第27話策略の兆し

「優香ちゃん、今日の敵は数が多い。一緒に行動しよう」

「はい。そういう先輩も、出すぎないでくださいよ?」

「状況によるね」


 正直、気持ち良くなれそうだったら自分を抑えられる自信がない。


 今日の大穴からの侵攻は、夜だった。

 夜闇に乗じて現れたのは、ゾンビの大群だった。夜闇に浮かぶ歩く死体の姿は、言いようのない恐怖をそそる。


 いつになくホラーチックな光景に、背後に控える戦乙女たちにも怯えの感情が感じ取れる。


「ああいうのは映画だけで十分だと思わない?」

「はい。腐臭がここまで漂ってきています。臭いですね……」


 優香ちゃんは少し顔を顰めて鼻を抑えた。

 ……なんだろう、その表情いいな。

 うおおお! 俺も優香ちゃんに臭いって言われたい! 顔を顰めながら嫌悪丸出しにしてほしいぞ! 


 ワクワクする心が顔に出ないように努力しながら、俺は言葉を紡ぐ。


「優香ちゃん。私はどんな匂い?」

「え? そうですねえ……冷たいようで優しい匂いがします。夜空から私たちを見守ってくれる三日月みたいです」

「……そ、そっか」


 意外と好意的な反応が返ってきて普通に照れてしまった。少しだけ顔を逸らす。


「星みたい、と言われることはあるけど、月に例えられたのは初めてだな」

「そうですか? 先輩の良く言われる一等星、っていう比喩は、独りで生きていけそう、みたいな意味も籠められていそうですね」


 夜空に煌々と輝く一等星。月とは違い自ら光を発する恒星であるそれは、陽光がなくてもキラキラと輝く。


「でも、月っていうのは私も自分に似合うと思っている。月は、太陽の輝きがないとすぐに夜闇に紛れてしまうから」


 空を見上げる。今日の夜空には月は出ていなかった。きっと、太陽の光が地球に遮られているのだろう。


「私には、太陽が必要だよ」



 夜闇に紛れてゾンビが歩く。ズルズル、と足を引きずっている彼らは、極めて醜い恰好だった。ボロボロの衣服。腐った皮。目玉すらゴロリと落ちてしまいそうな腐食具合だ。


「まるでパニック映画のワンシーンだね」

「はい。いつもの『魔の者共』も怖いですが、今日は特に怖いです。……皆、大丈夫かな」


 戦乙女は、数年前までただの女の子だった普通の少女たちだ。痛いのは嫌だし、怖いのは嫌だし、死ぬのはもっと嫌だろう。


 だから、俺みたいな異端者がやらなければ。


「優香ちゃん、今日は固まって動こう。それから、今日は優香ちゃんの攻撃魔法も有効だと思うから、その準備もしておいてね」

「そうなんですか?」

「アンデッドには聖女の魔法が効く。ファンタジーのお約束でしょ?」


 少し冗談めかして言ってから、俺は『魔の者共』を迎え撃つべく走り出した。



「はああああ!」


 ゾンビの大群に斬り込んだ俺を迎えたのは、無数の腕だった。光に集る羽虫の如く迫って来たそれを、俺は片っ端から斬り捨てた。


「ウウウ……」


 右腕を失った女。左手の取れた男。右足を無くした少女。しかしそれら動く屍はまるで痛みを感じていないように俺へと迫ってくる。


「……困ったな。攻撃を食らえば押し倒されて一巻の終わりだ」


 別に死ぬのはいいが、できれば優香ちゃんの顔が良く見えるように死にたい。優しい優香ちゃんは、きっと俺の死を悲しんでくれるだろう。ああ、考えていただけで興奮してきたなあ。


 気合を入れて、加速する。切り口はより鋭く。足さばきが洗練され、敵の動きが止まって見える。

 ひとつ、ふたつ、と深く斬ってやると、動かなくなる個体が現れる。生命力に優れるゾンビたちだが、無敵というわけではないようだ。


「『ホーリーレイ』!」


 優香ちゃんの凛とした声が後ろからすると、光線が夜闇を切り裂いた。直撃したゾンビは、死体を残すことすらなく、その場から消え去った。


「ほ、本当に効いた……!」


 魔法を放った優香ちゃんは自分で驚くような声をあげると、続けて詠唱を始めた。

 今夜の優香ちゃんは、積極的に攻撃に出るのが良さそうだ。


「さて、妹が頑張ってるんだから、私はもっと頑張らないとなあ」


「ウウウ……!」


 緩慢な動きだったゾンビたちが、突如として動きを変えた。フラフラと宙を彷徨っていた視線が俺に突き刺さる。ただ本能のままに人間を襲っていた先ほどまでとは違う。


「……なにかいつもと違うな」


 強いて言えば、意思を感じる。本能のままに襲ってくる『魔の者共』からは絶対に感じない何か。


「ウウウウウ!」


 ゾンビが、走った。先ほどまでの緩慢な動きからは一転、不気味な走行姿勢の奴らは俺に向かって走ってくる。


「それもパニック映画の定番だよな……映画の危機感を煽る演出だ。──でも、変態とシリアスは相性悪いんだよなあ!」


 走る化け物たちに、向かって行く。早速、ゾンビの手が俺の腕を掴んだ。途端、二の腕におぞましい感覚が走った。まるで、皮膚が溶けているような感覚。


「は、ははは! ドエムに死角なし! そういうのも受け付けてるぞ!」


 しかし、俺にとってそれは手を止める理由にはならない。

 自らの腕を引きよせると、ゾンビの体がよろめき俺に倒れ込んでくる。途端に強くなる腐臭。しかし俺は、空いている手で小太刀を振るうと、腐り切った体を斬り捨てた。


 動きを止めた死体を乱暴に蹴り飛ばして、次に備える。


「ウウウゥ……」


 ゾンビの群れは途切れることなく俺を襲っていた。


「まだまだ! 後ろに好きな人を背負う乙女の力を思い知れ!」


 嚙みついてきたゾンビの顎を、あえて肩を突き出して受け止める。


「がっ……」


 これが映画のワンシーンであれば、きっと俺は今頃歩く屍の仲間入りだっただろう。


 しかし、これは現実。奴らはただ、人類を滅ぼさんとする敵。ただのモンスターだ。


「フンッ!」


 俺の肩に嚙みついて離れないゾンビの腹部に、小太刀を突き刺す。

 苦し気なうめき声を上げながら崩れ落ちるのを一瞥すると、俺は前を向いた。



「ウウウウウ!」


 意味のない言葉をあげるゾンビたち。俺は疾走するそれらの間を縫うように走ると、素早く斬りつけていった。


「フッ……フッ……! 手ごたえがないな!」


 斬りつけるたびにうめき声をあげ倒れていくゾンビたち。

 最初に相対した時には嫌な予感がしたものだが、実際戦ってみると大したことはない。


 正面から駆け寄って来た男の喉仏を切り裂く。背後から迫って来た子どものゾンビは、一突きで吹き飛ばす。攻撃の隙をつこうと低い体勢で突っ込んできた男は、腹を蹴り上げてから落ちてきた体を串刺しにする。


 快調だ。優香ちゃんも魔法を放ち確実に敵の数を減らしている。俺たちの少し後ろで戦っている他の戦乙女たちも落ち着いて対処している。


 しかし、俺はふと手を止めることになる。まるで、自らの心臓が止まってしまったような衝撃を受けたからだ。


「真央、先輩……?」


 ゾンビの一体に目が留まる。淵上高校の制服、明るそうな顔立ち。胸に空いた大穴。

 体が腐ってもなお、面影のある好きな人。


「ッ!」


 手が止まる。息が詰まる。


 動きを止めた俺に、ゾンビたちが殺到した。


「がっ……」


 地面に押し倒されると、這いつくばった俺に覆いかぶさるようにしてゾンビが襲い掛かってくる。

 腐臭と共に訪れる痛み。普段なら、その状況に快楽すら覚えていたことだろう。

 しかし、今の俺は真央先輩によく似た死体に気を取られて、それどころではなかった。


「燐火先輩!? 燐火先輩!」


 優香ちゃんの声が聞こえる。しかし俺の心は、真央先輩に似た死体に取り憑かれていた。


「真央先輩……私を、恨んでいるんですか?」


 そんなはずはない。真央先輩は、死の間際まで俺のことを気遣ってくれる優しい人だった

 胸中ではそう思いながらも、もしかしたら、という想いが離れない。


「真央先輩、あなたが私を殺してくれるのですか?」


 ゾンビの群れから、真っ白な腕が突き出してきて、俺の首を掴む。懐かしい感覚に、俺はそれが真央先輩の腕であると確信した。


「カハッ……」


 ああ、やっぱり首を絞められる感覚は一番好きだ。もっとも高揚していた瞬間、自殺した瞬間のことを思い出せる。


「ああ……」


 こんなに幸せな死にざまがあるだろうか。大好きな人に、殺してもらえる。ああ、今まで価値のない生を続けていたかいがあった。

 意識が朦朧としていく。視界が真っ黒になっていく。


「──燐火先輩!」


 遠くから、誰かの声がした気がした。けれど俺にとっては、目の前の幸福のほうが大事だった。


「──!」


 息が苦しくなってくると、次第にその声も聞こえなくなっていく。

 まるで深海のような静けさ。それとは裏腹に鼓動は早くなっていく。体は生命活動を維持せんと呼吸を求めるが、気道を抑える真央先輩の手がそれを許さない。


「かっ、はっ」


 涙が浮かぶ、それが苦痛によって湧き出た生理的なものだったのか、歓喜によるものだったのか自分でも分からなかった。


 幸福の頂点のままに生を終わらせようとしていたその時、俺の耳に優香ちゃんの言葉が飛び込んできた。


「──私のために生きてください、お姉様!」


 ──ああ、そうだった。

 俺は、優香ちゃんのために死ぬのだった。


「はな、れろおおおおおおお!」


 弛緩していた体に力を籠める。既に十分興奮しているので、『心身合一』はフル稼働だ。


「ウウウウウ……」


 俺の体に覆いかぶさっていたゾンビたちが吹き飛ぶ。


「燐火先輩!」

「ありがとう優香ちゃん。目が覚めた」


 そうだ。過去には囚われない。懐かしむことはあっても、枷になってはいけない。


 向き合う。その先には、真央先輩によく似たゾンビ。

 でも、よく見れば分かる。こんなの、全然お姉様じゃない。


「……さようなら」


 胸に一突き。崩れ落ちた屍を一瞥して、俺は次の敵へと駆け出した。



 ◇



「ふむ! なるほどなるほど。最愛の人に良く似た死体程度では、あの化け物は止められませんか」


『魔の者共』が這い出る場所、大穴の底では、一人の悪魔が上機嫌に独り言をつぶやいていた。

 人類の誰も到達できていない深淵、大穴の底にはどこまでも暗闇が広がっている。暗がりからは時々唸り声のようなものが聞こえてきて、侵攻を控えた『魔の者共』が待機していることが分かる。


「邪悪な試みが、麗しい姉妹愛の前に敗れる。なるほど。これが人間の言う『テンプレート』というやつなのでしょうな。……反吐が出る」


 言葉を話す『魔の者共』は、世界で三体しか確認されていない。しかしそのどれもが凄まじい力を持っていると報告されていて、未だに討伐記録は残されていない。それら壊滅的な強さを持つ化け物たちは、『破滅級』と呼ばれ、完全に自由にしてしまえば国一つ滅ぶとすら言われている。


 世界で二度目に確認された『破滅級』、喜悦の悪魔は大穴の底で戦闘状況を分析していた。目線の先には、水晶玉が存在していた。

 その中に映るのは、ゾンビの群れを凄まじい勢いで殲滅している天塚燐火の姿だった。


「他の有象無象はともかく、あれは危険ですね。一体どんな祝福を受けたらあんな強さになるのやら」


 悪魔は左腕を顎に持ってきて思案する。もう片方の右腕は存在しない。右腕は、半年前に桜ヶ丘真央に吹き飛ばされて以来再生していない。

 喜悦の悪魔の力をもってすれば、片腕の再生程度容易いはずだった。しかし、『燦燦たる太陽』の最期の一撃は、単なる外傷にとどまらない傷を与えていた。


「……計画の次の段階を進めますか」


 喜悦の悪魔の強みは、他の『魔の者共』と違い人間の感情が分かることだ。人間を弄ぶ存在と言い伝えられた悪魔だからこそ、そのような力を得た。


「心を惑わすことこそが私の特技──あんな分かりやすいトラウマを抱えた小娘、容易くへし折ってみせましょう」


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