呪いを食べる


 アーサーがその壁を壊しかけたせいで、ギルドの訓練場はその修復が進んでいる。訓練場は人でごった返し、そのために組まれた足場にまで野次馬があふれている。訓練場ここに集まったのは、年齢、性別、種族、職業を問わないギルメンたちだ。


「ミミクル、がんばれー」

「ミミクルちゃーん、終わったら食堂にご飯食べに行くからねー」

「死ぬなよー、ミミック娘」


 そんな風に応援の声を上げるギルメン、腕を組んで黙って見つめるギルメン、心配で今にも涙を流しそうなギルメン、このチャンスを逃すまいと食べ物や飲み物を売り歩くギルメン。


 ミラベル・コゼットの手によって、そんな多種多様な彼らの中心にミミクルは安置された。宝箱のフタを開けて、外の様子を見まわす。たくさんの顔が、見たこともない数の人間がモンスターミミクルのことを見つめていた。


「何か言ったらどうだ?言いたくはないが、今日でお別れかもしれないんだ」


 ミミクルの前に直立したミラベル・コゼットがそう言って、ミミクルを促した。その横にいるギルマス、ラインハルト、ランスロットの3人が黙って頷いたのを見て、ミミクルは何を言うべきか考えた。


 考えながら、そこにいない人物の姿を探したがどこにもない。仕方がないので、ミミクルは言いたいことを言うことにした。


「私はミミックです。


 だから、その食べたものは魔力を奪われます。呪いは魔力でその体のすべてを構成されています。


 だから、私がラインハルトさんの

 ――呪いを食べる、

 そうすることで、それは消滅するはずです。


 このことは、ギルドの皆さんが実験してくれて、ギルマスもその結果を保証してくれました」


 ミミクルは話しながら、きょろきょろとあたりを見回した。まだ、見つからない。


「理屈としてはとっても正しいです。


 でも、この提案はアーサーさんがしたんですよ、皆さん。


 それって少しも信用できませんよね……


 ねぇ、アァァァーーーサアァァァーーーさぁーーーんっ!」


 ミミクルが呪いを食べることでその魔力をすべて奪い取り、呪いは機能しなくなる。理屈としてはハナマル100点満点の答案それ。けれど、アーサーが発案したせいで、解答用紙に赤字で大きく「」と書かれている。


 突然、声を張り上げたミミクルの前にアーサーがおもむろに走り出て、地面を蹴ってその速度を緩めた。その速さはいつもミミクルの想像を超えているが、今日は本当に、瞬きする間ほどに素早かった。


「ミミクル、あなたも言うようになったわね」

「アーサーさん、私が死んだら責任取ってくださいね。罰金ですよ、罰金。食堂のご飯、いえ、マチ中のおいしいもの一か月毎日、おごってもらいます」

「そんな軽口叩けるあなたならきっと大丈夫よ、さっさと始めなさい」


 アーサーは訓練場を吹く風に長い黒髪をなびかせながら、ミミクルの後ろに立った。彼女に背中を押されているような気がして、ミミクルはすこしだけ安心を覚えた。


「準備はいいか、ミミック娘?」

「ミミック娘ちゃん、準備はいい?」


 ランスロットとラインハルトがそう言って、ミミクルは頷いた。横に並んだふたりのうち一人が、今日の青空と同じ髪色のラインハルトひとりが前に出てくる。


「ミミクル、巻き込んじゃってゴメンね……違うんだ……昨日、ずっと考えていたのに……。こんな時に何を言えばいいかって……それはごめんじゃないってね……。


 ――ありがとう。


 本当に引き受けてくれて、ありがとう。今の俺にはそれしかいえない」


 頭を下げたラインハルトに、ランスロットが肩を組んだ。


「相棒の命は預けた。だから、お前の命は俺が預かった。何かあったら俺が命に代えてベゼルを倒す、だから安心して呪いヤツを食べろ。もしかしたら、ウマイかもしれないぞ」


 ふたりがミミクルの後ろに立った。

 これで待っていれば、呪いベゼルはミミクルに近づいてくる。


 私の前に立っている残り最後の一人。巨岩のような、いや、今日は海のどこかに生息しているという伝説の海洋生物――その背中には木々が生い茂っていて、人はそれを”島”と見間違えるという、そんな想像上の生き物のような凄味があった。


「いいか、ミミック。ギルドマスターとして命じる。


 自分の心に素直になれ。

 すべての責任を、ラインハルトの希望を、ランスロットの期待を、ギルメンの羨望を残らず何もかも投げ出してもいい。

 投げ出したものは俺が背負ってやる。


 だから、今、すこしでもやめたいと思ったら俺に言え」


 ミミクルはもう迷わない。


「いいえ、やります。やらせてください、ギルマスっ」



 野次馬が本格的に飽きる前に呪いそれは闘技場のカベの上に姿を現した。ベゼルという糸の切れた木目調の操り人形のようなそれは、口元に残虐な笑みを浮かべた。それがカベの上からがしゃーんっと派手な音を立てて、訓練場の砂の上に落ちて来る。


 呪いは、ゆっくりと立ち上がる。


 関節があらぬ方向に曲がり、黒い体液を噴出しながら、それでも笑みは崩さずに……。不気味な笑みを浮かべたまま、すこしずつ、一歩一歩着実にミミクル達の方に近づいてくる。近づいてきて初めて、その手に持った刃が今までの犠牲者のどす黒い血に濡れていることにミミクルは気づいた。


 大きさはミミクルが今までで見た一番背の高い人間よりもさらに大きい。口に入りきるかなと、少しのんきな心配をしながら、ミミクルは宝箱のふたを完全に閉じた。後はミミックとしての本能を、ミミクルが忘れてしまっていないことを祈るしかない。


「俺を殺したいんだろう?来やがれッ、ベゼルっ」

 ランスロットの声。

「こっちに来い、ベゼル。俺の大切な人を殺しに来たんだろう?」

 ふたりの声がくぐもってミミクルには聞こえた。


 準備万端……と、思ったのもつかの間、ミミクルは大切なことに気付く。


 ――足音が聞こえないッ!?


 宙を飛んで移動する呪いベゼルには足音がない。それはミミクルにとって初めての体験だった。いつも冒険者の気配は足音と共にやってきた。


「大丈夫よ、ミミクル。落ち着きなさい」

「アーサーさんっ!?」

 突然、箱の中に声が響き、ミミクルは驚いた。

「いーい、失敗は許されないのよ。私を信じて、私がタイミングを指示するわ」

 

 そこからただ待った。ずーっと長い間待った。これでもかと、待った。


「今よッ!」


 アーサーの合図。


「いただきまーす」

 ミミクルは口を開けて、呪いベゼルを飲み込んだ。


 ――ばぎゃり、ごぎゃり、ぐぎゃり、びぎゃり


 いつもよりもちょっとだけグロテスクな咀嚼音。


「ギィイイイイイイイイイイイヤアアアアアアアアアアア、ギャアアアアアアアアアアアアア、ギギギギギギギッ」


 ベゼルの悲鳴。思わず耳を塞ぎたくなるような呪いの断末魔。


(うそっ、抵抗されてるッ!?)


 ミミクルは少しずつ宝箱のフタが持ち上がっているのを察して、焦りを感じた。

フタを閉める、噛む力を強くしても状況は変わらない。


「おらぁ、往生際が悪いわよ。私のお金のためにさっさと死になさいッ!」

 アーサーが杖でバシッバシッと呪いを叩く音が繰り返され、ベゼルは少しずつおとなしくなった。


 その隙をついてミミクルはその魔力をさらに吸い取っていく。

 やがてぐったりと動かなくなった呪いを――ペッと、ミミクルは地面に吐き出した。


 吐き出され、もはや原型をとどめていない、ボロ雑巾のようになった呪いそれはそのまま風に吹かれて消えていった。


 後には何も残っていない。

 

 静かな沈黙が場を制した後、波のように歓声が押し寄せてきた。


 ――終わった。全部、終わった……

 

 ミミクルがそう思った時、


「痛いッ!」


 体に激痛が走る。


 痛い、痛い、痛い。痛くて何も考えられない。痛い、痛い、痛い。


 耐えがたい痛みに悶絶し、ミミクルは宝箱を前後に揺らす。ミミクルがバランスを崩して倒れそうになった時、


「ミミック娘、しっかりしろっ」

「ミミック娘ちゃん、頑張って、死なないでくれ……」

 ランスロットとラインハルトの両手がミミクルを支えた。


「野次馬は離れろッ!医療班、早くしろッ!」

 野太いギルマスの声。


「ちょっ、これ私のせいよね。ミミクル、死なないで。死んだら、絶対に私のせいになるわ、これっ。そしたらギルド、クビになるかもっ。

 いいえ、違うわ。今は違う、そんなこと言ってる場合じゃない」


 アーサーが呪文を唱え始めた。


「我が召喚に応じ、来なさい、時の神クロノス。

 今すぐに来てッ、時を戻しなさいッ!!!」


「アァァァーーーサアァァァーーー」

「アァァァーーーサアァァァーーー」

「アァァァーーーサアァァァーーー」


 ランスロット、ラインハルト、ギルマスの叫びがみっつ重なるのを最後にミミクルは、聴覚を失った。


 痛みはどんどん激しくなり、意識が遠のいていく。

 (――あぁ、私、死ぬんだ)

 そう思ったのを最後に、ミミクルの意識は闇に溶けていった。


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