第22話

      二十二


      夫


 午後七時、沙月が帰ってきた。素知らぬ顔で部屋に上がろうとする。普段使っている鞄以外は何も持っていないので、買い物に行っていたわけでもなさそうだ。

「お帰り、どこに行ってたんだい?」

 階段の上り口のところで声をかけた。なるべく険のある言い方に聞こえないように気を付ける。

「別に。ごめん、今日はちょっと疲れちゃった。夜は適当に食べといて」

 沙月はこちらを一切見ずに、小さい声でそう言った。歩みを止めることもない。私は、沙月がこのままどこかに行ってしまうのではないかと思った。

「待て! 沙月、俺を見ろ! ちゃんと話をしてくれ!」

 やっと沙月がこっちを見た。しかし、その目には力がこもっておらず、動作も緩慢だった。

「今はやめて。本当に無理なの」

 私はやっぱり、何と言葉を継げばよいか、わからなかった。



      妻


 軽く歯を食いしばり、強張った表情を浮かべている勝廣を横目に見ながら、沙月は後悔の念に駆られた。本当はこんなことを言うつもりはなかった。少しくらいは、取り繕おうと思っていた。

 しかし、勝廣がこれほどまでに声のトーンを上げて詰め寄ってきたことがこれまでなかったので、その熱量に返せるほどの余裕がまだなかったのだ。沙月は、もう限界だった。


      ***


 再び意識を取り戻すと、今度は目隠しをされてはいなかったが、代わりに猿ぐつわをかまされ、ロープのようなもので手足を縛られていた。いくら叫んでも、低くくぐもったわずかな音が口から漏れ出るばかりだ。

 沙月は椅子に座らされていたが、その周りには、沙月をここまで連れてきた二人の男の姿しかなかった。やはり東城は来ていない。

「なあ、お前に抵抗する権利があると思ってるのか? 恩情で生かされてるやつがよ」

沙月が目覚めたことに気付いた大柄な方の男が、沙月の顔を覗き込みながらそう言う。

「いいか? お前は東城さんのことを気にしているようだが、実際にお前を見張っているのは俺達なんだ。お前が本当に気を遣わなくちゃいけないのは俺達なんだよ」

 沙月の猿ぐつわが乱暴にずり下げられた。

「ここじゃ、ちょっとくらいの悲鳴じゃ外には漏れない。なあ、俺達に奉仕するか? そうすれば命は取らないし、秘密もばらさない」


      ***


 そこから先は思い出したくもない。何時間もかけて散々沙月を弄ったあと、沙月の家のわずか数メートル手前で沙月を降ろしたときの、この二人の最後の捨てせりふは「また近いうちに」だった。

 秘密を守るために、自分を守るために、母親を守るために、これからどれだけ身を削れば良いのだろうか。沙月は着の身着のままベッドに倒れ込んだ。布団の中に潜り込む。

 コートと羽毛布団が互いに巻き込み合って、端の方まで熱が届かなくなったが、それを逃れるように沙月はさらに身体を丸めて、眠れぬ時間を過ごした。



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