第15話 2001年 ~モラトリアムと呼ぶなら…… -1

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 わたしが音楽に目覚めたのは、中学時代だった。

 イギリスのメタルバンドであるアイアンメイデンにあこがれてギターを触りはじめ、高校時代にはじめてバンドをすることになった。

 そのときはメンバー全員が女子高生のガールズバンドで洋楽の軽いポップスをやっていた。とうぜん、ヘヴィメタルが好きだなどと口にできるはずもなかった。

 ちょうど中学生のときに、世界的にヘヴィメタルが禁止されてしまったことも影響が大きかった。


 高校時代のバンドはそれなりには楽しかったのだけれど、やはり心からのめりこめるものではなかった。ほかのメンバーはみな、卒業してからも地元の女子大に行き、またバンドを続けていたようだった。わたしだけがあえて都会の総合大学、小阪大学を受験し、そして一人暮らしをはじめたのだった。


 大学初日の授業を終えたあと、わたしはまっすぐに軽音楽部の部室へ訪問した。総合大学に入ったのはひとえに、規模が大きいほうがいろいろな趣味の人間が見つかりやすいだろうと思ったからだった。


 そしてその考えは、正しかった。

 小阪大学の軽音楽部ではじめて話をしたのが、市川正一という同期のベーシストだった。彼も当初はヘヴィメタル愛好家であることを隠していたけれど、大学の軽音楽部の部室では、平然とその話題が出てくることもあり、驚いたものだった。


 また、市販されていないような雑誌が床に散乱しており、その中ではアンダーグラウンドで活躍するメタルバンドが小さくではあったが、毎号欠かさず紹介されていた。そんな環境のなかで、わたしと市川は、お互いにメタルファンであることをさらりと打ちあけることができ、そして自然の流れでバンドを組むことになった。


 市川正一が、本当にメタルが好きだということは、同じメタル愛好家ならではの空気感とでも形容すべき雰囲気で、感じられていた。わたし自身についていえば、メタルは好きであるというより、崇拝の対象であった。ヘヴィメタルがこの世で唯一無二の価値をもつものだと信じていた。


 バンドに最低限必要な人材は、あと、ボーカリストと、ドラマー――それも、ツインペダルを扱えるドラマーだった。

 軽音楽部の先輩にはそのような人材は何人もいた。しかし、残念ながらすでに固定バンドを組んでしまっており、ときどき浮気をするような形で一緒にバンドをやってくれたりはしたのだけれど、すぐに本命のバンドへ戻ってしまう。

 そんなこんなで正バンドを組めないまま大学一年の夏になり、軽音楽部の合宿に行くことになった。合宿では、いくつかのセッションバンドが立ち上がり、わたしも市川もそれぞれが別々のバンド――もちろん、メタルではなかったが――に入り、それなりに楽しんだ。


 合宿二日目の夜、OB、OGが合宿所に訪れるイベントがあった。

 そこで始めて出会ったのが、楢崎徹であった。そのときすでに三十才を過ぎていた楢崎は、小阪大学の研究室に教官として在籍しているようであった。偶然ではあったけれどわたしと、そして市川とも同じ学部、学科で将来的には同じ研究室に所属する可能性があるとのことだった。


「へヴィメタルが禁止されたのは、あの事件がきっかけではあるけど、あくまでももっと政治的な、というか、無理解な大衆に迎合した政策だと、私は信じているけどね」


 夜中の一時を回り、合宿所の大広間は少しずつ人が減り始めていた。

 そんな中、わたしと市川は、メタル好きの先輩らと共に、楢崎も交えてメタル談義で盛り上がっていた。

 不思議なことにそのグループからは、誰も席を立とうとはしなかった。酔いの高揚感と次から次に押し寄せてくるメタル界の情報の海にどっぷりとつかったわたしは、時間を忘れてその心地よさに浸っていた。

 ビールをあおり、焼酎をストレートで飲み下す。ああ、みなメタルが好きなんだ、と心から感じられるこの空間で、わたしは始めて本当の仲間を得た気がした。

 思い返せば、高校時代のバンドでは、いつも自分を取り繕っていた。いいたいことがいえず、ただ皆に合わせて愛想笑いをしていただけだったのだ。


「要するに、アレでしょ。メタルは教育によくない、というワケのわからない主張をしているPTAの声をまともに聞いてしまったってことでしょ?」

 先輩の一人が、呂律の怪しくなってきた口調で話をかぶせてくる。


「かつての東欧の『金属の雨』で起こった事件と、あのライブでの事件を重ね合わせて、無理やり共通項を見つけ出したら、金属の雨が地面をたたきつける音、と、メタルのリズム音、になったってことだけど、あまりにも無理やりですよね。それだったら、いったいどのぐらいの音程とテンポまでだったら大丈夫なの? とか、じゃあ何で毎日無数に行われているライブがあるなかで、あのたった一件しか起こっていないの? メタル以外の音楽は大丈夫なの? ――とか、そういう疑問はすべてうやむやのまま、ただ政策だけが一人歩きしてる」


 一気にまくし立てる先輩に、わたしは何度も頷きを返し、市川や周りの先輩たちも話に同調する。ちら、と横目で確認すると、楢崎も、そうだね、と相槌をうっていた。


『あの事件』とは、一九九五年の六月六日、スウェーデン、イエテボリの、あるライブハウスでの、事件のことだ。そのときにステージに立っていたのが、『カオス』という八〇年代後半に結成された地元のデスメタルバンドで、ちょうどマニアの間で急激な人気を獲得しはじめていた、その矢先の事件だった。


「まあ『カオス』は本当の意味でヤバい部分も持っていたバンドですからね」

 と、市川が口をはさむ。

「パフォーマンスではなく、本気で悪魔崇拝していたふしもありますし……。で、彼らのファンも同じような精神性を持った人たちが多かったことは容易に想像できますね」

「世間一般の倫理観とは別の次元で生きている人たちが多かった」

 と、先輩の一人が話をつなげる。

「その結果、『カオス』があおったのかどうかは定かではないけれど、その場で観客数百人のうち、その……ヤリはじめた人達もいたらしい。……っと、ゴメンね。こんな話題で」

 先輩はわたしの方に向かっていう。最初は何を謝られているのかがわからなかったけれど、若い女性の前で、と付け加えていわれて初めて気づいた。

 それまでまったく意識していなかったけれど、その場に女性は一人だけで、あとは全員同期か年上の男たちだった。自分としてはまったくそんな意識がなかったけれど、ひょっとすると周りの人たちにはそれとなく気を使われていたのかもしれない。そう考えると、一抹の寂しさを感じる。

 別に引いているわけではない、ということを示すべく、わたしは話に加わっていう。


「いずれにしても、ライブの高揚感で、観客も興奮して誰かがそういうことをやり始めたら回りも徐々に同調していった、というだけのような気がしますけどね」

「ああ、かもしれないね」

 と頷いた先輩がぐい、とビールをあおり、それにつられるように、各々、自分のグラスに口をつけ始めた。


「音楽てんかん、の一種とも考えられるけどね」

 ぽつり、と楢崎がいった。

 わたしは彼のほうに首をかしげると、楢崎もちらとだけこちらに視線を向けて、

「特定のリズムやメロディ、もしくは、特定の楽器の音を聞くことで痙攣を起こしたり、白目をむいて倒れてしまったり、といった症状も無いことはないんだ。ただ、まあごく限られた症例だけどね」


「音楽てんかん、ですか……」

「それに、ある種の精神疾患を癒すために音楽が利用されることもあるしね。現実に音楽療法という学問領域もあるし、音楽療法士という資格もある。人間の脳に対して、音楽が何らかの作用を及ぼす、ということは確かなんだと思う。まあそれがどれだけ効果があるのかどうかはまだまだ未知数ではあるけれど、でも、音楽が心を癒すというのは、なんとなく理解できると思うけどね」

「だとすると当然、逆に音楽が人の精神を蝕む、ということも考えられるということですよね?」

 市川の言葉に、楢崎がにやり、と唇の端だけを吊り上げる笑い方で、

「そうだね。おそらくメタルを禁止するという動きは、『なんとなく精神衛生上悪そう』という漠然とした大衆の思いによるところが大きいだろうね。だけど、何もないのに規制してしまうと、文化の自由の観点からすると許されない。だから、あのイエテボリの事件はていのいい理由付けになってしまったんだろう」


 そうなのかもしれない。

 わたしは鈍くなっていく思考回路をなんとか働かせながら、話の内容を噛み砕いて自分のなかにストックしていく。金属の雨、へヴィメタル症候群、音楽てんかん、イエテボリの事件、カオス――と、各用語をつなぎ合わせていくと、どんどんと泥の沼に沈みこんでいくような錯覚に陥ったわたしは、頭を上げた。


 いつの間にか、大広場ではその場で横たわって寝息を立てる何人かの部員はいたが、起きているのはわたしたちだけになっていた。その中でも、先輩の一人はすでに横になっていた。市川も重いまぶたを必死で開こうとする仕草をしている。

「そろそろ、お開きにしましょうか」

 最年長にしてなぜか一番涼しげな表情の楢崎が、周囲を見回しながらいった。

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