第4話 名取柚李は後悔したのである。

「かっ……」


 とあるイタリアンレストラン。コーナーのソファ席にて。頬を赤らめて目を輝かせている沙優。


「――カッコいいじゃないの!!」


 彼女の正面に座る柚李の隣、ルカをじっと見つめている。


「もっとオシャレしてくればよかった~」


 柚李はルカの肘を突き、何か言ってやれ、と目でいう。


「えっ、あっ、う~んと……」


 人間相手に戸惑うルカを横目に、柚李は深く息を吐いた。

 こりゃ、しばらく特訓が必要そうだな。


「こいつ、名前はルカ――」


 柚李は隣の男を紹介しかけてあることに気づく。

 ルカという名をつけたのは沙優だ。そんな彼女にルカだと言っていいものか。本当は猫など飼っていないと思われないか。なにより、ルカは人間だったとなれば、毎月の彼女からの収入が――。


 沙優をすっかり銀行扱いの柚李である。


「るか?」沙優は首をかしげる。


「いや……流川るかわ、くん、です、だよ」

「流川くんっていうんだ~。私は沙優。ゆーりくんのお姉さんです」


 よろしくね、と彼女は右手をルカに差し出す。ルカも、おずおずと右手を伸ばすと、二人は握手を交わした。


「よ。よろしくお願いします」


 急遽名前を変えたことに動揺していたが、柚李が従えという冷ややかな視線を送ったので、ルカはそのまま話を合わせていく。


「流川くんは大学生?」

「だ、大学? えっと、はい……?」

「そっか~モテるでしょ~カッコいいもんねぇ」

「もてる? あ、えっと、カラスとかなら持ったことあります」


 おそらくルカなりにモテるを解釈したのだろう。柚李は血の気が引いた。


「ん? カラス?」


 やばい。と柚李は思った。ルカは人間用語が理解できていない。

 美味しいディナーを食べることができたらいいなという軽率な考えがいま、柚李の首を絞めている。

 そもそも、ヒト化したルカを連れてくるべきではなかったし、連れてくるにしても早すぎたのだ。


 ルカの設定を作るか。いや、そんなことをしている余裕も時間もない。頭おかしい大学生ということにするか。

 これ以上、ルカが沙優の問いに答えるのを許すわけにはいかない。


「そ、そろそろ、料理注文しようか」





 ケラケラと愉快な笑い声がこじんまりとした個室に響く。


 調子に乗ってワインを注文した沙優が酔っ払い騒ぎ出したので、店側から個室に移ってくれとお願いされてしまった。本来なら、ここでもう帰りますと言えたらよかったのだが、沙優の勢いが止まらず、そのまま個室へと移った。


 ルカはというと、沙優にすすめられてお酒を一口たしなんだのち爆睡。瞬殺だった。


「ゆ~りぃ、最近お仕事はどうなのさ~?」

「普通に頑張ってるよ。ルカを飼うことだって、お客さんが勧めてくれたんだ」

「そ~だったの~。うまくやってるのね……」

「姉さんも、仕事うまくいってるの」

「そりゃあ、姉様ですからっ! 仕事は順調よ! ま、ときどきお母さんから電話くるけど」

「なんて?」

「え~、もう仕事ばっかりしてないで彼氏作ったらとかさぁ。なんか早く結婚してほしいみたいでね。まあ、わたしには愛しの弟がいるから全然いらないんだけどねぇ。いっそわたしと結婚しない?」

「酔いすぎじゃない? もう潮時だよ」

「おいおいプロポーズをあっさりかわすんじゃないよもう」


 柚李はとなりのルカの肩を揺らして起こし、沙優のバッグの中から財布を取り出し、先に会計を済ませた。


 レストランの前でタクシーをつかまえ、沙優の財布から諭吉を数枚出して、彼女の家まで乗せて帰ってもらった。


 柚李とルカはそのまま歩いてアパートに帰ってきた。


 家に着くなり、ルカはソファにダイブしてゴロゴロする。「美味しかったぁ! めっちゃ寝た! あの飲み物やばい!」


 ブー、とスマートフォン――もちろん沙優のお金で買った――が振動する。ルカは珍しそうにその長方形を眺めていた。間近で見ると本当に顔がいい。


 せとか

『やっほー、深夜にごめんね。久しぶり!』


 誰だっけ、この人。記憶を巡らせる。

 柚李のスマートフォンに登録されている連絡先は少ない。ノリで交換したというより、沙優の友達や、バイトの同僚が多くを占める。


 つまり、柚李自身の友達はいないということなのだけれど。


 ――たしか、姉さんの友達だっけ。


『お久しぶりです』と返信すると、すぐに新しいメッセージが送信されてくる。


『突然で申し訳ないんだけど、近々会えない?』

『姉じゃなくて僕ですか』既読

『そうそう』


 ルカはあくびをしながら不思議そうに首をかしげる。

「こいつ誰だよ?」

「こいつとか言うな。姉さんの友達だよ。ほら、僕他人と関わるとか好きじゃないし、僕のほとんどの交友関係、姉さんつながりでさ」

「へぇ~……」


 心底興味なさそうに、ルカは猫の姿に戻ると、てくてくと短い足でラグの上におり、丸まった。


『僕はいつでも大丈夫です。バイトしかしてないんで』既読

『了解! じゃあ明日』

『明日!?』


 急すぎる上に最後のメッセージは既読がつかない。めちゃくちゃ自分勝手な人だった。

 明日って何時だよ、と思いつつ、それはまた向こうが都合のいいときに連絡が来るのだろう。

 眠気に耐えられず、そこで意識が遠のいていった。



 ルカはそれから三日間、猫の姿で眠り続けた。

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