第34話破滅の予感

「ふむふむ。なるほど、概ね予想通りと言えましょうか。よくやりました、『影』」


 人類が未だ到達できていない大穴の底、どこまでも広がる深淵の中で、隻腕の悪魔が上機嫌に話していた。その正体は、国一つ滅ぼしかねないと言い伝えられる破滅級の『魔の者共』、かつて桜ヶ丘真央を殺した喜悦の悪魔だ。

 その対面に立つのは、信じがたいことにであるようだった。


「お褒めにあずかり光栄です」


 茶髪にお下げの女子高生は、淵上高校の制服を着ていた。人類の仇敵、『魔の者共』その中でも最強のものと相対しているにも関わらず、その顔に動揺の色はない。


「それでは計画の第二段階に移行します。次はこの生徒に化けてください」


 悪魔は手元の水晶玉を掲げる。その中には、淵上高校の様子が映し出されていた。一人の生徒が映し出されている。


「こちらの金髪の生徒ですか? かしこまりました」


 言うと、女生徒の姿は一瞬で黒い影のような何かと化した。のっぺらぼうの顔。不定形の人型。あまりも不気味な姿は、まさしく『魔の者共』と呼ぶに相応しいものだった。

 しかしすぐさま、その不気味な様は姿を変える。その姿は、一瞬でエルナ・フィッセルの姿に変わった。一見すると、本人との違いが全く分からない。


「本人の特徴は捉えられましたか?」

「は、部分的には分かりました。しかし、なにぶん短時間の接触だったゆえ、完全に模倣できるとが言い難いでしょう。申し訳ございません」

「良いです。姿を模倣できるだけで人間は簡単に信じるでしょう。なにせ、こちらに来て日の浅い転校生です。違和感を覚える人間も少ないでしょう」

「さすがの慧眼かと。やはりあなた様には、我々にはない視点があるようです」


 自在に姿を変える化け物──ドッペルゲンガーは、恭しく答えた。


「そもそも私は、人の心を惑わす存在として認識されていましたからね。そのようにできているのです」


 なんでもないような物言いには、確固たる自信と傲慢さが透けて見えた。


「それでは、攪乱を開始いたしましょう。伏線は既に張りました。今回の作戦における目標は、人間同士の不和を引き出すことです」


 悪魔が笑う。その恐ろしくて冷たい笑みは、まさしく邪悪な悪魔に相応しいものだった。



 ◇



「ユウカ、今日も一緒に昼を食べてもいいか?」

「え、エルナさん、また来たんですか?」

「そうだが……もしかして、迷惑だっただろうか」


 しゅん、とした顔を見せるエルナ。その様子に、優香ちゃんは慌てたような様子を見せた。


「い、いえいえ! 迷惑なんてことないですよ! 燐火先輩も、エルナさんが一緒でもいいですよね?」

「まあ、優香ちゃんがいいなら構わないよ」

「よかった……」


 最近、というかあの決闘の日以降、俺と優香ちゃんはちょくちょく一緒に昼食を取るようになっていた。彼女の中で何か心境の変化があったのだろうか。

 そして、それについてくるようにして、エルナもよく近づいてくるようになった。

 しかし、別に俺とエルナが仲良くなった、というわけでもない。エルナが懐いているのは、優香ちゃんに対してだ。


「ユウカの弁当はいつでも美味しそうだな」 

「あっはは。いつも早起きして作ってますから。やっぱり、お昼ご飯は自分の好きなものを食べたいので」


 そうは言いつつ、彼女の弁当は色とりどりで栄養バランスが良さそうだ。美味しそうなご飯や肉と一緒に、野菜が添えられている。


「そう言うエルナさんの昼食も、おいしそうですよ。良かったら一口もらえませんか?」

「お弁当をシェアするだと……そんなおいしいシチュエーション……ゴホン、いいだろう。ユウカには私のとっておきのサンドイッチをやろう」


 エルナは、黒色のサンドイッチを優香ちゃんに差し出した。そこそこ大きなそれを、エルナは三つほど持ってきているようだ。彼女の今日の昼食はサンドイッチのみのようだった。


「ま、まるまる一個くれるんですか?」

「なに? なにかマナー違反があっただろうか? お弁当のシェアとはどうするのだ?」


 エルナが首をかしげる。その顔は、少し不安げだ。


「い、いえいえ、別にマナーがどうとか言う話ではないですよ。ただ、エルナさんのご飯が足りなくならないか不安で。あ、良かったら私のおかずあげますね」


 優香ちゃんは、自分の弁当を目に落とす。


「優香ちゃん、エルナは箸もフォークも持っていない。どうやって渡すつもり?」

「あ、そうでしたね……」


 サンドイッチしか持ってきていない彼女は食器を持ち合わせていない。

 ……あいつ、まさか優香ちゃんのアーンを狙ってやったのだろうか? 許さんぞ! 俺の目の前で優香ちゃんとイチャイチャするのは絶対に許さん! 


「エルナには私の惣菜パンを上げよう。感謝するといい」


 ぞんざいに焼きそばパンを投げ捨てる。今日の朝、購買で買って来たものだ。これで優香ちゃんのアーンは阻止できるだろう。


「……なんだこれは」


 エルナが俺の投げ捨てたパンをじっと見つめる。


「焼きそばパン」

「なぜパンの間に麺が挟まっている」

「美味しいから」

「……?」 


 エルナはしばらく固まっていたが、やがてパンの包装を開けるとおずおずと食べ始めた。


「あ、じゃあ燐火先輩に私のおかずあげますね」


 ククク、計画通り! これで優香ちゃんのアーンは私のものだ。

 優香ちゃんの箸が、ミニトマトを摘まむ。下に手を添え、俺の口に持ってくる。

 体が少し熱い。動揺を隠しながら、俺はそれを大きく口を開けて迎え入れた。

 ……美味しい。ミニトマトってこんなに美味しかったっけ。やっぱり好きな人に食べさせてもらったものって特別なのだろうか。


「燐火先輩……なんだか嬉しそうですね」


 そういう優香ちゃんも、どこか嬉しそうだ。どちらともなく、視線を交錯させる。彼女の頬が赤くなっている。

 心地の良い沈黙。しかし、そんなところに空気の読めない声が響いた。


「リンカ、このパン麺がボロボロ落ちてくるのだが、どうすればいいのだ」

「……下手くそ」

「なんだと!?」


 食べるのも、空気を読むのも、下手くそだ。





「そういえば、エルナさんはどうして日本に来ることになったんですか?」


 全員の食事が終わり、エルナのこぼした焼きそばを片づけた頃、優香ちゃんがそんな話を聞きだした。


「それは……私がドイツを追い出されたからで……うっ……」

「わああ、違います違います! どうして日本だったのか聞きたかっただけなんです! どうしましょう燐火先輩、エルナさん結構扱いづらい人みたいです!」

「まあ、性癖拗らせた人間なんて扱いづらいものだと思うよ?」


 多分俺も、大概めんどくさい性格をしている。


「エルナさんみたいに強い人なら他にも行先はあるはずですよね? 燐火先輩だっているし、東京は別に逼迫した状況にあるわけじゃないと思うんですけど」


 性格を考えるとちょっと難しいところだけどね……。そんなことを思いながら、俺は口を開いた。


「ああ、それは私の上げた報告が関係あるね」

「燐火先輩の報告ですか?」

「うん。まず最初に、ちょっと前に上級種の『魔の者共』を見た」

「ああ、燐火先輩がボロボロになりながら勝った奴ですね」


 以前見た、キメラのことだ。戦乙女10人分の力を持つと言われ、まだ世界でも数十体しか確認されていない。


「上級種か……私もドイツにいた頃に一度だけ戦ったが、強かったな。私一人では倒せなかったかもしれない」


 エルナが過去を思い返すように視線を漂わせる。プライドの高そうな彼女が素直に認めている。どの国においても、上級種は危険な相手のようだ。


「上級種の出現は、破滅級の出現の前兆の可能性がある。実際のところ、過去に出現した破滅級は、三度ともその直前に上級種が出現している」


 そのため、上級種の出現は報告することが義務づけられている。破滅級の出現に備えて、戦力を増強する必要があるからだ。


「なるほど、それでエルナさんがこちらに来たんですね」

「そうだと思う。それに、この前のゾンビの群れの動きにも違和感があった。本能的に動くいつもの『魔の者共』とは違う。戦略性、策略のようなものを感じた」

「……言われてみれば、そうだったかもしれません」

「知性のある『魔の者共』。それはかつて東京の大穴に現れた破滅級、知性を持ち、言葉を話し、人を弄ぶ。『喜悦の悪魔』を思い出される」


 無意識に、噛み締めた俺の歯がギリギリと音を立てた。

 その名前を出すと、思い出す。何もできなかった自分。圧倒的な戦力差。

 胸を貫かれた、真央先輩。


「燐火先輩……?」

「ああ、ごめん。とにかく、かつて確認された破滅級、『喜悦の悪魔』の出現の可能性を、私が報告した。だからエルナが派遣された可能性が高い」

「なるほど……」


 真央先輩を殺した化け物と決着をつけられるかもしれない。そう思うだけで、俺の心の中には暗い喜びのようなものが湧き上がって来た。

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