第4話

鍛錬を始めて1か月ほどたった。目に見えるほどの成果は出ていないが、だが確実に最初のころよりは自身の能力が上昇してきたと思う。まぁ、打撃音が多少重低音に変わったとか、少し早く動けるようになったとか、雑草の吸収速度が数秒程度早くなったとかの違いではあるのだが。


 その程度の違いと言われてしまえば否定はできないが、この1か月で色々とスライムについて分かったことがある。


 まず、スライムの体を構成している細胞…スライム細胞と呼称しているがこれは俺が思っていたよりはるかに優秀であることが分かった。


 このスライム細胞、体を構成するあらゆる器官の代わりになるのだ。要するに体すべてが脳であり、目であり、鼻であり、口であり、腕でもありながら、伸ばした触手に胃袋と同じ機能を持たせて、触れた先から吸収することもできてしまう。また、触手に魔力を込めることによって触手の硬度を上げたり、逆に今まで以上に柔らかくすることもできてしまうようだ。


 もちろん保有する魔力量が少ない現段階では、硬くすることも柔らかくすること限界値は低い。しかし、位階の上昇によってできることが色々と増えてくるだろうという希望を持つことが出来た。


 今ならスライム研究の第一人者にでも成れそうだ。…わざわざこんな弱い魔物の研究をしている変人なんていないだろうから、どのみち第一人者になってしまうのか。なんてどうでもいいことを考えつつ昆虫の多そうな場所を、雑草を吸収しながら散策しているととんでもないお宝を見つけてしまった。


 ゴブリンの死体だ。


 恐らく冒険者が倒したのだろう。体には大きな切り傷があり、討伐の証明となる右耳が切り落とされてある。この右耳を冒険者ギルドに提出すれば、ギルドから討伐報酬をもらうことができるシステムとなっている。


 死体に触れるとまだほのかに暖かく、殺されてからそれほど時間がたっていないようだ。となればまだ近くに冒険者がいるかもしれない。すぐに周りを警戒する。わざわざ討伐報酬の出ないスライムを倒す冒険者がいるとは思えないが、用心は必要だ。


 幸い、近くに人の気配はない。安心してこの死体を吸収することができそうだ。


 幸いといえば、この死体が死にたてほやほやであることもそうといえる。なぜなら、死にたてのほうが保有している魔力量が多いためだ。


 このことに気が付けたのは偶然であった。いつも捕食していた昆虫を吸収したとき、いつもより吸収できる魔力量が少ないことに気が付いた。人間からすれば小さすぎて気が付かないほどではあるが、元々保有する魔力量が小さいスライムだからこそ気が付けたことだ。


 そのことが気になった俺は原因を考えた。その結果この昆虫が俺が吸収している間、一切動いていないことを思い出した。従来なら多少なりとも抵抗があったからだ。つまりこの昆虫は初めから死んでいたのではないか?という結論に至ったのだ。


 死んだ生物から吸収できる魔力の量は、生きている生物から吸収できる魔力の量より少ない。そう仮説を立てた俺は次に捕まえた昆虫をあえてすぐには吸収せず、鍛え上げた自慢のコブシで殺した後に、しばらく放置してから吸収してみた。


 その仮説は正しく、やはり普段吸収できていた魔力量よりも少なく感じた。その後もいくつかの実験を繰り返した結果、鮮度が良い…つまり死んでから時間が短ければ短いほど、吸収できる魔力の量が多いという結論に至った。


 恐らくこれは、生物は死んだ瞬間から体から魔力が少しずつ外に流れ出ているということなのだろう。つまり、こうした死にたてほやほやのゴブリンの死体は、俺からしてみればこの上ないご馳走であると言えた。


 とっくに姿を消したゴブリンを殺した冒険者に感謝し、ありがたくこの供物をいただくこととしよう。


 …美味い。久しぶりに極上の肉を食べた気がした。前世の死の直前の数週間を含め、この体になって以降もずっと、ろくなものを食べられなかったからな。いや、普通の人からすればゴブリンの死体もろくな食べ物ではないともいえるか。それでも、そうした境遇もあってか本当に美味しく感じることができた。


 ゴブリンを吸収し終えるまでにおよそ半日ほどかかったが、スライムに生まれ変わって以降、一番短く感じた半日であった。


 そして当然、鍛錬によって消費した魔力がすべて回復していた。いや、鍛錬する前よりもかなり増えている感じがする。吸収している最中にも何となくではあるが感じていたことだが、どうやら本来であれば人や魔物を殺すことによって取得することのできる『経験値』を取得して、生物としての『位階』が上昇しているようだ。


 しかし俺は今、俺自身が倒したゴブリンではなく、すでに死んでいたゴブリンを吸収しただけである。本来なら俺に経験値が入るのはおかしな話だ。しかし俺の身に起こったことを鑑みると、位階が上がった以外の理由が考えられないのも事実であった。


 経験値を得ることができた理由として考えられる可能性は2つ。1つ目はそもそもスライムという種族が、死んだ魔物を吸収することで経験値を取得できるといものだ。しかしこれはおそらくないと思われる。なぜならそのようなことが可能であるならば、おそらくこの世界はスライムの上位種で溢れかえっていたはずだ。


 事実として、ゴブリンなどの大規模な集落を冒険者たちのパーティーが壊滅させた後、住居などは他のゴブリンたちに利用されないように破壊するがゴブリンの死体は放置している。死体が原因となる疫病を防ぐために、手間をかけて一か所に集め焼却するという冒険者もいないことはないが、基本的には皆放置してしまう。なぜなら放っておいてもしばらくするとスライムたちやってきて、消化し掃除してくれるからだ。


 もし、スライムが死体からでも経験値を取得できるのであれば、こういった魔物の大規模な掃討作戦のあと上位種のスライムの発見の報告がないとおかしいからだ。ところがそういった情報を商業ギルドに長年勤め、一時期は冒険者相手に買取の交渉を任されていた俺ですら一度も聞いたことがない。つまりはこの仮説は間違いであると思われた。


 ならば2つ目の仮説。それは俺が死体からでも経験値を得ることができるスライムの『特殊個体』であるという可能性だ。まぁ、人間の人格を有しているスライムの時点ですでに特殊個体であるといえるわけではあるが。


 そしてこちらの可能性。俺にとって早く強くなれるという良い情報であると同時に、仮に人間たちに俺が特殊個体で知られると、間違いなく大軍を差し向けられ討伐されるという悪い情報でもある。なぜならこの特殊個体という魔物は人間たちにとって、ある意味ドラゴンよりもたちが悪いといえるからだ。






 今からおよそ100年前。とある国のとある貴族領に1匹の特殊個体のゴブリンが生まれた。ゴブリンは本来人間よりもはるかに頭が悪い生き物だ。ところがそのゴブリンは人間に匹敵するほどの高い知力を有しており、自身のいた小さな部族をあっという間にまとめ上げ、人間のように策を弄することによりその部族の数よりも多くの人が生活していた開拓村を次々と襲撃していったのだ。


 もちろん開拓村にも魔物よけのための柵をはじめ多くの備えをしていたものの、相手がゴブリンであることに気を抜いてしまっていたらしく、またゴブリンの用意した狡猾な罠により村民たちはその備えを十全に生かすことができないまま次々と殺されていった。


 それからしばらくして、襲撃された村の生き残りたちからの話を聞いた領主から兵士が派遣された。ところがその領主も相手がゴブリンであることを甘く見ていたらしく、討伐に必要な数の最低限の人員しか派遣されていなかった。


 その派遣された兵士たちにもゴブリン達の情報が正確には伝わっていなかったらしく、相手がゴブリンとは思えないほどの罠の数々に兵士たちは惨敗し、生き残った兵士は数えるほどしかいなかったらしい。その報告をきいた貴族は逐次兵を派遣したものの、そのすべてが撃退されていった。結果だけを見れば、ゴブリンたちにちょうど良い経験値をあげ続けただけと思えるほどに。


 そのころには、そのゴブリンたちは他のゴブリンたちの部族を配下に収めただけにはとどまらず、オークやオーガなどといったゴブリンよりもはるかに強い種族も支配下に置き、巨大な魔物の軍勢を作り上げてしまっていた。


 被害も開拓村だけでは収まらず、普段から魔物を倒し生計を立てている冒険者たちが常駐しているほどの大きな街にも及び、その被害は日を追うごとに大きくなっていった。


 その頃にはすでにその貴族に対応できるほどの力を大きく超えており、王家に泣きつき精鋭と呼ばれる王国軍を派遣してもらうことになる。


 当初は数、そして質に勝る王国軍の圧勝に終わると思われた。しかし、魔物の軍隊は日中は占拠した人間の町の建物や城壁を使ってうまく攻撃を防ぎ、夜になるとゴブリンたちの生まれ持つ『夜目』が効くという特性を使い、夜襲を繰り返すなどして予想に反して互角の戦いを繰り広げることになった。


 長期戦になることを恐れた国王は、国内にいる最高位の冒険者を破格の報酬で雇い、少数精鋭による奇襲攻撃によってゴブリンの王を暗殺するという作戦を決行することにした。結果としてその作戦は成功し、特殊個体のゴブリン(その頃にはゴブリンとして最高位の存在であるといわれる、ゴブリン・ロードに進化していた)の討伐には成功したものの、作戦に参加していた最高位の冒険者の4割と、作戦の支援をしていた王国軍の最精鋭部隊の半数が死亡するという凄惨たる結果が待っていた。


 その後町の奪取に成功し、統制の取れなくなった魔物はちりぢりに離散。生き残った王国軍により各個撃破されていったが、当然そのすべてを打ち取ることができたわけではなく、打ち漏らしてしまった魔物によりさらに幾つかの村が襲撃され、破壊されていった。


 それらの一連事件により、力を大きく失った領主である貴族は爵位を没収され没落してしまった…というのが話の流れである。






 要するに特殊個体の恐ろしさは、その強さが見た目からは判断がつかないということにある。ドラゴンのように見るからに強そうな相手であれば、最初から最強の軍隊をぶつけるという判断もできただろうし、どうしても勝てそうになければ領地を捨てて逃げるという選択肢もあったはずだ。そういった理由がドラゴンよりもはるかに弱い存在でありながら、ドラゴンよりも厄介であるといわれる原因である。


 思えば、今までの俺は少し不用心であったのかもしれない。何がきっかけで、俺が特殊個体であると判断されるか分からないからな。もう少し周囲に気を配り、自身の身を守るための力を身に付けるまでは普通のスライムっぽい行動を演じようと思う。


 ただ、スライムの行動なんてじっくり観察をしたことがない。何がスライムらしい行動かさっぱりわからないのだ。勉強しようにも、スライムに生まれ変わって以来他のスライムを見かけていない。恐らくは俺の行動範囲が狭いからだろう。他のゴブリンの死体を探すついでに、同族のスライムも探してみるとするか…

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