。


「どうすれば、いい? ……いや、訊くだけ無駄だな。わかった。僕から通報しよう」

 意外にもすぐに気を取り直したらしきユグドラシルが、ポケットから携帯電話を取り出し「胡桃ちゃんを、家へ。頼む」とだけ呟いて、ちらとおれに視線をやる。

 おれは頷いてまだ苦しげにうめいている胡桃を抱きかかえ、控室を後にする。急ぎ足で、それでも冷静さを保てる程度には慎重に廊下を進み、階段を昇る。

 幾人か、会場から出てくる人々が見られる。みな一様にその目には狂気が宿っているが、どちらかというと、憔悴の色が濃い。


 人をかきわけて、おれは進む。

 もうすでにどこかから情報が回っているのだろう。

 地上に出たときには、少しではあるが人だかりができていた。

 おれは出来る限り、目を合わさないように足を進める。

 と、その視界の端にとらえたものになぜだか違和感を覚え、ふと顔を上げあたりを見まわす。ホールから出てきたゾンビのような人々と、野次馬達――そして、それに混ざって、一人、見知った顔がある。


「楢崎……なんでこんなところに」

 遠くはあるが、確信をもって、彼だとわかった。

 たしかにメタル好きであった彼が、このライブを見に来ていても不思議ではない。しかし、本当にそれだけか? 偶然なのか?

 一瞬立ち尽くして逡巡している間に、その影は背を向けて足早に去っていく。人々に遮られて、その背中はすぐに見えなくなった。

 一人であれば間違いなく後を追っていたが、今は腕のなかの胡桃を助けるというのが先決だ。

 想定されうる最悪の事態が、おれの脳裏をよぎる。

 まさか、という思いと、あまりにも多いあのときとの共通項に、その可能性を否定しきれない自分がいる。むしろ、同じことになるのではないか――と焦燥感が湧き上がってくる。

「ハルキ……さん?」

 腕の中から、声が聞こえてきて、おれは視線を向けた。

「あれ? わたし――」

 ぐい、とその体に力が戻ってくるのを感じたおれは、そっと地面におろしてやる。と、すぐに立ち上がった胡桃は、

「ここは? あれ……なんか頭が……」

 と、両手で顔を押さえる。

 逃げている間に、いつのまにか銀髪は落としてしまったのだろう。今はいつもの黒髪が、汗でしっとりと水分を含んで頬に張り付いている。

「話は後にしよう。とにかく家まで帰ろうか」

 ゆっくりと、手を顔から離し、そして目を開ける。うつろな、疲れ切った目で、地面を見つめたあと、

「わかりました。帰りましょう」といった。

 事態を本当にわかっているのかどうか、その表情からそこまでは読み取れなかった。

 ただ、なにか非常事態が起こったことだけは理解したようだ。

 そして、それがおそらく『ヘヴィメタル症候群』に関するものだということも、彼女であればうっすらとは思いついたに違いない。

 帰り道、おれは何もいわなかった。

 そっとこちらに伸ばしてきた手を握ると、小刻みに震えているのがわかった。

 これで全てが終わってくれればいい。

 考えてから、それが、あまりにも希望的な観測に過ぎないことことに思い至る。

 あまりにも、あの時の状況と酷似している。

 そうであれば――。

 思わず、胡桃を振り返る。

 その憔悴した表情からは、なにも読み取れなかった。

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