第24話 2015年 ~裸の魂で感じてください…… -4

 ぽつん、ぽつん、とどこかから、水が滴っているような音が聞こえてくる。

 ぽつん、ぽつん、ぽつ、ぽつ、ぽつ――。


 水音のテンポが上がっていく。

 ぽつぽつぽつ、ぱたぱたぱたぱたトントントントトトトト――。


 細かいリズムに紛れて、どんどんどん、とバスドラムの重低音が響きはじめ、同時にバキバキとエッジの効いたベースが入ってくる。全てのリズムが混沌としてそして、止まる――。

 刹那、照明が灯され一気にステージ上が白く浮かび上がる。

 ボーカルが両手を上に突き上げた瞬間、ぶわっと一気に悲鳴のような歓声が迸る。と、その口から、人間が発したとは思えない、高音と低音、そしておそらくは認識できていない周波数の音もまじりあったようなデスボイスがはなたれてホールを埋め尽くしていく。深く重い、高尚で心地よい音色だ。


 ギターのリフに合わせてドラムとベースがリズムを刻み、曲の骨格があらわになってくる。

 赤と青が、ステージ上を舞っている。

 荘厳さのあるキーボードと、邪悪なギターの歪みが絡み合いながら天に昇り、地を這って、客席に襲いかかってくる。

 青い花、赤い花、ミドリの花――。

 ほとんど聞き取れない歌詞のなかで、呼応するファンたちの叫びも助けになり、キメのフレーズだけはわかった。

 ――ミドリの花。

 あるはずのない、色彩。

 非日常の空間。

 気持ちがいいのか悪いのか、とにかくアルコールとはまた異なる酔いが体を包みこんでいく。血が湧きたってくる。

 我知らず叫び声を上げていると、一曲目が終了した。


 ふと蒸し暑さを感じ、いつの間にか吹き出していた汗をぬぐう間もなく、二曲目が始まる。背後から押され左右から挟まれ、もみくちゃにされるが、それも音の洪水に流されるようにどうでもよくなっていく。

 一曲目よりもエッジの効いたスラッシーな曲だ。ヘッドバンキングが追いつかない。

 デスボイスにときおり混じってくるクリーンなボーカルが、意外にも甲高い澄んだ声だ。細いが安定感があり、聴いていて心地よい。

 ふと、ユグドラシルの声を思い出す。聴いた限りでは同じ系統のように感じられる。と同時に〈キング・オブ・メタル〉のボーカルの声も脳裏によみがえってくる。古い記憶だが、こちらも似てはいなかったか――。

 何がなんだかわからないうちに、二曲目も終了する。


「どうも、みなさんお久しぶりです……いや、なんだ、これは変かな?」

 ハハハ、と屈託なく笑うボーカルが、髪をかき上げる。

 曲中とはうって変わって、ただのさわやかな青年に見える。よくあることだが。

『スティール・ボックス』への謝辞、そして見に来てくれた聴衆への御礼を一通り、なめらかに済ませたそのマーブル模様の青年は、

「さてここで、皆さんにサプライズ」と切りだすと、今度は一転して真顔になり、

「我々はただただ漫然と各曲を演奏するだけでなく、それぞれのライブでのコンセプトを重要視します。その関係で通常は我々自身が作成したオリジナル曲のみを披露することにしているのです。――しかし、今回はあえて、他人の曲をカバーしたいと思います」

 おお、と客席がざわつく。


「本日はこの『スティール・ボックス』のこけら落とし……それは新しい始まりではあるけれど、過去の続きでもある……かつて、メタルの殿堂と呼ばれた『メタル・ボックス』……そこで最後に演奏され、その途上で突然のアクシデントにより中断を余儀なくされた、あの伝説のバンドの、伝説の楽曲――」


 心臓が高鳴る。

 その楽曲名が、瞬時に脳裏をよぎる。

 同時にあのときのあの場面までもが、鮮明に蘇ってくる。


「〈キング・オブ・メタル〉の『シルバーメタル』……これほど、この『スティール・ボックス』の伝説の初っ端にふさわしい曲はない……みなさん、そう思いませんか?」


 一瞬の戸惑いがあった。

 それでも、ざわり、ざわり、と次第に大きくなっていった歓声が、いつしか巨大なかたまりとなってステージに届く。


「ありがとう……しかし、繰り返しますが、我々はコンセプトを非常に重要視します。『メタル・ボックス』を引き継ぐと宣言したからには、ちゃんとした形を作らなければなりません。つまり――」

 言いながら指さす先には、キーボードがあるが、先ほどまでそこに立っていたメンバーがいない。メンバー構成も、『キング・オブ・メタル』をコピーしなければならない、とそう言いたいのだろう。

「そして、もう一人」

 今度は逆側を指さす。

 そこにはいつの間にか、人ひとりが入れるスペースが開けられている。

 ツインギターの片割れが不在だ。

 ひやり、とする。

 そんなはずはない、と頭ではわかっていたが、割り切れるものでもない。

『シルバーメタル』を演奏するのであれば、あそこはおれの席なのだ。

 いやがおうにも高まってくる緊張感を切り裂くような、

「さあ、おいで、スイートガール!」の言葉とともに、少女が現れる。銀髪をなびかせた、セーラー服の少女。その少女は、白いアイバニーズのギターを携えている。

「――く、胡桃……」

 そこに出てきたのは、榛原胡桃だった。

 銀髪はヅラなのだろう。

 いつの間にかいなくなっていたのは、この準備をするためだったのだ。何も言わなかった理由はわかりきっている。おれを、驚かすためだ。

 ショックを与えれば、またおれがメタルをやろうと言い出すとでも考えているのだろうか――。と、そこまで深読みしてしまう。


「特別出演……榛原胡桃ちゃんです。今日はゲストとして彼女にギターを弾いてもらいます」

 戸惑いの声と、ぱらぱらとした拍手が、会場から送られる。

「正直に言いましょう。彼女、技術はまだまだです。ときおり拙い部分がみなさんの耳に届くことでしょう」

 胡桃が申し訳なさそうに両手を前にそろえて頭を下げる。

「しかし、あえてそれは不問にして、彼女の魂を聞いてください。我々も、技術ではなく、魂で演奏します……皆さんも、裸の魂で感じてください……そして――」

 シン、と一瞬にしておとずれた静寂の中、

「この曲は、メタルの神に捧げます」

 古い、ノイズ混じりの音声が、どこかから流されてくる。

 激しく降りしきる、雨の音、そして、不釣り合いに響く硬質な連打音。

 雷が鳴り響き、遠くで獣の遠吠えか人の悲鳴なのか、判別不能な声がかすかに聞こえてくる。

 あのヘヴィメタル症候群が起こったことで有名な、東ヨーロッパの地で奇跡的に録音されていた、金属の雨が降っている音だ。

『シルバーメタル』のイントロを、ここまで忠実にカバーをされるとは思っていなかったが、今聞いてもゾッとする録音だ。

 雨を切り裂くようなギターのリフ、そして、怒涛のようなバスドラムの連打、ベースの刻み。

 今聞けば古めかしい曲調だ。あの当時ですら、懐古的なイメージのある曲だったのだから、なおさらだ。しかし、いい古さと悪い古さがあるのだ。この曲がどちらなのか、それは制作者側であるおれには決められない。

 胡桃のギターがかぶさってくる。

 以前から感じていたが、彼女のギターはどこか独特の音色をもっているように感じられる。たしかに、技術的にはところどころ行き届いていない部分が垣間見られる。が、それを補う別の魅力が、確かにあった。

 彼らの演奏は、記憶にある『シルバーメタル』と酷似していた。

 目を閉じる。

 セピア色の映像が、ストップコマ送りのように、次々に浮かんでは消える。

 自分にはメタルの神がついていると信じて疑わなかった、あの時代の風景だ。

 明滅するステージ上で、規則正しいバスドラムとベース音に乗って、ギターを奏でる。ときに荒々しく、ときに切なく――。

 自らの全ての感情を、リフとメロディに込めて表現できた。

そして同じ思いを共有する仲間と共に、いつまでもあの閉ざされた空間のなかで生きていこうと、何の迷いもなく決めていた、あの時代。


 メタルを、もう一度やりたい――。

 これが、純粋に湧いてきた思いだ。

 なぜ今、これほどまでに拒否しているのか、まったくわからない。あの頃と同じようにできないことを、恐れているのだろうか。それが枷になっているのだろうか。

いつの間にか、ギターソロが始まっていた。

 どれだけの時間が経過したのか、曖昧になっていた。

 そして、胡桃のギターが、その上昇フレーズの果てに激しいチョーキングを奏でた瞬間、『それ』は起こった。

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