肉食系の藁人形

如月姫蝶

肉食系の藁人形

 形代かたしろ村は、山間の小さな農村である。

 ここに人が定住した歴史は古いらしく、地を掘り返せば古墳時代の勾玉が出土するほどなのだ。しかし——

 形代村は、山間の小さな農村だった。もうすぐそう過去形で語らなければならなくなる。

 そもそも過疎化や高齢化により限界集落と認定されていたうえに、十年ほど前には震災に見舞われた。そのダメージからの復興はもはや困難と判断され、近く廃村となることが決定したのである。


 村人Aは、独り、夜道を急いでいた。とはいえ、ギックリ腰のためにその歩みはおぼつかない。

 腰痛のせいで既に遅刻してしまったが、今夜は村の神社で、夏祭りを前に盆踊りの練習会が開催されているのだ。村人たるもの、顔を出さぬわけにはゆかない。

 形代村には、村人と他所者を峻別する習わしがある。いくら廃村が決まったとはいえ、Aは最後まで立派な村人でありたかった。

 特に、今年の夏祭りは、八十年に一度の大祭にあたるのだ。前回の大祭が行われた際には、さすがのAもまだ生まれていなかったのだ。今回こそは最初で最後、是非とも準備段階から参加しておきたかった。

 濁ったような曇天ゆえ、Aが目指す裏山の神社の灯りが、夜景の中で唯一明るい。畔道を歩き切ったところで、その先には竹林に囲まれた百段余りの石段が待ち構えているのだ。

 Aがいくら気力を振り絞り脂汗を流したところで、彼女が手にした懐中電灯は神社の灯りになかなか近づきやしないのだった。

 ふいに、一陣の風が吹き抜けた。

 妙に生臭い。

 Aは、痛みに耐え兼ねたこともあって、思わず立ち止まり、くんくんと臭いを嗅ぐ。

 次の刹那、傍らの田んぼの中から、怪鳥の如くに何かが飛翔した。

 咄嗟にAが向けた懐中電灯によって、エレガントな花柄が照らし出されたのである。

 飛翔した花柄は、一転して急降下すると、肉を貫いた後で畔道に突き刺さった。

 そして、風の生臭さに、新鮮な血臭が加わったのである。


 形代村の鎮守の社は、豊足食命とよたらしのみことを祀っている。ローカルな農耕神であり、神社を取り囲む竹林の、竹という植物の旺盛な生命力を神格化したものだとも言われている。

 今夜は、その境内に村人たちが集まり、櫓の周囲に輪を作り、盆踊りの練習に励んでいるのだ。夏祭りの本番では、祭神に奉納すべく踊るのである。

「その足捌きは、特に大切ですよ!」

 練習を見守る神主は、村人たちが両手を広げて、片足で飛び跳ねる振り付けに差し掛かるや、檄を飛ばした。神主は頭巾で顔まで覆っていたが、それは、女の嗄れ声だった。

 その直後、神主は、くんと風を嗅ぎ、新たな血臭を感知したのである。

 そして、八十年に一度の大祭は順調に進んでいるようだと、ほくそ笑んだのだった。


 父の茂樹しげきは、黙々と車を運転していた。

 母の潔美きよみは、そっぽを向いて車窓の外を眺めている。

 帆鳥ほとりは、後部座席で、そんな両親に、こっそりと溜息を吐いたのだった。

 両親は、かつて恋人同士だった当時には、海辺でデートを楽しみ、海鳥が飛び回る景色から、「いつか娘が生まれたら、名前は帆鳥」と決めたのだそうだ。しかし、結婚して、実際に一人娘である帆鳥をもうけて、その帆鳥がチャイルドシートを卒業してしばらくたった今、彼らは既に夫婦としてガス欠してしまったのではないだろうか。

 今日は、家族三人で、茂樹の故郷である形代村を訪ねるのだ。都会で生まれ育った帆鳥は、初めて訪れる山間の田舎に心を躍らせていたが、そうした感情を両親と共有することは諦めたほうがよさそうだ。

 潔美は、茂樹の母である房恵ふさえと仲が悪い。直接顔を合わせる機会は滅多に無いのだが、たまに連絡を取り合うだけでも、帆鳥が母の闇堕ちを心配したくなるほど不機嫌になるのである。

 ただ、房恵が時にショッキングな行動をとるのは事実だ。以前、潔美が母の日のプレゼントとして、花柄のブラウスを房恵に宅配便で贈ったことがある。上品なブランド物だった。すると房恵から、「ちょうど良かったよ、ありがとう」というメッセージが返ってきたのだが、それには、贈ったブラウスをカカシに着せた写真が添えてあったのだ。

 帆鳥は悲しかった。そのブラウスは、彼女が潔美と一緒に選んだものだったからだ。

 潔美に至っては、闇黒の女王が顕現したかのように怒り狂ったのである。

 茂樹は、形代村の風習について語った。村では、カカシを農耕神の使いとして丁重に扱い、「神々使カカシ」という漢字を当てるほどなのだと。しかし、闇黒の女王の殺気を鎮めることは到底叶わず、ついには「これはお袋もやりすぎだな」と、壁を背にして首がもげるほど頷いたのである。

 もしも茂樹が、「廃村になる前にもう一度だけ、故郷の景色を目に焼き付けたい」などと言い出さなければ、今回の一泊二日の帰省も実現しなかっただろう。


「あら、いらっしゃい。大祭の当日になってからのこのこ現れるなんて、他所者は気楽でいいわねえ」

 それが、次男夫婦と孫娘を迎えた房恵の第一声だった。

 房恵は、とうに夫に先立たれ、茂樹を含む三人の子供たちも相次いで村から出て行ったきりのため、都会的な感覚に照らせば広すぎるほどの一戸建てに独居している。そのせいもあってか、随分と性格が尖鋭化しているのだ。

「お義母さん……前からお伝えしている通り、帆鳥にはアレルギーがあるんです。ムカデやスズメバチに刺されたら、死んでしまうかもしれないんですよ。急病人が出るたびにドクターヘリを呼ばなきゃならないようなこんな田舎に長居はさせられません!」

 潔美の口調にも自ずと棘が生える。

 帆鳥は、いくつかの毒虫に対してアレルギーがあり、もし刺されればアナフィラキシーショックを起こしかねない。それは決して、茂樹たちがこれまで帰省を渋ってきた方便ではなく事実なのだ。

「それより、お義母さん、その格好……」

 潔美は、スッと目を細め、一段と声を低くした。

「ああ、そろそろ神々使カカシ様のお下がりを戴いてもいい頃合いかと思ってね!」

 房恵は、ニンマリと笑って、声を弾ませたのである。

 彼女は、花柄のブラウスを纏っていた。風雨に曝され、明らかな破れ目もあり、しかも、血糊を思わせる汚れまでついているブラウスをだ!

 房恵は、潔美たちからのプレゼントを、わざわざカカシに着せてボロボロにしてから纏っているのである。

「ご近所にも、息子の嫁から贈られたって自慢しといたよ。都会のもんは、わざわざボロを着るのがお洒落だと思い込んでるって、みんな大笑いさ!」

 房恵は、ダメージデニムのことでも言っているのだろうか? いずれにせよ、ブラウスを破損したのは、潔美でも帆鳥でもないというのに……

「帆鳥、パパが村を案内してやろう」

 茂樹は、気配を消しつつ同席していたが、嫁姑間に滾るマグマにたまらず、娘の手を掴んで逃げ出したのだった。


「夏休みの自由研究のネタにするんだろ? 大祭を見物してさ」

 房恵の家から娘を連れ出したタイミングはともかく、茂樹の言うことは概ね正しかった。

「お祭りもだけど、竹の花を観察する!」

 帆鳥は意気込んだ。

 竹という植物は、滅多に花を咲かせることはない。開花の頻度は百二十年に一度という俗説まであるほどだ。形代村で神社を取り囲むように生い茂る竹林は、八十年周期で花を咲かせ、今年のように竹の花が咲いた年の夏には大祭を行うとのことだった。

「ほら帆鳥、この畔道を真っ直ぐ歩いて突き当たるあの山、あそこに神社があるんだ。麓に鳥居が見えるだろ?」

 山まではものの五百メートルほどの道のりである。父子は並んで歩き出した。

「なんか、竹林が茶色っぽくない?」

 帆鳥は、怪訝な表情を浮かべる。

「ああ、竹は花を咲かすと枯れちまうらしいぞ。パパも見るのは初めてだけどな」

 帆鳥は駆け出した。父を置き去りにするほどの勢いで。そして、畔道の突き当たり、鳥居の脇で、竹の枝々を手当たり次第に物色したが、そこには、小さな稲穂のような姿だという花などもはや残ってはいなかった。辺りにはただ、既に黄ばんだり茶色じみたりした竹林が広がるばかりである。

えない……」

 小学生は、がっくりと肩を落とした。

「おい、シゲだろ?」

「カズじゃないか!」

 彼女の背後で、父が誰かと出会ったようだった。

 

「帆鳥ちゃんか。可愛い名前だね」

 男は、小学生の自己紹介に笑顔を見せた。

 彼は、茂樹とは同い年の幼馴染で、竹之内一寿たけのうちかずとし。形代村の村長にして神主なのだという。

「元はただの神主だったんだが、今じゃ、猟銃を扱えるもんは俺一人になっちまったこともあってな、祭り上げられちまったんだ」

「あの、銃を持ってるんですか?」

 小学生は、目を丸くする。

 村長は、慌ててホールドアップした。

「今は持ってないから、安心して」

「わたし、銃を撃ってみたい。それもきっと、素敵な自由研究になるから!」

 帆鳥は真剣そのものだったが、村長も父もずっこけた。そして、一寿は一寿で、猟銃所持の年齢制限だのなんだのを、一通り真剣に説明したのである。

「夏休みの自由研究かあ。以前は、勾玉なんかを展示した郷土資料館が、この村にもあったんだが、十年前の震災ですっかりパーになっちまったしなあ……」

「あのさ、カズ、俺との約束の件なんだけど……」

 茂樹が、会話に割り込んだ。

「ああ、わかってるよ。受け取ってくれ。村人たちに餞別をと思って、我が家の蔵にあった骨董品を売り払ったんだ。大祭のために駆け付けてくれたお前たちにも、な」

 一寿から茂樹へと、それなりに厚みのある封筒が手渡された。

「ああああ、俺の小遣いの一年分!」

 茂樹は、やおら感極まったように、その封筒に熱烈なキスをした。

「おい、シゲ、それは、家族三人分の金額なんだぞ!」

「いーのいーの! 鬼嫁に知られる前に、まずはこいつを安全な場所に隠してくるぜ!」

 茂樹は猛スピードで走り去った。先程、房恵の家からこの鳥居を目指した際と同一人物とは思えないほどの走りっぷりだった。

 帆鳥は、物理的に頭越しであった大人同士の遣り取りと、遠ざかる父の背を見て、悟ってしまった。茂樹がなぜ、廃村が決まった故郷に単身で帰省するのではなく、あの手この手で妻子を巻き込もうとしたのかをだ。

 けれど、悟ったところで、また一つ溜息を吐くくらいしかできないのだった。

「なあ、帆鳥ちゃん……カカシの作り方を知ってるかい?」

 一寿は、間を持たせるように言った。

「竹で骨組みを作って、藁で肉付けして、服を着せるんでしょ?」

 そう。例えばプレゼントされた高価なブラウスをだ。

「そう! カカシってのは、実は、藁人形なんだよ!」

 一寿が、熊が直立して威嚇するようなポーズをとったものだから、帆鳥は、ただただ困惑して、眉間に皺を寄せた。

「ごめん……なんかごめん。今は夏で、相手は小学生だから、なんか怖そうな話もいいかもって思っただけなんだ。おじさんには子供がいないから、よくわからなくて」

 過疎の村ではよくあることだが、ついでに結婚歴も無い。

 一寿は、一転して自信を失くしたようにしゃがみ込んだ。

「わたしは、もしも自由研究ができなかったときのママが、今まで生きてきた中で一番怖い……」

 帆鳥もまた、彼と向かい合うようにしてしゃがみ込んだのだった。

「……そうだ、帆鳥ちゃんのそもそものお目当ては、竹の花だったよね? 実は、大祭の神事に使うために、結構な量の竹の花をドライフラワーにして取ってあるんだけど、少し分けてあげようか?」

「ほんと?」

「なんなら、大祭で巫女の役もやってみる?」

 帆鳥は、飛び出す玩具よりも勢い良く立ち上がった。

えるかもしれない……」

 彼女は既に、アニメに登場するかっこいい巫女のコスプレを、きりりと決めたつもりになっていた。


が一つ足りませんよ、一寿』

 彼の頭の中で、女が嗄れた声で囁く。

「ああ、わかってるよ。誰か一人、間引くしかねえだろう」

 彼もまた囁いたが、うっとりと瞳を輝かせて空を見上げている小学生の耳には入らなかっただろう。

 金一封に釣られて家族連れで帰省してくれた形代村の出身者は、茂樹だけではないのだ。しかし、その頭数には狂いが生じていた。

——この村に移住して、絵を描きながら、ジビエ料理のお店を開けたら素敵だな……

 昔、そんなことを言ってくれた女性がいた。

 一寿の思い出の中で、彼女は、長く美しい髪を、水田を渡る風にたなびかせながら振り向いたのである。


 巫女装束にきりりと身を固めた少女は、頭巾を被った神主から教えを受けた。形代村のカカシは、人間であれば心臓がある辺りに、勾玉を埋め込んで作られるのだ。その勾玉には、豊足食命とよたらしのみことの眷属が宿っており、田畑を守る。故にカカシは神の使いとして扱われるのだ。大祭の年には、開花した竹林より力を注がれることで、眷属たちが一際活動的になるため、巫女は、盆踊りの奉納の後に、眷属たちを先導して村を練り歩くのだと。


 日没を待ち兼ねたように数多の提灯や篝火が灯されて、神社の境内は、いよいよ大祭の色に染め上げられた。

 神主が祝詞をあげた後、まずは、村人総出での盆踊りだ。人の輪の中心に高く組まれた櫓から、笛や太鼓のお囃子が響き渡る。演奏しているのは皆高齢者ばかりだが、熟練の技なのか、音色は軽快だ。

 白い小袖に緋色の袴という巫女装束と、竹の花のドライフラワーをあしらった冠を身に付けた少女も、踊りの輪の中にいた。

 この祭では、飲食物の屋台が出店することはない——そう聞かされた時には、正直がっかりしたが、自身の巫女姿に気分は高揚した。こうしている今も、両親がたくさん撮影してくれているはずだ。

 巫女の役目といっても、村人と共に盆踊りを奉納して、その後は行列の先頭を歩くだけで良いらしいので、大祭当日になって村を訪れた彼女にとっても、そう難しいことではないだろう。

 皆で踊っているのは、「神々使カカシ踊り」。両手を広げ肩の高さに掲げて、のようにステップを踏むのが特徴的だ。なんでも、一本足の神々使カカシと、二本足の人間の交流を表現した踊りらしい。

 母に名を呼ばれて、少女は、人の輪の外側に目を向けた。両親が揃ってスマホを構えてくれていたので、早速カメラ目線で微笑もうとした……のだが。

 両親の斜め後ろに、一体のカカシが。もしも誰かが設置したものであれば、少女もそうは驚かなかったろう。しかしそれは、境内を囲む竹林の中から、ひとりでに踊るように現れた。まるで、神々使カカシ踊りをだけで踊るかのように、一本足で飛び跳ねながら、両親へと接近したのだ。

「後ろ! 逃げて!」

 少女の絶叫に、先に反応したのは父だった。彼は、咄嗟に妻を抱き寄せた。

 しかし、カカシは、一際大きく跳躍すると、血塗られた一本足を神域に突き立てた。それは、夫に抱かれた妻の右足の大腿部を貫き、地に縫い止めたのである。まるで、人間ごときが二本も足を生やすなと言わんばかりに。

 妻は、大きく仰け反りながら、声すらあげられぬまま口をぱくぱくと動かした。

 夫は、吠え立てながらカカシに掴み掛かる。しかし、彼の死角となった竹林から、別のカカシがぬるりと現れたかと思うと、彼目掛けて跳躍したのである。

「お父さん! お母さん!」

 せめて彼らに駆け寄ろうとした少女を、すかさず神主が羽交締めにした。

「あなたにはあなたの務めがあります。あちらをご覧なさい。神が花嫁を所望しておられますよ」

 無理矢理に向きを変えさせられた少女は、櫓を目にして喫驚した。

 大きな櫓のてっぺんに、いつの間にやら、櫓よりも大きなカカシが屹立していたからである。全身に竹の花を飾り付けられ、黄金色に光り輝くカカシだった。

 カカシは、ふわりと宙に舞う。

 少女は、その刹那、体の柔らかさを利して、神主の腕からするりと抜け出した。そのまま脱兎の如く逃げ出そうとしたが、なぜだか足が動かない。

 見れば、少女の足元に、荒縄のような何かが、何本も、幾重にも絡み付いているではないか!

 それらは、周囲の竹林の四方八方から、ものの数瞬のうちに伸びてきた根であった。枯れつつあっても神意の宿った竹林は、それらの根を触手の如く自在に操り、みるみる少女を夜空高く逆さ吊りにしたのである。

 まるで、黄金色の猛禽に捧げられる小動物のようだった。

月乃つきのちゃん……」

 母は、息も絶え絶えに巫女の名を呼んだ。その直後、大腿部を蹂躙していたカカシに、改めて背中を刺し貫かれて倒れ伏した。

 その傍らで、巫女の父は、もう一体のカカシへと振り返ろうとした瞬間に右耳から左耳へと貫かれ、既に事切れているのに地に倒れることすら許されずにいた。

 そして、祭囃子は、少女の断末魔すら掻き消すほどに、一層高らかに演奏されたのである。


 やってしまった。帆鳥は、癇癪を起こしてしまったのだ。大祭の巫女役は、結局のところ、おみくじで他の女の子に決まったと村長兼神主から聞かされて、「お祭りなんて、もう行かない!」と、房恵宅の一室に閉じこもってしまったのである。

 房恵は、「ギックリ腰が治って良かった」と、一人でさっさと神社に向かった。

 茂樹は、気配を消している気配がした。

 潔美は、「自由研究はどうするの!」くらいは怒鳴ってくるだろうと思っていたが、それすら無いまま、帆鳥は、風に乗って微かに流れ来る祭囃子を室内で聞くことになった。

 そして、どれほどの時間がたったろう。

「帆鳥ちゃん、巫女役の件は悪かったね。大祭ももうすぐ終わるよ。せっかくだから、フィナーレの行列くらいは見物しないか?」

 なんと、帆鳥がこもる部屋の戸を、一寿がノックしたのである。彼女が癇癪を起こすような報せをこの家にもたらしたのも彼だったわけだが。

 そろそろ部屋を出るきっかけが欲しくなっていた帆鳥は、うなだれつつも立ち上がり、戸を開いたのだった。実は、戸の外側に、たった今彼自身が解除するまで、一寿が神々使カカシ避けの結界を張り巡らせていただなんて、彼女が知る由も無かった。


 帆鳥は、家の外へ出ると、一寿と共に鳥居の近くまで歩いた。見れば、提灯を手にした人々の行列が、百段余りの階段を降りて来るところだった。

 今日まで知らない大人だった彼と二人で外出することに、茂樹はともかく潔美が異議を唱えなかったのは、帆鳥にとってかなり意外なことだった。

 やがて、行列の先頭を歩く巫女が鳥居を潜って、すぐ近くに控えていた神主へと視線を寄越した。

「そなたもご苦労であったな。

 我は、所詮は小さき神である。十年前の震災に対しては、為す術も無かった。なれど、此度こたびの大祭に伴い、神々使カカシたちに肉の器を与え、我自身もこうして夫婦神ならびがみとなれたこと、まことに重畳である」

 巫女は、両親であろう男女を両側に従え、彼らの提灯で照らされていた。そのすらりと凛々しい佇まいや、なんだか時代劇のような重々しい物言いに、帆鳥は、「わたしの負けだ」と実感せずにはいられなかった。巫女が何を言っているのかはちんぷんかんぷんだった。

 ただ、巫女装束の胸元や、その両親の衣服にも、穴が開いていたり血糊のようなものがべっとりとついていたりするのだ。もしや、大祭ではアクションシーンの激しいお芝居でも演じなければならなかったのだろうか?

 そこへ、女の金切り声が降って来た。帆鳥が、行列の後方、階段の中腹を見遣れば、一人の女が、長い紐のようなものをぶんぶんと振り回しているいるではないか!

 どうやら、浴衣の帯の先に、何か重さのある物を結び付けて振り回しているらしいのだが、その重しが、彼女を追って来たカカシに命中して吹っ飛ばしたのである。

 そう、カカシだ。まるでお化け屋敷の機械仕掛けのお化けのように、自動的に飛び跳ねるカカシなのである。

 女は、勢い余ってか、行列の最後尾の村人まで薙ぎ倒した。さらには、重しを自分の頭に当ててしまい、自滅したのである。

 女の体は崩れ落ちて、帆鳥からは見えなくなった。そこへ、一度は吹き飛ばされたカカシが、改めて飛び掛かったのである。

「あの女性にょしょうは、随分としぶとかったな。我が眷属にはふさわしいが」

 巫女は、呆れ返ったように言った。それはしかし、月乃の家族と同じタイミングで神々使カカシされながら、今の今まで持ち堪えていた、帯ぶん回し女に対する、神からの最大限の賛辞だった。

「ねえ、今のって、お芝居だよね? ヒーローショー……には見えなかったけど……」

 帆鳥は、一寿を見上げて、声を震わせた。

「さあな。彼女もこの村の出身で、息子と一緒に帰省してくれるはずだったんだ。けど、部活の都合だとかで、息子は来なかったから、器の数が一つ足りなくなっちまったんだよ」

 一寿は、はぐらかすように言った。そればかりか、やおら帆鳥に向けて猟銃を構えたのである。

『発砲を許可します!』

 女が、嗄れ声で唆した。

「言われずとも!」

 一寿は、迷わず引き金を引いた。

 銃声が山々に乱反射して消えた後も、小学生は泣き声をあげ続けていた。帆鳥は、生きていたのである。

 一寿が撃ったのは、彼女の背後に迫った神々使カカシ、その心臓部にあたる勾玉だった。

 その勾玉に誰の魂が宿っているのか、一寿にはわかっていた。それは、紛れも無く彼の父親だ。村一番の名家であり、代々神主を務める竹之内家に婿入りしておきながら、妻子を散々に虚仮こけにして村を飛び出し、結局はおめおめと帰郷した直後に震災で亡くなって、ちゃっかり豊足食命とよたらしのみことの眷属と化したような男なのである。

 心臓部を撃ち抜かれた神々使カカシは、仰向けに倒れて、二度と動き出すことはなかった。

「重畳」

 巫女は、低く笑った。

「そなたの家系は、代々我に尽くしてくれた。神々使カカシと器のについては、目を瞑るとしよう」

 巫女は、再び歩き出した。村から出てゆくつもりなのだ。

 開花して枯れた竹林が息を吹き返すまでには、何年もかかる。その間、豊足食命とよたらしのみことは、月乃の肉体を器として宿り、彼女の両親をしもべとして、村の外で過ごすつもりなのだ。そのための大祭だったのである。


「あの……わたしのことを助けてくれたんですか?」

 一寿が巫女たちを見送った後、帆鳥は、腰を抜かして泣き濡れたまま、彼を見上げて尋ねたのである。

「そうだよ。俺は助けたんだよ——のことをな!」

 彼が指差した先には、夜目にも鮮やかな白無垢を纏った花嫁が立ち現れていた。

 それは、花嫁衣装を着せられた神々使カカシだった……


 豊足食命とよたらしのみことは、竹林の根が及ぶ範囲の土地、つまりは形代村で死んだ人間の魂を眷属として従えることができる神だった。眷属たちは、神々使カカシの心臓部となり、村の田畑を守る。その一方で、八十年に一度の大祭で、神が花嫁を娶る際には、眷属たちもまた、生者の肉体を所望するのだ。生者を一旦殺害して、その蘇生と同時に、かつて人間だった生前の記憶を保持したまま乗り移るのである。

 形代村の住民が、村人と他所者を峻別するのは、そもそもこの秘密を外部に漏らさぬようにするためだったのだ。

 村長兼神主である一寿は、竹の花が咲いたその日まで、そうした事実を知らずにいた。先代の神主である彼の母が、引き継ぎを済ませぬまま震災で亡くなったからである。しかし、竹の花が咲いたその日に、亡母は息子の肉体を所望して、彼の中で二人の人格が共存することとなり、情報も共有されたのである。

 神主を嚆矢として、村人たちは、大祭の一環として次々と死と再生を経験した。例えば房恵は、腰痛を押して神社へと向かう途中、亡夫に所望されたのである。

 村に帰省した者たちは、大祭当日に処遇された。潔美は、房恵と二人切りになった直後に、茂樹は、金一封を手に疾走して娘の視界から消えた途端に所望されたのだ。

 もしも器の数が足りたなら、一寿は、神への忠誠を示すべく、亡父にも肉体を当てがったことだろう。しかし、そうも行かなくなったのだ。


夏帆かほ……」

 一寿は、帆鳥の死体を自宅へと運んで、その髪を撫でた。小さな体の致命傷はみるみる修復され、やがて、彼女はゆっくりと目を開けたのである。

「夏帆……だよな?」

 蘇生した帆鳥自身の人格も残存しているかもしれないが、一寿は、幼い肉体を所望した夏帆の人格にこそ、大切な用があるのだった。

 夏帆は、十年と少し前、形代村を訪れた美大生だ。都会での就職活動に手こずっているという事情こそあれ、村への移住を希望してくれた稀有な女性だった。しかし、一寿が彼女と一緒にジビエ料理の店を開きたいと本気で考えた頃、震災が村を襲ったのだった。

「……一寿?」

 帆鳥の口から、彼女は応じた。

「ああ、夏帆……君が死んでた間に、俺は十才も年を食っちまったよ。けど、君への気持ちは変わってないさ。俺と結婚してくれないか?」

 夏帆は、ただ淡い笑みを浮かべたままだった。いつの間にやら呼吸することをやめていた。

 帆鳥のものであるその体の下から、小さなムカデがちょろりと這い出した。


 その日の深更、竹林から火の手があがった。

 男が、油を撒いて火を放ったのだ。男は、自分の体にも、白無垢に包んだ小さな死体にも、たっぷりと油を注ぎ掛けていたから、紅蓮の炎は、夜空の月まで火炙りにせんばかりに燃え盛ったのだった。

 

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