第33話蛇とカエル

「立てるか?」


 俺の最後の一撃を食らった後、エルナはピクリとも動かず地べたに横たわっていた。

 ……あれ、もしかしてやりすぎたか? 結構思いっきり殴っちゃったけど、大丈夫かな。


「おい、立てるか?」


 肩を叩く。すると、エルナはびくりと体を震わせた。おずおずと顔をあげた彼女に手を差しのべる。

 掴んだ手は、思ったよりも小さかった。


「……」

「……」


 エルナの手を引き、彼女を立たせる。しかしお互いに無言のままだ。

 ……なんか喋ってくれ。こういう時どういう言葉をかければいいのか分からないんだから。

 エルナの表情は、先ほどまでの好戦的な表情とは打って変わってひどく大人しいものだった。それが、俺のリズムを崩していた。


「燐火先輩、お疲れ様です。傷、治しますね」


 いつの間にか優香ちゃんがすぐそばまで寄ってきていた。詠唱と共に、俺の体を眩い光が包み、気持ち良い痛みを訴えてきていた傷が治っていく。

 そのまますぐにエルナのことも治すのかな、と思ったが、しかし優香ちゃんは真剣な表情でエルナに語りかけた。


「もう燐火先輩を、皆を、傷つけようとしませんか?」


 コクン、と頷くエルナの様子を見ると、優香ちゃんは再び詠唱を始めた。

 エルナの傷が治っていく。肉体が再生していく様子に、彼女は目を見開いた。


「これでお話できますね? じゃあまずは、燐火先輩に謝ってください」

「……どうやって?」


 幼子のような言葉だったが、優香はそれに真摯に答えた。


「自分の行いで悪かったと思ったことをはっきり口に出して、謝ればいいんです」

「……でも、私はいっぱい傷つけた」

「だからこそ、です」


 優香ちゃんは毅然と言い放つと、エルナの瞳を真っ直ぐに見据えた。少しだけ黙ったエルナは、やがて俺に向き直った。


「私の勝手な欲望でお前を傷つけてすまなかった」

「……別に、私が負けかけただけだから気にしてない」


 優香ちゃんを傷つけたことにはそれなりに怒っているが、俺自身については割とどうでもいい。

 というよりも、むしろ感謝を述べたいくらいだ。あんなに激しくて気持ちの良い責めは初めてだった。できることなら、あと一時間くらいは続けて欲しいくらいだった。


 とはいえ今更ドMを告白するのはとても恥ずかしいので、別の言葉を口にした。


「私としては、むしろ優香ちゃんと小野寺さんに謝ってほしい」


 俺に会わせろ、と言ってエルナが二人に暴力を振るったことを俺は忘れていない。


「……相変わらず燐火先輩は他の人のことばっかりですね」


 優香ちゃんは呆れたようにそう言っていた。

 けれど、どちらに価値があるかを考えれば、それも自然なことだろう。

 エルナは俺の言葉に静かに頷くと、口を開いた。


「光井優香。すまなかった。お前の友人にも、後ほど謝罪しよう」

「はい」


 小さく頷いた優香ちゃんに、エルナは、安堵したように胸を撫でおろした。


「なんだか、戦う前とだいぶ印象が違うね。ええと、フェッセルさん」

「エルナで構わない」


 なんだか調子が狂うな。さっきまではもっと敵愾心に溢れていて、嚙みついてきそうなくらいだった気がするんだが。

 少し俯いたままで、エルナはぼそぼそと話し始めた。


「ただ、己の無力を悟っただけだ。私は本国では敵なしだったが、他の国へ行けばもっと凄い奴がいたんだって分かった」

「……いや、でもさっきのは出来過ぎだったくらいだぞ。私がお前に負けかけていたのは本当だったし」


 正直なところ、エルナの力は普段の俺の実力を越えていると思った。もう一度戦えば、どちらが勝つか分からないくらいだ。


「そういえば、いくら燐火先輩と言えどあんなに素早く動いているところは初めて見ましたね。……なにかまだ力を隠していたんですか?」

「いや、というよりも……」


 あの時のことを思い出す。優香ちゃんの声。体に漲った力。


「強いて言えば、想いの力というか……」

「おもい?」


 きょとんとした顔の優香ちゃんを見ていると、なんだか言おうとしていたことがとても恥ずかしい事に思えてきて、口を閉ざす。


 優香ちゃんに──大好きな人に声をかけてもらえただけで強くなれる、なんて本人を前にして口するのは躊躇われた。


 先ほどの言葉を誤魔化すように、俺はエルナの方に向き直った。


「んんっ……とにかく、さっきのはたまたまだから、そんなに意気消沈しないでくれ。私相手に勝つことにこだわるんじゃなくて、『魔の者共』と戦う時に力を発揮してくれ」

「……」


 とってつけたように言うが、エルナは黙ったままだ。


「そんなに最強の看板が必要だったのか?」


 戦いのさなかの言動から察するに、エルナは戦乙女最強の称号を欲しがっているようだった。


「力なきものに権利などない。それが、私がこれまでの人生で得た教訓だ。力さえあれば、自由が許される。好きに戦える。……見下されない。だから私は、最強の戦乙女になる必要があった」


 しみじみと、噛み締めるように彼女は言葉を紡いだ。

 察するに、エルナにとっては見下されないことは何よりも優先度の高いことらしかった。被虐趣味者の俺にとっては、あまり理解できない思想だ。


 エルナの言葉を聞いた優香ちゃんは、硬い表情で彼女に語り掛けた。


「──強いことは、傷つけていいことにはならないと思います。少なくとも燐火先輩は、そんなことしようとしませんでした」


 優香ちゃんの瞳は真剣で、本気でそう思っていることがひしひしと伝わって来た。エルナもその言葉に何か感じるものがあったのか、大きく目を見開く。何か重要な事実を悟ったような、そんな衝撃が感じ取れる表情だった。


 そして俺は。

 その言葉はとても嬉しいが……

 俺、人の心が傷ついて顔が曇ることを悦ぶ変態野郎なんだよな……。

 いやあ、いたたまれない。二人の真剣な顔を見るのがつらい。

 優香ちゃんの信頼が痛い。ごめんね、こんな奴で……。

 尊敬の念が重い。ごめんね、こんなお姉様で……。


 俺が非常に居心地の悪い思いをしているうちに、二人の会話は進んでいた。


「それにしても、エルナさんは燐火先輩に随分執着しているように見えました。もしかして、誰かに何か言われたんですか?」


 優香ちゃんの鋭い視線に、エルナは少しだけ考えるように黙ると、やがて口を開いた。


「茶髪にお下げの生徒に……言われたんだ」

「え?」

「天塚燐火は皆の思っているような良い人じゃない。不利になれば戦乙女を見捨てるクズで、皆を見下してるって。実際、昔の義姉が彼女のせいで亡くなっていると言っていた」

「ッ」


 思わぬ言葉を言われて、息が詰まった。そんな俺を、優香ちゃんは心配そうな顔で見つめてくれていた。


「でも、今話している感じお前はそういう人間じゃない気がする」

「燐火先輩をそんな風に言う人なんて淵上高校にはほとんどいないと思うんですけど……茶髪の生徒、ですか。燐火先輩に心当たりはありますか?」

「恨みを買ったことがない、と言えば嘘になる。でも、茶髪にお下げの生徒に覚えはないかな」


 俺を恨んでいる生徒と言えば、真央先輩と仲の良かった子とかだろうか。しかしそういう生徒のなかに茶髪の生徒なんていただろうか。


「別に、彼女の言葉に責任転嫁する気はない。私がお前たちを傷つけたのは、紛れもなく私の意思だ」


 そこで少し黙ったエルナは、やがて吐き捨てるように言った。


「……お前が妬ましかったんだ」


 彼女が何を言いたいのか分からなかった俺は、少し首をかしげる。それに対して、エルナは少し目を伏せた。


「私は、ドイツで確かに強さを認められていた。でも、人望なんてなかった。当然だな。話せば人を傷つけ、味方を顧みず、迷惑をかけた。──でも、私も皆に認めて欲しかった」


 最後の言葉は、まるで母親に褒めて欲しい幼子のようだった。


「だから、全部持っているお前が妬ましかった。強さも、名声も、人望も、全部持ってるお前が憎かった。……思えば、茶髪の生徒の言葉なんて、単に私の背を押したに過ぎないのかもしれないな」

「私は、お前が思うようななんでも持っている人間じゃないよ」


 どれだけ外面を取り繕うのが上手くなったところで、結局のところ俺は俺だ。内面はどこまでも醜くて、皆を騙しているだけだ。


「そうか? 少なくとも、周りはそう思っているみたいだぞ」

「……お前がそう思うなら、そういうことにしてもいい」


 俺の評価について、他人と言い争う気はない。実情を知らない誰かと言い合うのは時間の無駄だ。


 とりあえず、エルナが戦いの場で役に立ってくれるのなら、それでいい。


「とにかく、これから肩を並べて戦うんだからよろしく頼むよ」


 和解の意味も籠めて手を差し出すと、エルナはそれを嫌そうな顔をしながらも握ってくれた。





「お疲れ様でした、燐火先輩。今日は大変でしたね」

「ありがとう。まあでも、『魔の者共』と戦うよりは全然マシだよ」


 何が違うかと言えば、他の子の命がかかっているか否かだ。決闘の場において、エルナが傷つけようとしているのは俺のみ。後ろに守るもののない戦いは、気が楽だ。


「それにしても、燐火先輩は決闘中どこか嬉しそうでしたね」

「……え、本当に?」


 優香ちゃんの顔は、どこか不満げだった。

 しかし、優香ちゃんから見ても俺の嬉しそうな様子がばれていたとなると、少しマズい。もう少し抑えるべきだっただろうか。

 俺の本性は、できれば皆には知られたくない。その方が尊敬を集められるからだ。俺の性癖的に好都合である。


 思考する俺を、優香ちゃんはじっと観察していた。いつもと雰囲気が違う。どこか冷たさを感じらせる瞳は、優しい彼女には不似合いに見えた。


「……優香ちゃん?」

「ひとつ、聞きたいのですが」


 彼女が俺に問いを投げかける。無機質な声質に、俺は違和感を覚えた。平静を装って返事する。


「うん、何かな?」

「──お姉様は、傷つけてくれるなら誰でもいいんですか?」


 言葉に、詰まる。それを見た優香ちゃんは、静かに俺に近づいて来た。それは、蛇が獲物に音もなく近寄る様子に似ていた。

 優香ちゃんの細い指が、俺の顎を静かに掴む。ひんやりとした感覚が伝わってくる。


「そんな、ことは……」


 俺の反論は、唇にそっと触れた指に阻まれた。


「うそ、ですよね。だって先輩は、エルナさんに傷つけられて喜んでいたじゃないですか」

「……」


 優香ちゃんの冷たい瞳は、俺の目をじっと見据えたままだった。その視線は、俺の醜い内面全てを見抜いているようですらあった。


「あんまり節操ないと、無理やりにでも私のものにしちゃいたくなっちゃいますからね」


 優香ちゃんの言葉に喉が鳴る。冷たい目線で俺を欲しがる彼女の様子は、俺にとってあまりにも魅力的に過ぎた。


 しかし、優香ちゃんはそれ以上何も言うことなく俺に背中を向けてその場を去った。

 まるで、俺が一番欲しいものを分かった上であえて与えていないようだ。俺は、無理やりでも君のものになりたいというのに。



 異様な雰囲気を纏った優香ちゃんが去ってからも、バクバクと音を立てる心臓がひどくうるさかった。いつの間にか背中が汗でびっしょりだ。


 彼女に取り残された俺は、周囲に誰もいないことを確認すると、思いっきり叫んだ。


「わあああ、なんだアレ、すごくいい! 優香ちゃんに無理やりモノにされたい!!」


 まったく、君はどれだけ俺を魅了すれば気が済むのだろうか。

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